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薔薇
きれいなお姫様の出てくる物語が好きだった。
誰にも言ったこと、ないけれど。
「あんたかわいくないんだから、せめて勉強は頑張んなさい」
母の言葉がずっと残っている。
「女の子なのに、こんなんで将来大丈夫なのか?」
「本当にねぇ。誰に似たのか。かわいそうに」
父の言葉も、祖母の言葉も。
そんなに私の容姿は良くないんだろうか。そんなに私はかわいそうなんだろうか。無条件にかわいがってくれるはずの親が言うのなら、そうなのかもしれない。
だから言われた通り、勉強を頑張った。それなのに。
「勉強ばっかして。頭でっかちでかわいげのない」
かわいくない。かわいげもない。頑張っている勉強だって、格別成績が良いわけではない。ならば運動神経はといえば、どんくさいのだ。良い所なんて、何一つありはしない。
「本当、鈴ちゃんとは大違い」
鈴ちゃん。
同じクラスのかわいい女の子。
家が近いから一緒に登下校するようになった。仲良くなって、成績が似たり寄ったりだったから、夏休みには教えあって宿題をした。
クラスで一番かわいい子と一番かわいくない子が成績トップを争っている。そういう風に言われる。
もちろん揶揄だ。比べ物になんてならないのだから。競えるのは成績だけ。他は全て劣っている。
人気者で明るい女の子。
不釣り合いだとよく陰口をたたかれた。何であんな子と鈴ちゃんが仲良いんだと。確かにと思う。そう思われて当然だと、納得できる。でも、鈴ちゃんは違った。
「誰と仲良くしたって良いじゃない。好きで一緒にいるんだから」
そうではあるんだけれど、たんに見た目のバランスが悪いという話なのだ。
鈴ちゃんみたいにかわいい子が、私みたいなかわいくない子と一緒にいる理由の一つとして、引き立て役にしてるというのがある。でも、鈴ちゃんは違う。本気で仲良くしてくれている。それがわかるからこそ、自分の卑屈さがきわだって嫌になることがある。
せめて嫌な子でいてくれたら、幾分か気が楽になるのに。そう考えてますます自己嫌悪に陥る。
かわいくて優しい女の子。
「女の子はみんなかわいいんだよ」
……本気で言っているのだろうか。
「……かわいくなるんだよ。恋をすればかわいくなるって言うし。蝶々だって、幼虫から蛹になってきれいな蝶々になるじゃない……そりゃ、まぁ、程度の差はあるけど」
人間は変態したりしない。
「大人になって、急にかわいくなる人もいれば、少しずつかわいくなってく人もいるよ。そこまで変わらなくても、服とか髪型とか、あとお化粧とか自分にあうの見つけられたら大分変わるし」
服とか髪型とか。
明るい色合いの服を着れば、少しは性格も明るくなれるだろうか。
「かわいくないくせにそんな明るい色。どうせ似合わないんだから止めときなさい」
明るい色を身につければ良いという問題ではないらしい。自分にはおとなしい色の方があうということなのだろう。そう、思ったのだけれど。
「暗い色ばっか着て。ただでさえ根暗でかわいげないくせに」
結局、何をしてもしなくても否定されるのだ。
かわいくない。かわいげがない。事あるごとに言われ続けてきた。容姿の関係ない時でさえ。全てを否定されるほど、ひどい容姿なのだろうか。一つ一つのパーツが格別おかしいわけではないはずだ。太っているわけでもガリガリなわけでもない。それなのに。
何がいけないのだろう。
肯定してくれるのは、鈴ちゃんだけだった。
「これ、誕生日プレゼント」
差し出された紙袋。
中に入っていたのは少し大人っぽいヘアクリップ。深い緑色のリボンに小さな赤い玉がついている。似合うようにと考えて作ってくれたのだと言う。
「いつも何もついてないゴムで結んでるから」
嬉しかった。とても。それなのに。
母に盗んだものだと決めつけられて取り上げられた。いくら違うと、貰った物なのだと言っても信じてもらえなかった。
「あんたみたいなかわいくない子に、こんな物くれる人なんているわけないでしょ!人様の物盗むなんて本当にどうしようもない。見た目だけじゃなくて性根まで腐って」
言葉が死んでいく。死んだ言葉が胸の内に積み重なって、喉を詰まらせていく。息が、できない。
どうして。
全部ぜんぶ否定される。かわいくないと、それを理由に。自分の容姿なんて、選んで生まれてこれる訳じゃないのに。生まれてこなければ良かったのだろうか。存在してるだけで、迷惑なのだろうか。
直接的な言葉を投げかけられるわけじゃない。それでも母の目は確かに、息をしているだけで害悪なのだと語っていた。
結局、鈴ちゃんの言葉で母は納得してくれた。私がいくら言葉を重ねても耳を貸してくれなかったのに、鈴ちゃんの言葉はすぐに信じた。
「まったく。鈴ちゃんは優しいんだから、迷惑かけるんじゃないよ」
全部ぜんぶ、悪いのは私なのだ。私がかわいくないから。かわいくないくせに、人様から物を貰ったから。優しく、されたから。
きっと、誰とも関わらず、ひとりきりでひっそりと生きていかなきゃいけないんだ。誰にも迷惑をかけないように。
ごめんねと、鈴ちゃんは泣いていた。自分のせいで嫌な思いをさせてしまったと。それは違う。悪いのは私なのだ。そう言ったら、ますます泣いてしまった。
そうして、約束を一つくれた。
来年の誕生日、またプレゼントをくれると。その時は、絶対に今回みたいなことにならないようにすると。
どうして、こんな人間をそこまで気にかけてくれるのだろう。気にする必要なんてないのに。
結果として、プレゼントは貰えなかった。中学に上がってすぐ、鈴ちゃんは遠くに引っ越してしまったのだ。あの時のヘアクリップも、戻ってきていない。
唯一の友達がいなくなって、人と関わることがほとんどなくなった。ひっそりと教室の隅で息をひそめている。家で息ができないのは元々。だから早く家を出たかった。
かわいくないのだからせめて学歴をと、大学進学を薦められた。薦められたというよりも、すでに決定事項になっていた。何を言っても聞き入れてもらえないのはわかっていた。それならせめてと、遠方の大学を選んだ。
家を出てようやく、呼吸が少しだけ楽になる。息をひそめる習性は身体に染みついてしまっていて、今さらどうにもならない。きっとこのまま、誰と深く関わることもなくひとりきりひっそりと生きていくのだろう。
大学の図書館を出て、一つ息を吐く。冷たい空気が心地よい。館内は暖房が効いていて、少し辛かった。
寒い方が過ごしやすくて良い。最近は曇り空が続いているからなおのこと。太陽なんて、二度と顔を出さなければ良いのに。
自分の考えに嫌気がする。
自分以外皆みんなキラキラして見える。きっと何か別の生き物なのだ。
「……あの」
ふいに、名前を呼ばれた。顔をあげる。
「あ、やっぱりそうだ。おぼえてるかな?小学校の時、一緒だったんだけど」
鈴ちゃんがいた。
かわいい女の子はきれいな女の人になっていた。
「懐かしい。図書館の本、延滞しちゃって返しに来たんだ。この後時間ある?できたら色々話したいな」
生まれた時から蝶々で、変態の必要なかった鈴ちゃんは、とてもきれいな別の何かになっていた。
パタンと閉じたドアに寄りかかる。思いもしなかった再会に、とても驚いた。鈴ちゃんとは明日もまた、会う約束をした。
少し疲れたけれど、とても楽しみだ。
室内に上がり、座り込む。夕飯を食べて、お風呂に入って、明日の支度をして。そう。明日のための準備をしなくてはならない。けれどその前に少しだけ休もう。
バッグからそれを取り出す。
あの時のヘアクリップ。
鈴ちゃんがずっと預かってくれていた。今日、もう一度手渡してくれた。あの時の約束も覚えていてくれた。明日、プレゼントを貰うことになっている。
優しい子。
とってもとっても優しい子。
ふと、バッグの中身が目に入った。本を数冊借りてきたけれど、一冊見覚えのないものがある。
こんな本、借りただろうか。
取り出したその本は深い緑の装丁で、表紙にも背表紙にもタイトルがなかった。
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