28人が本棚に入れています
本棚に追加
【モニタリング】未来の女?
「そうかね。力になれたようでよかったわい」
「はい。本当にありがとうございました」
暴漢事件の翌日、私は『神守坂神社』に来ていた。
108段ある階段を上った先にある神社にやってきたのは、神主のおじーさんに感謝を伝えるためだ。
お孫さんに乗り移った猫ちゃんによって退治された暴漢二人はその後、近所からの通報で駆けつけた警察に捕まった。事情聴取の結果、復讐屋という犯罪を依頼する裏サイトがつきとめられ、利用者全員が逮捕される事態となった。
もちろん、私に復讐する依頼をかけたという『アインシュタイン』その人も逮捕されることになったのだ。
「でも、まさか復讐理由が『水をこぼされたから』だとは思いませんでした」
『アインシュタイン』の名を語った犯人は、店によく来る大学生だった。私が暴漢に襲われる日にもいた、あの真面目そうな理系学生だ。
大事にしていたスマホの上に水をこぼされて、中に入っていたアイドルとのツーショット写真のデータが消えてしまったことを恨みに思っての犯行依頼だったという。
この事件は翌日のワイドショーでも持ちきりの話題となって大きく報道されることになったのだが、暴漢たちをボコボコに倒したヒーローのお孫さんと猫ちゃんこと白夜様については一切触れられることはなかった。
「それにしてもアルバイトも大変じゃなあ。データがなくなったのは水に濡れたのを確認しようと操作したら、手が滑って消してしまったのが原因なのにのお」
私の隣でお茶をすすりながら、おじーさんは目を細めた。「そんな些細なことで復讐されたらたまったもんじゃないのお」と困ったように腕を組んだ。
「お客様からしたら、アルバイトも正社員もないですから。プロはプロらしく、ミスはしちゃいけないんだって、今回のことで学びました」
アルバイトとはいえ、ちゃんとお金をもらっている仕事だ。どんなお客様が来るかわからない。
だからこそ、きちんとしなくちゃいけないんだとつくづく思ったのだ。
「あかりちゃんはまじめでいい子だねえ。そりゃあ、うちの神様も味方になってくれるはずじゃて」
今度はうれしそうにわっはっはと大きく口を開けて豪快に笑う。本当に感情豊かな人で、こちらもつられて笑ってしまう。
「そう言えば、ここへ最初に来たときのことを、君は覚えているかね?」
「はい。今でも覚えています」
「では、そのときに君があの方の御前で『いつか必ず御恩返しいたしますから、どうか、どうか助けてください』と涙を流しながら頼んだのは覚えているかね?」
「え? 白夜様、あのときあそこにいたんですか?」
「御前というよりは、背後に座っていたというべきかのお。まあ、あのときからじゃよ。いつか恩返しをしてもらわねばならないからと……ずっと君のことを気に掛けておったのは。今回のこともかなりお怒りだったからなあ。俺様の未来の女に手を出すとはって」
「未来の……女?」
「まあ、ちょっと、ここだけの話。あの方は女癖が悪くてなあ」
ひそひそと私の耳元に口を寄せておじーさんが言ったときだった。ぱあんっと背後で大きな音が響き渡った。思わずびくっと体を震わせる。
するとなにを思ったのか、おじーさんが飛び退るようにして私から離れた。地面に正座して私に向かって深く頭を下げる。
「あの……え?」
後ろを向いて納得した。私の後ろに白夜様がいた。ものすごい不機嫌だとわかる顔をした白夜様が、きれいに前足を揃えた形でちょこんと座っておいでだった。
「これはこれは白夜様。いらっしゃるとは露にも思わず」
「くだらんことをあかりに吹き込むな……とおっしゃってますよ、おじーさま」
白夜様の背後から黒スーツに身を包んだお孫さんが姿を見せた。私を見つけると「いつもおじーさまのお相手をしていただいてありがとうございます」と深々と頭を下げる。
「そうだ、孝明! わしは茶を淹れてくる! あかりちゃんが永崎屋のカステラをもってきてくれたのだ。白夜様もお好きでしょう? 少々お待ちくださいね」
そう言うと、おじーさんは高齢とは思えないほどの俊敏な動きで逃げるように屋敷のほうへと駆けていった。
そんなおじーさんをやれやれと見送ったお孫さんが「ところであかりさん」と私に問いかけた。
「店長さんは車の事故で足を折って、当面の間はお店をお休みされると伺ったのですが」
「あ、はい。そうなんです。なんか、前を横切った猫を避けようとして自損事故を起こしちゃったと、バイトの先輩に聞きました」
「そうですか」
「でも、仕方ありません。先輩の話だとお客さんだろうが、お店の子だろうが、関係なく何人も口説いて悪いことをたくさんしていたそうですから。これも天罰なのかなって」
「そうかもしれませんね」
ちらっと白夜様を見る。私が持ってきたカステラの箱に小さな鼻をくっつけて、ふんふんと匂いを嗅いでいる。ちょんちょんっと手で突っついた後、箱の端っこをカプッと噛んだ。
「ちょっと白夜さん。おじーさまがお茶を淹れてくるまで待っていてくださいって」
さっとカステラの箱を取り上げるお孫さんを恨めしそうな目で白夜様がじっとりと睨みつける。
「ああ、そうそう。あかりさんさえよければ、ここでバイトしてみませんか? おじーさまの話し相手にもなってあげてほしいし。化け物みたいに元気な人ですけど、年を重ねてずいぶんと心寂しくなっているようですから」
「あの……私にできるでしょうか?」
「大丈夫ですよ。バイト代は弾むようにって私からもきちんと言っておきますから」
「はい! ありがとうございます!」
こうして、私は大好きな神守坂神社で巫女見習いとして働くことになった。
「どうです? 粋な計らいでしょう?」
そう言ってお孫さんは片目をつぶってみせた。面白くなさそうな顔で、白夜様が大きな口を開けてあくびをする。興味なしとでもいうみたいに「ウナア」と小さく鳴いたあと、白夜様は空を仰ぎ見た。
透明度の強い水色の瞳が太陽光に照らされて、水晶のように輝いていた。
最初のコメントを投稿しよう!