探偵と指輪

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「いつから、解っていたんです」と夫人は言った。グラスを両手で持ち、それに目を落とした。そうしてぐいっとあおった。いい飲みっぷりだった。 「あなたを事務所に呼んだとき、あなたはポーチから拳銃を出しましたよね。あれは犯人と同じリボルバーでした。メーカーも銃の種類も、色も」 「よく見ていますわね。店内は薄暗かったのに。ですが、たまたま同じだったのかも知れませんよ」 「その通りです。だがそれだけじゃなく、他にもそうじゃないと思う要素がありました。  旦那さんがバーに入ってきて、浮浪者ふうの男が近づいてくると、旦那さんはあっと声を出し、なにかに気づいたようでした。あれは、いったい誰であるか解った反応でしょう。そして息を引き取る間際、旦那さんは〈どうして……?〉と呟きました。つまりそれは、旦那さんに取って意外な人物だということです。怨まれるほどじゃないにしろ、旦那さんは嫌われ者で敵が多いようでした。だが、そいつらの仕業ではないでしょう。それだと、どうして? という最後の言葉は似合わない。言うのなら、酒場で吐いていたような汚い言葉だ。だから、旦那さんにとって犯人は意外な人物だったのです。心を許していた人物、と言ったほうがいいかも知れません」  私はライウイスキーを飲んだ。そして吐息をつくと、また話し出した。 「私たちは犯人を、浮浪者ふうの『男』と呼んでいました。男だと決めつけていた。ちゃんと顔を見たわけでもないのに。だが、それも無理のないことでした。あの伸びきったヒゲに浮浪者のような格好。男と思ってしまう材料だらけです。特に。必然的に男と思ってしまうのです。しかし、変装である可能性は高かった。  変装だと考えた場合、浮浪者ふうの格好をしつけヒゲをして、人相を分からなくするのは納得できる。だが、手袋までして肌をまったく見せようとしなかったのは、少しばかり引っかかった。肌を見られれば、困ることがあるのだろうかと。考えていると、女性なのではないだろうかと私は思いました。女性の肌は男とは違いきめ細かく、線も細い。特に手は一目瞭然です。女性の指はほっそりと綺麗です。だから、手袋をして隠しているのかも知れないと思いました。完璧に変装しているということは、裏を返せばそれだけ自分がバレやすい存在だということです」  夫人はグラスに目を落としたまま、話を聞いていた。なにか別のことを考えているのかも知れないが、私としてはそれでも良かった。私はただ話しを続けるだけだった。  私が大きくライウイスキーをあおると、夫人もそれに合わせるように酒を飲んだ。やはりいい飲みっぷりだった。 「あれは計画的犯行でした」と私は言った。「ターゲットが訪れる前にバーに隠れ、来たところをズドン。待ち伏せというやつです。  だが旦那さんがあのバーにやって来たのは、あれで二回目でした。馴染みにはなっていませんでした。なので、予測して先回りするのはいささか難しい。馴染みになっていないのだから、予測のしようもない。待ち伏せできるのは、事前にどこどこに行くと聞いていた人物だけだ。奥さん、あなたは旦那さんがどこに行くか聞いたんですよね。私にもそう言っていました。待ち伏せしようと思えばできるのです。旦那さんは友達がいないようでしたし、他の人にはわざわざどこに行くとだとか言わないはずです。  それに、動機という点で考えた場合、あなたが一番可能性があるんです。憎しみから、ですか?」  今度は反応があった。夫人はゆっくりと顔を上げると、私を見た。深い哀しみが渦巻く瞳をしていた。そこには小さな私が映っていた。  夫人は私から視線を外すと言った。「憎しみ……。それもあるかも知れませんが、私はあの人を愛していました。でも、辛かった……。暴力とその次にくる優しさも。酒に溺れ女に溺れ、自分を見失っている夫を見るのは、苦しかった。あんなにも熱意があり、夢を語っていたのに……。主人自身も、苦しんでいました。だから酒や女に溺れるのです。もう、終わりにしたかった……。いずれ、私も主人も悲惨な目にあっていたでしょう。あと三、四年もすれば、お金も尽きてしまいます。やり直そうにも、主人の熱は消えてしまっています。もう疲れたんです。他の人はそれは間違いだと言うだろうけど、私にはそれが正しい選択だと思えました。主人も救われたはずです。すべてから解き放たれたんですから。愛しているがゆえの、選択です……」  私は小さく頷いたが、いったい彼女の気持ちのなにを解るというのだろうか。私は自分を笑った。 「でも、今となってはなにが正しかったのか、わかりません」と夫人は言った。「ですが、これだけは言えます。疲れました」  夫人は、最後の一口を飲み干した。今、思い出の酒はどんな味がするのだろうか。私はライウイスキーを少し飲んだ。だが、答えは出なかった。
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