走る女子高生は、誰にも止められない

1/1
前へ
/1ページ
次へ
嫌になる程、というまででもない東の日差しが照らすのは京都、丸太町通の南側の歩道である。ちょうど1つのスカートが、その加熱され始めたばかりのコンクリートの上を駆けていたのだった。 鞄は肩がけの黒。学校指定のものだろう。ストラップが1つ2つ…沢山付いているのがわかる。 ところで彼女は五分後、或る男子と衝突することになる。 同情するものもあるだろう。無理もない、女子高生なのだから。 しかしフィクションに生まれたからにはそれは定められた運命、というやつなのである。お約束、とも呼ぼう。 だから此処はしばし目を瞑って、文字を追おう。 全ては予定調和である。 走る女子高生は、誰にも止められない。 ああ、もう!全部お母さんのせい! 起こしてくれなかったのも、朝ごはんにわざわざ私の嫌いな納豆なんて出したのも、残そうとしたら怒って引き留めたのも、宿題のことを全く忘れてたことも! 私は京都御苑を右手に、丸太町通りの南側の歩道を、必死に、必死に走っていた。 今日遅刻するのは本当にヤバい。 一昨日、月曜は仕方なかった。 その前、日曜の晩に友達とライン通話しながら、一緒にホラー映画なんか見ちゃって寝れなくて、次の日は大寝坊。まだお母さんは少し呆れるくらいだった。 昨日は学校のせい。 うちの学校はなぜか知らないけど、火曜のチャイムだけ少しずれてる。1分強早いのだ。 いつもだったらそれに間に合うようなペースで走るんだけど、ずれを忘れちゃったらね。もう気づいた時には遅刻になってた。うん。 で、今日はお母さんのせい、ってわけ。もう、本当にツイてない。星占いも最悪だったし。9位だけど。 私がいつも通学に使う地下鉄は、ここ、今走っているこの地点からおよそ500メートル先にある。ダイヤ通りなら地下鉄はあと4分で到着する。これを逃したら…アウトだ。 スピードを上げる。 思えば最近、本当にツイてない。 唯一、映画を語り合える友達だった幸子にも彼氏ができて、私はもうラストガールだ。何がラストって?売れ残りってこと。言わせないでよ。 ああー彼氏欲しい。走りながらでも煩悩してる。ただ、ただその辺の男子に告って…とかはダメね。幸子がそうだったらしいけど、私はもうそんなんじゃ満足できない。もっと運命的でロマンチックな…出会いみたいな?ベタだけど、白馬の王子様… うおっと! スピード出すなら車道で出せよな、自転車。ぶつかって飛んで行っちゃうかと思った。 てか、あいつ、イヤホンしてたし。私、イヤホンしながら自転車乗ってる奴、一番苦手なんだよね。まずゼンテーとして、音楽聴きながら自転車乗るなんて最高じゃん?絶対楽しいに決まってんじゃん?それを皆グーッて我慢して、交通ルールだから、って守ろうとしてるのになんなんだアイツら。特にワイヤレスのやつ。ムカつく。 左手に家庭裁判所が見える。もう少し、あと1分で着くだろう。 電車は?…あと1分半! 女子高生は、走るスピードを一段と上げた。 こちらは京都を南北に走る、烏丸通の東側、つまり朝日はオフィスビルに遮られた日陰を走っているのは皆さん既知、いや既想像の通りでござろう男子高校生である。セットした前髪ももう乱れている。いっそ髪型をセットせずにゆっくり歩いていればその分シャツは汗臭くならなかっただろうに。 ところで彼は五分後、或る女子と激突することになる。物理的に。 羨望の目を向けるものもいるだろう。無理もない、男子高校生なのだから。しかしここはフィクションの世界、とやかく言うのも大人気ないと言うもの。暫しの間は、口を塞ごう。 全ては予定調和である。 走る男子高校生は、誰にも止められない。 はっ、はっ。走る息と共に俺は今朝のことを思い返している。いや、今は朝なので、今朝というかさっきというか。 端的に言えば、おばあさんが重い荷物を背負っていたのだ。それだけだ。 だから、遅刻の危険性を買い、今こうして走っているのだ。察することを求める。 自分は正しかったのだろうか。 おばあさんの荷物を運んだことには、全くの後悔もないし、むしろ良かったとさえ思っている。その点においては朝から気分がいい。 しかし、だ。 そのせいで自分が割りを食っていては、本末転倒ではないか。 愛読する作家、早坂波太楼さんの小説のキャラクターや白澤は言っていた。 「人に施す権利がある奴なんて、どうせ人生暇なんだよ。お前は違うだろ?なら目の前だけを見て必死に生きればいい」 それを聞いて主人公はこう返す。 「ただ前だけを見たとして、それでも視界に入った、困っている人は助けるべきなんですか」 白澤は悩みもせずにこう言うのだ。 「目に入った時点で、お前の問題だろ。目に入れた、お前の負けだ。諦めて、助けろ」 入った時点で、俺の負け…か。 そう言われると何か納得できるような気がした。本当に余裕にない人間は、困ってる人なんか目に入らない。その意味で、俺にはまだ余裕があるのだろう。 ところで、最近貞雄には彼女ができたらしい。それも他校の女子に、電撃告白された、とか。 別に彼女がいること自体に嫉妬のようなものがある訳ではないが、自分も1人の男子高校生。女子に憧れることだって、したっていいだろう。 クラスの子とかはダメだ。面白みがない。もっと遠い、遠い所にいる、しかし親近感の湧くような…そんな女子に会えればいいのにな、なんて思う。 ふと妄想を切りやめ、前を向く。時計をチラッと見る。また前を向く。 なんとか間に合いそうかもしれない。 でも、少しの保険をかけて、スピードを上げておこう。 斯くして、男子高校生はスピードを上げた。 さて、ご存知であろうか。京都の地名と言うものはある点においては、いやはや、特殊なものなのか、私語り手は生まれてこのかた京都を一歩も出たことのない引きこもりであるので、のでご存知でないが、交差点にはそこに走る通りの名前がつくのです。 例えるとすれば、四条通りと河原町通の交差点は、四条河原町。千本通と、北大路あれば千本北大路。 そして、件の女子高生、男子高校生が一様に目指す駅は「烏丸丸太町」駅である。 よって、事の顛末は烏丸丸太町駅にて、観覧するとしようか。 やばい!あと1分! 少し前に見える信号は青であった。よし。これで飛び込めるはずだ。問題は、定期をスムーズに改札に当てられるかにある。そこでタッチに失敗して、電車を逃すなんて。目も当てられない。 私は走りながらも、定期券をカバンのポケットから取り出した。 あと1分、間に合うだろう。 信号は青だ。横断歩道を渡ればもうゴールはそこだ。唯一懸念することがあるとするならば、階段を滑り落ちないことだ。ツルッと滑ってそのまま骨折…なんて事があったら、俺はあのおばあさんを少しでも恨むことになる。 俺は走りながらも、足元の靴紐を確認した。 だから、 だから、 前から走ってきたあの人には気がつけなかったのだ。 ゴッツーン、と言う古典マンガのようなオノマトペが響く。 物語には具体性が大事だ。だからこそ、一般性には目を向けられる事が少ない。この先、どうなったか、なんてくだらないことには触れないでおこう。 でも、でもどうしても、物語の行く末が気になるのなら、 朝の8時16分、烏丸丸太町駅前に立ってみることをお勧めしよう。
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!

0人が本棚に入れています
本棚に追加