探偵と指輪

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 辻馬車はガタガタと揺れながら車輪を動かし、高級住宅街を抜けた。  清潔感があった街並みから、徐々に徐々に汚さが目立ってあった。行き交う人々の服装も、小汚くなっていった。  ようやくタバコを解禁された私は、左にタバコを持ち、美味そうに吸っていた。事実、美味いのだった。  ニキビ面の男は向かい側の奥に座り、恐々と縮こまっていた。私に目を合わせようともしなかった。  それも仕方のないことだった。私が、彼にリボルバーを向けていたからだ。銃口を向けられれば、誰でもそうなってしまう。  私は左手でタバコを吸い、右手でリボルバーを持っていた。ももの上に乗せ、銃口がニキビ面の男を捉えていた。  私は一口煙を吸い、ゆっくり吹き出すと、その煙を見ながら、 「お前らも馬鹿だな。わざわざ乗り込むなどと。リスクがあり過ぎる」 「うるせーよ……。まさかあんたみたいな人がいるとは思わいないだろう」 「だから馬鹿だと言うんだ。撃ち殺されても文句は言えないぞ」  ニキビ面の男はリボルバーに目を落とし、ゴクリと唾を飲んだ。そして小さなため息をつくと、 「先生が殺されたってのは本当なのか?」 「私はその現場にいたんだ。本当だよ」 「いったい誰に?」 「それは解らん」 「そう、か……」 「だが、あんな騒ぎを起こしたんだ。君たちがやったと思われても仕方がないぞ」と私は言った。 「とんでもねえ!」とニキビ面の男は大声で言った。「殺しなんて、とんでもねえ……」  確かに殺しをできるではなさそうだ。せいぜい、ゆすりくらい。それも殴られて終わるのが関の山だ。 「先生とは、付き合いがあったのか?」と私は訊いた。 「友人ではなかったが、賭博屋で顔を合わせば話す程度だ。口の汚い野郎でねえ」 「そうか。じゃあ、先生は誰かに怨まれてはいなかったか?」  私は下に灰を落とすと、煙を吸った。 「こういっちゃなんだが先生は嫌われていた。けど殺されるほどじゃないと思う。まあ、酒場でもよく汚い言葉を吐いていたらしいから、かっとなってその場で殺っちまうってことはあるかも知れねえな」 「いや、あれは計画的犯行だった。バーで待ち伏せされ殺されたんだ。かっとなってではない。それに、犯人は変装をしていた可能性が高いんだ」 「だったら、わざわざ計画してまで殺そうとするやつは、思いつかないな」とニキビ面の男は言った。「もともと交友関係は少ない野郎だったし」 「そうか」  だから、警察も身元を割り出すのに苦労したのだろう。  私はタバコを下に落とし、火消しのため踏みつけた。白いフィルターは黒くなり、ひしゃげた。 「そういえば……」とニキビ面の男は言い、私を見つめた。「野郎たしか、マフィアのことをくそみそに言いやがって、それが連中にバレて脅されていたことがあったよ」 「だが、それだけで奴らが殺しをするとも思えないな」 「奴らにもメンツってもんがある」 「メンツねえ」  私は吐息をつき、窓の外に目を向けた。  気がつけばごみごみとした汚い街だった。馬車は貧困街に入っていた。がらも頭も悪いのがうろうろしている。  ここがニキビ面の男が住んでいる街だった。先程までの高級住宅街とは大きな違いだった。ここではこのニキビ面の男も、どこにでもいる普通のチンピラだった。  私はリボルバーをももに乗せると、財布を取り出し、札束をニキビ面の男に差し出した。男は私を見つめ、困惑した表情を見せた。年相応の愛らしい表情だった。  私は言った。「お前には色々話を聞かせてもらった。これはお前が先生に貸した金と、余分なのは今回の謝礼だ。あまり多くはないがね」  ニキビ面の男はたちまち表情を明るくさせた。やはり年相応の愛らしい表情だった。 「あんた、いい奴だな」とニキビ面の男が言った。 「知らなかったのか?」  すると、男はニキビ面をくしゃくしゃにして笑った。ふとこいつのニキビがなくなった綺麗な面を想像してみたが、無駄だった。ニキビ面が板についていたのだ。 「またなんか解れば、あんたに知らせるよ」とニキビ面の男は言った。 「ああ、頼むよ」  だが、私は名刺を渡さなかった。理由は簡単だった。どうせ意味がないからだ。  数分後、馬車が止まった。私はももに置いていたリボルバーをもう一度右手で持つと、窓の外をうかがった。  馬車は大きな道路に停車していた。左右には薄汚れたアパートやレンガのボロい家が、所狭しと並んでいた。部屋の中に陽の光はなかなか当たらなさそうだった。  ニキビ面の男はリボルバーを見ながら言った。「どうしてまたそんな物騒なものを持つんだ」  私はチラリとニキビ面に目を向けると言った。「もしかしたら、お前のお仲間に襲撃されるかも知れない。用心のためだよ」 「ふうん。心配性なんだな、あんた」 「そうじゃなきゃ探偵は務まらない」 「そんなもんかね」とニキビ面の男は言った。「じゃあ出るぜ」 「ああ」  扉を開けると、ニキビ面の男は外に飛び出した。後ろを振り返ろうともさず、野に放たれた犬のように駆け出した。  私は扉を閉めると、少しばかり外の様子をうかがった。どうやら、銃器を持った男たちが出てくる様子はなかった。  だがその代わりに、売春婦らしい女が馬車に近寄ってきた。派手は化粧をし、胸がはだけた色褪せたドレスを着ていた。ドレスと言える代物でもなかった。  私は馭者に出してくれと言った。  馬車が進み出すと、売春婦の足は止まった。そして忌々しそうに道路に唾を吐くと、次の客引きに向かった。  私はにやっと笑みをもらし、シガーレットケースを取り出した。
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