第六話

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「無理しても損しかしないんだよ。そんな勇気は要らないと思うんだ」  確かに高校に入ってからの香夜子は殆ど無理をしていない。それは周りのおかげだった。 「おれ、無理しているように見える時ある?」  和夫がそう尋ねると、香夜子は首を振った。 「先輩はいつも楽しそう」 「そ。楽しいの。楽しいから素直にいるのも勇気出すのも楽しいんだ。変かな?」  くすくすと香夜子が小さく笑った。 「大好きなみんながね、背中押してくれるんだよ、いつも。だから楽しくて、敢えて言うなら勇気出すとか、あんまり考えていないかも?」  そのあと、和夫は言った。 「香夜ちゃんのこと以外は、ね」  香夜子の頰がみるみる間に紅く染まっていった。こんなことを言われたらなんて返せばいいのか、完全にわからない。  少し無言が続いた。またやってしまったと、途端にばつが悪くなった和夫は空いている方の手を首に回した。しかし言ってしまったものは覆せない。  和夫だって勇気が必要になる時がある。今、香夜子に言ったように。だからもう少しだけ勇気を出してみることにした。繋いだ手は離れることがないまま。 「おれ、香夜ちゃんが大切だから、出来ることならなんでもしてあげたくなる。そうしたらさ、なんか無意識に色々しちゃうんだよね。困らせちゃってるかな?」  返事をした香夜子の声は小さかった。 「困ってなんて、いないです」 「ならいいんだけど……」  じゃあどうして今浮かない顔をしているのと尋ねる勇気は和夫にはなかった。  と、香夜子が言った。 「困ってしまうのは、自分に対してなんです」  和夫は少し首を傾げた。香夜子らしい言い方だけれども、なにが言いたいのかいまいち的を得られなかった。 「大切だって言いたい人に大切だって言えないでいる自分が嫌……」  和夫は今までのことを思い返しながら、その大切な人が自分だったらいいなと思いながら言った。 「そういうのはさ、言いたいなって思った時に、きっと自然に言えるんじゃないかな」  まるで自分がそうあるように。  漸く少しだけ香夜子の顔に笑顔が戻った。  みんな大切、それから、香夜子にとって今一番大切な人はきっと和夫だ。そう思えたら、和夫の言葉がすとんと胸に落ち着いた。  きっとそのうち言える。そんな気がしてきた。 「ねえ、香夜ちゃん。このまんま手繋いで帰っちゃおっか?」 「え?」 「いや?」  それから一拍置いて、香夜子は言った。 「先輩となら嫌なんかじゃないです」  くすぐったい、照れくさい、でも心が躍る。和夫はいつもこんな気持ちをたくさんくれる。なのにどうして気持ちを具体的な言葉にできないでいるのだろう。  嬉しいなと思ったら、きちんと素直な気持ちを伝えられる日が早く来ますようにと香夜子は願った。もちろん、願うだけじゃ叶わないとわかっていても。
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