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何も考えずに足を動かすと、あの古本屋に向かいそうになる。ないのは確認済みなのに。
結局、あの本はどうなったのだろう。誰かに買われたと考えるのが自然だけれど、店主の様子を見る限りそんな感じではなかった。
ならば夢を見ていたということになってしまいそうだけど、どうも実在すると考えて良さそうなのだ。本がどこにいってしまったかよりも、どういう装丁の本だったかを原さんは気にしていた。どこにいってしまったかを気にする様子はなかった。探しているなら、そこが肝心になるはずなのに。
つらつらと考えながら、とりあえず駅前に向かう。人通りの多い方が都合良い。
公園は、現場だったこともあって流石に人気がなくなっている。でも、駅前はそれなりに人がいる。駅のこっち側は、バス停もあるしお店もたくさんあるしで元々人が多い。
駅の公園側も、普段は人が多い。とはいえお店とかは駅と公園の間にあるだけで、公園目的の人が多かった。公園に近寄り難くなっている今、公園側に行く人は減ってしまっているのだ。
こっち側には交番あるし、それも少しは関係しているのだろうか。
「ぼけっとつったってんじゃねぇよ、ブスッ」
響いた怒声に、肩がびくりと震える。
見れば若い男の二人連れで、傍には女の人が座り込んでいた。座り込んでるというか、きっとぶつかって倒れたんだ。
二人連れはそのまま去っていったけれど、女の人は座り込んだまま。近くにはバックから飛び出してしまった荷物が散らばっている。よほど強くぶつかったようだ。
女の人は両手を地面についてうつむいている。動く気配が一切ない。大丈夫そうならこのまま通りすぎたけれど、あまり大丈夫じゃなさそうだ。
できることなら、このまま通りすぎてしまいたい。しまいたいけれど。
「あの、大丈夫ですか?」
あまりにも大丈夫ではなさそうで、素通りできなかった。
女の人が、ゆっくりと顔を上げる。
「あ」
この間のちぐはぐな美人さんだ。
焦点のあわない目でじっと見上げてきている。ぼんやりしてるというか、呆然としているんじゃないだろうか。強くぶつかられたあげく暴言を吐かれたんじゃ、状況の理解も感情の整理も追いつかない。頭も真っ白になるだろう。
とりあえず、袋を花壇のレンガに置いてしゃがむ。散らばった荷物を集めないと。
災難でしたねとか、気にしない方が良いですよとか。そういうことを言えたら本当は良いのだろう。でもちょっと、こっちもいっぱいいっぱいでそこまで口が回らない。
慣れないことをしている。
早く拾い集めて立ち去ろう。何でか、良いことをしているはずなのに悪いことをしている気分になる。
財布にポーチに、こっちはペンケースかな。スマホはケースに入っているので多分ヒビとかは大丈夫そう。本が数冊、バッグから半分飛び出ている。横には買い物をしていたのだろう、見覚えのある袋が。
ふと、バッグにつけられた物が目に入った。バッグについているけど、多分ヘアクリップだ。緑色のリボンに赤い飾り。リボンなんて少し子供っぽいかなって心配だったけど、明らかに舞ちゃんより年上の人が使っているなら平気か。良かった。
「あ、ご、ごめんなさい。ありがとうございます」
「あ、いえ」
我にかえった女の人に、集めた物を渡す。
「あの、本当に」
言いつつ、女の人は物をしまうためにバッグを持ち上げた。途端、半分飛び出していた本が完璧に落ちた。
「あ」
よほど慌てていたのだろう。自分が同じ立場だったらやっぱりやらかしそうだ。
落ちた本を拾う。
「あれ?」
「あっ」
勢いよく本を引ったくられた。
「え?」
怯えたような表情で、しっかりと本を抱きしめている。二度三度口を開閉し、やおらすくっと立ち上がった。
「ご、ごめんなさい。本当にありがとうございました」
そう言って、くるりと向きをかえ走りかけ、一度戻って慌て袋を拾う。そうしてからパタパタと走り去ってしまった。
「……え?」
急にどうしたのだとか、何事かだとか思うところはある。でも、それよりも気になることが、
「んなとこに座り込んでたら踏むよ」
「うおっ」
呆然としていたら突如声をかけられ、心臓が飛び出しそうになった。バランスを崩して膝をつく。
振り返ると、やっぱりというか何というか、紅ちゃんがいた。仁王立ちで見下ろしている。
「い、いつから」
「今。探したよ」
「何で」
「士郎の部屋に参考書一冊忘れたみたいで。家行ったら出かけてるって言うから。勝手に漁るわけにもいかないし、まぁ、どうせここら辺かなって」
そりゃ確かに行動範囲狭いけれども。
「これ、士郎の?」
つかつかと移動して、置いてあった袋を拾う。
「うん」
あれ?
「舞ちゃんのプレゼント?見つかったんだ」
「まぁ」
「じゃ、もう用は済んだんだね。帰るよ。ほら、いつまで座ってんの」
渋々と立ち上がろうとして、手に何か触れた。薔薇の押し花の、これはしおり?もしかしてさっき本が飛び出した時にこぼれ落ちたんじゃないだろうか。
慌てて女の人が去っていった方を見るも、当然姿なんてもうなくて。どうしようと途方にくれる間もなく、紅ちゃんに急かされて立ち上がる。
「早く。ついでに一緒に勉強してあげるから」
「忘れ物したのはそっちなのに、何で偉そうなのさ」
「だってあんた、受験生の自覚ないじゃない」
「……自覚っていうか、まだ実感ないだけだよ」
「はい、はい」
適当に流されてしまった。仕方がないんだろうけど、何だかな。
渋々と、並んで歩く。
「そういや、珍しいよね」
「何が」
「士郎が人助けだなんて」
どことなくおかしそうな声に、一瞬、言葉が詰まる。
確かに、タイミング的には見られていたはずだけれども。でも、わざわざ話題にしなくても良いじゃないか。あまりつっこまれたくなかったのに。
「人助けってほどじゃ……素通りできなかっただけで」
「自分みたいだったから?」
図星をさされてムッとする。
「でも、他人に親切にするのは、まぁ、良いとして、知らない人にほいほいついてっちゃダメだよ」
「子供じゃないんだから」
バカにしてると顔をしかめるも、紅ちゃんはどこ吹く風。
「士郎は危なっかしいから」
「お菓子貰ったって、ついてかないよ」
「そもそも貰っちゃダメだよ」
それはそうだけれど、言い間違えただけというか、そんなあげ足とりな。何か言い返したかったけれど、何も思いつかなかったのでわかってるよとだけ返した。
一つ、息を吐いてポケットに手を入れる。
さっきの、飛び出した本。
色は緑だったし、厚さとか質感は違って見えた。でも、雰囲気はすごく似ていて、全然違うのに、一瞬あの本と錯覚した。
何より、表紙にも背表紙にもタイトルが見あたらなかった。
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