第五話

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 どんどん二年生の自己紹介が進んでいく。自分たちの番まであっという間だ。香夜子の焦りと不安が最高潮に達した頃合いで順番は来てしまった。  がちがちになりながら、亜樹也のおかげで共に前に出てみたものの。  見るからに緊張している一年生を前に、教室中がはらはらとしだした。「がんばれ、一年一組委員長!」と嫌味もなく心の中で応援を送るものの、うっかり固唾を飲む。  和夫が苦笑いを浮かべる亜樹也と顔を合わせたら、背後でぎゅっと制服の裾を掴まれた。香夜子の手だ。突然困らせた自分なんかを頼ってくれるのが、和夫は嬉しかった。そうして、ぽんぽんと2回、香夜子の背中をそっと叩いた。  香夜子の耳元に、小さな声で「大丈夫だよ」と優しい声が聴こえた。背中の感触が、お守りのようにふわりと自分を包み込んでくれるようだった。  香夜子は不思議と動きだせた。  教壇に背を向けて勇気を出してチョークを手に取りぎゅっと握った。木ノ下香夜子と名前を書き、前を向こうとした。  と、和夫がいきなり大きな声を上げた。  驚きでびくりと跳ねた香夜子の肩に手を置いて自分の方へ向かせると、和夫は勢いよく言った。 「キノちゃん、書記やろう!」 「え? え?」  唐突な事の成り行きに追い付けない香夜子はどうにかそう繰り返した。 「反対の人、手ー上げてー」  混乱している香夜子は余所に、前に向き直った和夫が挙手を促すと、誰も手を挙げなかった。 「キノちゃん、嫌?」  そんな風に顔を覗かれて聞かれて、香夜子は首を横に振った。  不思議な気分になった。首を縦に振るという選択肢は覚えなかった。  楽しそうで嬉しそうな和夫の笑顔は決して押し付けがましくなく、そうしたら自然と頷かない勇気だけが飛び出した。  こうして香夜子は前期級長会の書記になってしまった。 「じゃあ、書記のキノちゃん。自己紹介の続き」  和夫に促されて香夜子は一呼吸した。  新しいことを始めるには勇気が要る。新しいことが始まるのは緊張する、不安になる。きっと、和夫のような人はそんな風に考えないのだろう。  そんなことを思いながら、香夜子は勇気を出して口を開いた。 「一年一組委員長の木ノ下香夜子です。書記を務めます。よろしくお願いします」  そうしてぺこりと綺麗に頭を下げて顔を上げた香夜子は、すっきりとした笑顔を浮かべていた。  滲むはつらつさにみんなが驚いたけれど、心地良い雰囲気が教室を包み込んだ。  教壇の陰で、和夫の手が香夜子の手に触れた。がんばったねとでもいうように。優しく握られた。
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