Ep.98 誰もが知る御伽話の真実 [後編]

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Ep.98 誰もが知る御伽話の真実 [後編]

 足元の魔方陣に沈むみたいに飲み込まれ、気がつくと深海のような蒼い空間に一人で漂っていた。吟遊詩人の歌のように柔らかく耳を掠めた声に、ハッと目を見開く。 『かつて、禁忌を犯し神の怒りに触れた一人の聖霊が、魂を闇に蝕まれ醜い怪物に成り果ててしまいました。その怪物は人々の心の闇を操り、多くの命を奪いましたが。聖霊の王様から4つの力を授けられた騎士と聖女の力で怪物は封じられ、世界には平和が戻りましたとさ』  それは、この大陸の誰もが知る、絵本に記された些細なおとぎ話。 (昔、学園長から聞いたのと同じお話だわ……)  絵本でのハッピーエンドと違い、現実の歴史では四人の勇者は魔族となった聖霊の封印で力尽き息耐えてしまったと学園長は言っていたけど。聖霊王様曰く、真実はそうでは無いらしい。 『その目で見てくると良い』と言う台詞から考えると、私が居る位置から真下に見えている光景こそが、秘匿とされた“真実”の一部なんだろう。   幹も葉も白く輝く木々に囲われた、神聖な場所。今よりも景色は古いが、間違いない。 「聖霊の森だ……」 『その通りだ。もう随分と昔の景色になるが』 「聖霊王様!あれ?居ない……」 『すまんな、そこは我々の記憶を元に造った水鏡の中の幻影世界だ。声は届くが、姿までは見せられん』   声は聞こえても姿は見えず。   そんな異質な空間の中、今しがた見ていた景色が泡のようにパチンと弾ける。その瞬間、視界の位置が変わった。空高い位置から地上を見下ろしているような感覚だった。   そんな古の世界の天から、聖霊の王が語りだす。 『そもそも。かつて、我等の中に聖霊と魔族等と言う隔たりはなかった』   そうなのか、と思いながらふと真下を見ると、何の前触れもなく小さな魔法陣が現れた。そこに向かい、一人の聖霊が飛び込む。と、同時に世界が切り替わった。  今よりも造りはレトロだが、明らかに人為的に造られた小さな家が立ち並ぶ場所……。 「人間界……ですね」 『左様。あの聖霊は人間との契約に呼ばれたのだ、見てみよ』   促されるまま見ていると、痩せ細った老人が魔法陣から現れた聖霊に手を組んで何かを頼んでいる場面で。聖霊が頷き片手を振ると、老人の家の周りにたくさんの果実を実らせた立派な木々が生えた。   まるで果樹園のようになったそこに、老人に負けず痩せ衰えた村人達が群がっていく。 「飢饉……ですか。今みたいに安定して作物が国に行き渡るようになるよりずっと昔の世界なのね。あのお爺さんは、村人が飢えないように聖霊に食べ物を頼んだんだわ……」  推理してる間に場面は進み、老人が聖霊に礼を述べて何かを差し出していた。どうやら、蚕のまゆの糸で織った布……所謂シルクのようだ。  それを受け取り微笑むと、聖霊は森へと帰っていった。 『これがかつての人間と聖霊の関係だ。些細な望みを叶え、人間からは感謝の思いを受けとる。たったそれだけの、なにも複雑でない世界だった』  飢饉の村を救うことが些細かは別として、言いたいことはわかった。かつての人間達が聖霊に願っていたのは、飢え死にしたくないとか、行方不明の家族を探してくれとか、そんな切実な願いばかりで、叶えてもらった人々は心底嬉しそうに感謝を示している。 『我々の存在には、信仰心が必要だ。その点も踏まえて、この関係は実に合理的である……筈だった』  しかし、ある時だ。一人の若い未亡人に呼び出された聖霊の男が、その人間に恋をしてしまった。  そして。 『私の命をこの身体から抜き取り、腹の中で死んでしまった我が子に与えて下さい……!』  あろうことかその女性が悲痛な声で聖霊の男にそう願ったのが、私の耳にまでハッキリ聞こえた。  聖霊の男は悩み、葛藤し、そして……、涙を一筋こぼした後、女性の胸を剣で貫いた。  飛び散る血飛沫の中、安堵するように微笑んだ女性の体から完全に力が抜ける。代わりに辺りに響くのは、聖霊が女性の体から魔力で己の腕に移動させた赤ん坊の産声。  若き母親はその魂を対価とし、一度己の胎内で死した赤子の蘇生を果たした。……果たして、しまった。 『世界には、例え神に近しい聖霊ですら決して触れてはならぬ禁忌がある。死者の蘇生こそ、まさしくその禁忌だった』  『だからなのだろうな、歪んだ力が生まれてしまったのは』  その言葉を最後に、見ていた世界が黒く染まる。  次に目を開けたその場所に、銀髪の聖霊は居なかった。 『漆黒の髪に白銀の瞳、禁忌により光を奪われた者が手にした闇の力……。これが、魔族の誕生だ』  黒く変わってしまった男が手をひとつ振るえば、天災が起こりひとつの村が一瞬で壊滅した。その光景に、ひっと短い息が漏れる。  そんな中、同じように魔族の厄災による全滅から唯一逃れたある村娘が、自らの命を対価にある賭けに出た。あろうことか、この厄災を治める為に、聖霊の王を呼び出そうとしたのだ。 『時間もないのでこの辺りの経緯は省くが、私も妻もあれほどの絶望の中で尚輝きを失わぬその娘の魂の清らかさが気に入ってな。だからわざわざ顔を見せてやったと言うに、初対面の第一声が『お化けぇぇぇっ!』と来たもんだ。あのときは本当に笑ったよ』  懐かしさをにじませた聖霊王様の優しい声に、私は思わず両手で顔を覆った。まさか、ご先祖様と全く同じリアクションをしていたなんて……! 『まぁ、血は争えんと言う奴だろうなぁ。それより、見ておけ。ここからが、我らがそなたをここに呼んだ本題だ』  また場面が切り替わって、場所はドーナツ型の大陸の内側の海にポツンと浮かぶ自然豊かな無人島。その中心の白い寝台に、“魔族”と呼ばれる禁忌を犯した聖霊の男が横たわっていた。  その島に向かい、ドーナツ型の大陸の南側に佇む金髪の美女が指輪を外し宙に掲げる。指輪が発した金色の粒子を纏う水の魔力が柱となり、無人島に向かい飛び立った。同時刻、北からは深紅の炎の魔力が、西からは爽やかな翡翠色の風の魔力が、東からは、天地を司るような力強い大地の魔力が。同じように柱となって、一斉に無人島で眠る魔族の青年に降り注ぐ。4つの光は重なって、白い十字架の形となる。  その十字架に誘われ、魔族の青年が眠る寝台は、ゆっくりとその無人島の大地深くに吸い込まれて入った。  パチンっと、泡が弾けるような音がした。  急に身体を支えてくれていた浮力がなくなって、下にそのまま落っこちる。ポスンとたどり着いた先は、聖霊王様の膝の上だった。 「まぁ、大分割愛したが、以上が人間界には伝わっていない“魔族”誕生の真相と、“聖霊の巫女”と三人の騎士による封印の功績だ。そこで、そなたに頼みたいことがあったのだが……、何故、泣いている?」  聖霊王様の大人らしい大きな手が、そっと私の背に触れる。 「ごめんっ……なさい……!でも、でも……っ、愛した人の願いを叶えて、道を違えてしまった魔族さんの事を思うと、なんだかすごく、悲っしく……てっ……!」  もう、今さらどうにもならない、過去の話だ。そうわかっていても、ボロボロとこぼれる涙が止まらなかった。 「……やれやれ、本当に、聖霊の巫女の血筋は心優し過ぎて敵わんな」 「全くだ。……だが、だからこそ、私の指輪はこの娘を選んだのだろう」  息も乱れるほど泣きじゃくる姿に『困ったな』なんて笑いながら、世界一長寿なご夫婦は、私が泣き止むまでずっと優しく背中を撫で続けてくれた。    ~Ep.98 誰もが知る御伽話の真実 [後編]~ 『[二人は幸せに暮らしました]なんて、おとぎ話のエンディングが、本当の幸せだったのかは……誰にも、わからない』
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