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【計画実施】赤いスカジャンの変質者
翌日、私はお孫さん――正確には白猫の白夜さん――に言われた通り、アパートに自転車を置いてバイトへ出かけた。
「全力で俺様を信じろ……か」
はあっと深いため息がもれる。言われたことはわかるけれど、やっぱり気が重い。昨日もよく眠れなかったし、大学の授業も耳に入ってこなかった。
一日中、バイトからの帰り道のことを考えて不安で不安で仕方なかった。
「北野くん」
不意に耳元で声がして、ビクッと体が震えた。振り返ると店長が私の後ろに立っていた。
鼻先がくっついてしまうくらい顔が近くて、少し身を引いてしまった。
「ぼうっとしているけど、大丈夫かい?」
「あっ、す、すみません」
ペコリッと急いで会釈をして、磨き途中のグラスを手に取った。
だけど慌てて手にしたせいで、スルッとグラスが床に落ちてしまう。グラスはパリーンッと派手な音を立てて木端微塵に砕けてしまった。
「も、申し訳ございません!」
フロアにいるお客様に向かって謝罪をしてから、急いで身を屈める。砕けたグラスの破片を拾おうとした私の手が力強く掴まれた。
息を飲んで手の持ち主を確認する。店長が険しい表情で私を見つめていた。
「あの……店長?」
「目の下にくまができてるし、ずっとぼんやりしているから。今日は君の家までぼくが送っていってあげるよ。心配だから」
「いえ、その……大丈夫です。それに私……」
「いいかい、北野くん。そこからフロアを見てごらん」
「え?」
店長が私の壁になるように移動すると「窓際の赤いスカジャンの男」と言った。
「君が入る前からずっといてね。どうも君のことをチラチラ見ている気がするんだよ」
「そ、そうなんですか?」
驚いて目をぱちくりとさせる私に、店長は「間違いない」と答えた。
「帽子を被っているせいで表情はわからないが、どうにも怪しいんだよ。あの男。君がかわいいから狙っているのかもしれない。最近はこの辺りで女の子が襲われたっていう噂もあるし」
店長の肩越しから、窓際に座る赤いスカジャンの男性を見る。
目深にスポーツ帽を被っているせいで顔はよくわからない。たしかに一見するとガラが悪い雰囲気はある。
だけど私は思わず吹いてしまった。彼が頼んでいる物は見た目や雰囲気とあまりにもギャップがあったためだ。
「店長の思い過ごしじゃないですか? あんな恰好しているのに、フルーツパフェを頼んでますし。しかも、キングサイズって、ちょっとかわいくないですか?」
高さ60cm、重さ約4㎏という巨大パフェを、スカジャンを羽織った男性がひとり黙々と食べている。すでに器の半分以上を食べ進めている彼は、一口食べてはニヤッと口元を緩める、を繰り返していた。
私から言わせれば怪しいというより、なんだかほほ笑ましい。見てくれこそ悪ぶっているのに、女子っぽいのだから。
「そ、そうかな?」
店長が目を泳がせる。私の答えが彼の想像していたものとは違ったせいで動揺したのかもしれない。
店長が急いで割れたグラスの破片を片づけ始めた。
「店長、本当にご心配をお掛けしてすみませんでした。本当に自分で帰れますから大丈夫ですので」
「そ、そうか。それなら仕方ないな」
破片を拾い終えた店長がすごすごと店の奥へと戻っていった。
閉店まであと30分。店内にいるお客さんはスカジャンの彼とふたりくらいしかいない。
ひとりは仕事帰りっぽい中年のサラリーマン。もう一人は理学系の大学生っぽい真面目そうな男性だ。彼は壁際の席でずっと分厚い参考書を読みふけっている。
「考えても仕方ないか」
どの人を見ても怪しく見えてしまう。店長だってすごく怪しい。
だけど、どんなに疑ってみたところで、問題そのものが解決するわけじゃない。お孫さんが歩いてバイトに行けと言ったのもきっとなにか意図があるに違いない。
それに神主のおじいさんが推した人なのだ。
――大丈夫よ、あかり。信じる者は絶対に救われるんだから!
気を取り直して私は仕事を始めた。明日のモーニングの用のカップやカトラリーをセットする。集中したおかげか、あっという間に時間がすぎて閉店になり、残っていたお客さんも次々と会計を済ませていった。
スカジャンの男性がきれいに空にしていった巨大パフェのグラスを片づけると、私も帰り支度を始めた。
店長は帰り際にも送っていくと言ってくれたけれど、丁寧にお断りして店を出る。
店の出口でふぅっと一呼吸置く。
帰路は自転車で通う道と同じにしろと言われているから、普段使っていない大通りは歩けない。大通りのほうが交通量も多く、人の目もあるから不安は断然少なくて済むのに。
仕方なく、自転車で通る道へ足を向ける。住宅街だから車があまり通らない。自転車で走るには快適そのものの道も、歩くとなると死角だらけで怖さが倍増する。
ショルダーバッグを引き寄せて胸に抱いた。数m歩いたところでブルンッというバイクのエンジン音が聞こえた。
反射的に振り返る。暗闇を照らす明かりが見えた。
だけどもっと驚いたのは、その明かりに照らされた人物のシルエットだった。
身長の高い男性が立っていた。目深にかぶったスポーツ帽のせいで顔まではわからない。
だけど明かりに浮かんだ赤いスカジャンはハッキリと覚えている。そうだ。店でキングパフェを食べていた彼だ。
ずいぶん前に店を出て行ったはずなのに――
――逃げなきゃ!
慌てて身をひるがえす。姿勢が整わなくて、つんのめってしまいそうになりながら、足を前へ前へと必死に繰り出した。
そんな私の横を一台のバイクが追い抜いた。赤いランプが灯ってバイクが少し先で停車する。
外灯の下で私は足をとめた。
そのとき、またバイクの音がした。前で停止しているバイクではない。後ろから聞こえた。
ゆっくりと音のしたほうへ顔を向ける。乱れた呼吸で思いっきり息を吸いこんでしまったから、ヒィッと高い音が鳴った。
ブルンブルンとエンジンを噴かす音が断続的に響く。額から流れた汗があごを伝う。
「もう鬼ごっこはやめようよ、お姉さん?」
耳元で声がして、ポンッと肩を叩かれた。
体が一気に強張る。いやな汗が全身の毛穴から噴き出した。膝ががくがくと震える。後ろを向けない。目に映る明かりが徐々に近づいて来る。
「お姉さんさえ抵抗しなければさ。痛い思いしなくて済むんだけどなあ」
バイクのエンジン音がどんどん迫ってくる。この間の男たちにまた挟み撃ちにされたのだ。
今度こそ終わりだ。
こんな怖い思いをするくらいなら、店長に送ってもらったほうがマシだっただろうか。
「大丈夫だよ。今度はちゃんと優しくするからさ」
後ろに立っている男の息が耳に拭きかかる。ゾゾゾゾゾッと背筋を虫が這う感覚に襲われる。
脳が『逃げろ』と体中に信号を送っているはずなのに、金縛りにあってしまったかのように足も、腕もまったく動かない。
ブルンッ――エンジン音が目の前で鳴った。バイクの灯りが私を照らす。
「おいっ、まぶしいだろう! ライト消せよ、バカッ!」
私の後ろに立っている男が苛立った声でバイクにまたがる人に向かって叫んだ。
「バカはおまえだ。俺様を誰だと思っていやがる」
「はっ? 真面目にやれよ、黒崎! この仕事終われば10万円の報酬待ってるんだからさ!」
「ふーん。こっちのバカは黒崎って名前か」
どさっと重たい音がして、なにかが私の足元に落ちた。視線だけを足へずらす。
口を半開きにした男が倒れている。白目をむいて、ぐったりとしている。ピクリとも動かない。
「くっ、黒崎!」
後ろにいたはずの男が慌てふためいて足元で倒れる人へ駆け寄った。体をゆさぶって何度も「黒崎」と名前を呼ぶが、相手からの反応はまったくない。
「お、おまえがやったのか!」
バイクへ向かって男が叫んだ。バイクの灯りがすうっと消える。
「ああ、俺様がやった」
暗闇の中に二つの青い瞳がくっきりと浮かんだ。バイクから降りたのか、目だけが右へ動く。
アスファルトを踏む足音すらしない。しんっと静まり返った夜道に浮かんだ青い目だけが徐々にこちらへ近づいて来る。
「ひっ、ひいっ!」
男が仲間を見捨てて四つん這いの姿勢のまま逃げようとしたときだった。
「んぐあっ!」
突如暗闇から伸びてきた腕が屈んでいた男の頭を掴んだ。逃げようとしていた男の背中が弓なりに反って、骨の軋む鈍い音が響いた。
「いだああああっ!」
男の口から絶叫が飛び出した。男を掴んでいる相手が暗闇から静かに姿を見せた。
――えっ!?
目を見張る。私を襲おうとしていた相手を見下ろしている青い目の持ち主は、巨大パフェを食べていた赤いスカジャンの男性だったからだ。
スポーツ帽を被っていない彼の頭から大きな白い三角耳がにょっきりと生えていた。まるで、私が昨日会った白猫さんのように大きな耳が。
赤いスカジャンの男性は私に目もくれず、そのまま掴んだ男に問いかけた。
「あかりを襲えとおまえたちに依頼したのは誰だ? 答えたら命だけは助けてやる。いいか。いくぞ? 5。4。3……」
「ふ、復讐依頼掲示板だ! い、依頼主のハ、ハンドルネームは、ア、アインシュタイン……!」
「会ったことは?」
「な、ない! だ、だけど、ち、近くにはい、いるんだ、絶対に! ほ、本当に実行できたか、か、確認をするために!」
「そうか。他に知っていることは?」
「そ、それだけだ! お、俺達はそ、その女をヤレば金をくれるってい、言われただけだ。本当に、な、なにも知らねえ」
「じゃあ、質問を変える。たった10万そこらで女を傷つけようと思ったのは事実だな?」
「そ、それは……」
「事実だよな?」
「は、はい!」
男が返事をすると、スカジャンの男性はパッと手を離した。そのまま周りを伺うようにうろうろし始める。
背中を向ける男性を確認した男は助かったと思ったのだろう。ゆっくりと立ちあがった。
そのまま逃げるのかと思ったら、勢いよく男性に向かって走っていく。その手にはサバイバルナイフが握られていた。
「逃げてっ!」
咄嗟に叫んだ。その声に大きな白耳がピクッと反応する。
スカジャンの男性がくるんっと軽く宙を飛んだ。そのまま回転して駆け寄ってくる男の背中に両足で蹴りを入れる。
勢いづいた男はそのまま、住宅のコンクリートの壁に無様に激突した。壁に血の跡をずるずるとつけながら、男の体は地面に沈んで動かなくなった。
「そのまま逃げれば痛い思いをしなくて済んだものを。本当に救いようがないバカだな」
パンパンっとスニーカーの底を払いながら、スカジャンの男性が呆れたようにこぼした。その背中に向かって「あの……」と遠慮がちに問いかけた。
「助けていただいてありがとうございます」
彼がこちらを振り返る。外灯にうっすら照らされた彼の顔をハッキリと確認して、ぽかんと口を開けてしまった。
「お孫……さん?」
髪と目の色が変わっている。猫みたいな耳も生えている。話し方と雰囲気は180度違っている。別人だけど別人には思えない。双子……なのだろうか?
「俺様は白夜様だ。あと、俺様のことを変質者と間違えて逃げやがっただろう? まったく、人を見た目で判断しやがって」
「間違えるなって言われても……どこをどう見てもお孫さんだし。状況から考えても怪しすぎるもん」
「俺様みたいな超がつくイイ男が犯罪に手を染めるなんてありえねえだろうが!」
「じゃあ、お孫さんじゃないって言うなら、あの猫ちゃんってことなの?」
お孫さんは白猫を『白夜』さんと呼んでいた。
猫が人間になるなんて不思議だけど、神守坂神社と繋がりを考えると、不可能ではなさそうな気もする。
「アイツの体を借りているのは事実だが……猫ちゃん言うのはやめろ」
むっと口をへの字にする顔はたしかにあの気難しそうな白猫そのものだった。
「神守坂神社を守っている神様はあなたなの?」
「まあ、そうなるな。今は理由があって、あそこにはいないが……さて、送っていくから帰るとするか」
「え? でも、真犯人はまだ近くにいるんじゃ……」
「まあ、明日のニュースを楽しみにしてな」
そう言って白猫が乗り移ったお孫さんがニッと白い牙を見せて笑った。
「アインシュタインなんて偉大な科学者の名前を語るがり勉ヤロウなんざ、ギッタンギッタンにして、その首を社会に晒してやるからさ」
と、彼は楽しげに鼻を鳴らしながら、そんな物騒なことをさらりと言ってのけたのだった。
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