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 古本屋。古本屋。  放課後、先日の通りを慎重に歩く。本屋に向かう途中で見つけたのだから、この通り沿いで良いはずだ。見落としてしまわないよう、よく見て歩く。  なにせ、店名はおろか外観だってよく覚えてないのだ。  ひときわ強い風が吹いて、マフラーを少し引き上げる。今日も重たい雲が広がっていた。  あった。  ドアはなく、奥に向かって細長い店。両側の壁と、真ん中には背あわせで本棚が並んでいる。通路の行き止まり、右側には本棚で、左側には店主らしき人が座っていた。外には小さな棚とワゴン。  目的の位置は、確か向かって右の壁の奥の方。少し見上げた所にあったはずだ。  店内を覗き込む。多分あの辺りという場所に、男の人が立っていた。ゆったりと棚を眺めている。  どうしよう。近くに行ったら邪魔かな。しかも買うわけじゃないのに。でも、せっかくここまで来たんだし。  そっと、店内に足を踏み入れる。  古い紙のにおいが喉の奥にこびりつく。昔の紙は粗いから、細かい粒子みたいなものが空中に漂うのだろうか。体内に蓄積されてしまいそうで苦手だ。  棚の手前には細長い台があって、そこにも背表紙を上にして本が並んでいる。さらにその上にも本が所々置かれていた。床には腰の高さほどまで積まれた本の山もあって、ただでさえ狭い通路を圧迫している。  崩してしまわないよう、気をつけながら奥に進む。  自分でも不思議なことに、前回この店に入った記憶が曖昧だ。赤い本と、紅ちゃんに声をかけられてからの事しかよく覚えていない。  男の人が棚に手をのばす。  赤い本を、取り出した。 「あっ」  慌てて口をおさえるも遅かった。こちらを向いた男の人がわずかに眉をひそめる。  細身の、彫刻のように整った人だった。石膏のように白い肌は血の気を感じない。けれど薄い唇は血色よく、確かに生きた人間なのだとわかる。  その人は手にした本を少し持ち上げた。視線がつられる。  どうしよう。せめてタイトルだけ。でも声をかけるのは躊躇われる。どうして良いかわからず、じっとその人を見つめた。  ごく、自然な動作で本を差し出される。 「えっ?」  本を差し出したまま、じっと待ってくれている。 「……す、すみません」  恭しく受けとり、まず背表紙を確認する。 「…………すみません。ありがとうございました」  そっと息を吐き、本を返す。 「いいの?」 「はい。違いました」  背表紙にはきちんとタイトルが記されていた。凹凸で記されているから、光の加減によっては見にくいかもしれない。でも多分表紙の材質が違うし、何よりこの前のより鮮やかな赤だった。  その人は不思議そうにしながらも、すっとその本を棚に戻した。  疑問が顔に出てしまったのだろう。あぁ、とその人は説明してくれた。 「こっちも違った」  そっか。  棚を見上げる。  赤い背表紙は他に見当たらない。売れてしまったのだろうか。念のため、棚の下の方も確認してみる。 「ご主人」  男の人が振り返るようにして、声をかけた。  店の一番奥。ここからは本棚しか見えないけど、反対側の通路にいる店主に話しかけていた。 「タイトルのない本は……」 「ないよ」  きっぱりとした声。  とっとっとっ、と棚の端による。台の間に板を渡しただけのカウンターに、枯れ枝のように細いおじいさんがいた。針金みたいな丸い眼鏡で、本を読んでいる。 「実際にはあったとしても、表紙や背表紙には……」 「ないよ」  カサカサの唇が、きっぱりと紡ぐ。本から一切顔を上げない。  短く嘆息した男の人を見上げ、店主に視線を戻す。 「すみません。この前ここにあった、背表紙にタイトルのない赤い本……」 「ないよ」  今ないのはわかってる。そうではなくて。 「あの、なんてタイトルの本だったのかわかれば……」 「ないよ」  ないとはどういう意味か。  覚えていない、という意味ではなさそうだ。けれど、タイトルがない、という意味でもないだろう。そんな物はないと言ったばかりなのだから。 「えっと……」 「……そもそも」  忌々しげにため息を吐き、店主は本を閉じた。ようやくこちらを見る。 「うちではタイトルがわからない状態で棚にさしたりはしてないよ」 「でも……」 「劣化して読みとれなくなってたら、書名を書いた帯をつけてる」  横の棚に視線を向ける。  確かに、色褪せてタイトルが読みにくい本に、タイトルを書いた紙が巻つけてあった。でも、あの本にはそんなものついてなかった。 「……わかりました。ありがとうございます」  あまり、納得はできていない。 「ご主人。ではこれを」 「どうも」  男の人が一冊、カウンターに置いた。深い緑色の薄い本。ちらりと見えたタイトルは横文字だった。表紙には深紅の薔薇が描かれている。 「もしタイトルのない本の情報が入ったら、教えてもらうことは可能だろうか」 「うちでは、そういう本は扱わないよ」  そっと、一歩後ろに引いて、それから店を後にした。  この店ではなかったんだろうか。絶対にここだったと言える自信は、ないけれど。本屋までもう少しあるし、もしかしたらもう一軒あるかもしれない。  もうちょっと、探してみよう。
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