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 その本はタイトルが記されていなかった。  並んでいる、色とりどりの背表紙。そのどれもにタイトルは記されている。だというのに一冊だけ、赤い背表紙には何も書かれていない。  やけに目につく、深く暗い赤。気になって仕方がない。落ち着いたその色は大人びていて、憧れの色なのだ。表紙にならタイトルがあるのではと、手をのばしてみた。 「士郎」  突如名前を呼ばれ、びくりと肩が揺れる。  この声は。  できれば振り向きたくない。でも、無視したら確実に怒らせてしまう。嫌々振り向くと、思った通りの人物がいた。 「……何?」 「それはこっちのセリフ。こんなとこで何してんの」  なんかもうすでに機嫌悪かった。目付きが怖い。ふいっと視線をそらす。 「何って、古本屋で本見る以外に何するってのさ」 「減らず口。本なんて読まないくせに、何で古本屋にいるのかって訊いてんの」 「何でって、そりゃ……」  答えようとして、言葉に詰まる。  何で、このお店に入ったんだっけ。確かに、普段なら素通りしている。ここに古本屋があるってことさえ、気づいてなかったのに。 「……別にいいじゃん。紅ちゃんこそ、何で」 「士郎が見えたからに決まってるでしょ」  決まってない。 「ほら。行くよ」  腕を掴まれ、強引に連れ出される。  普段、本は読まない。でも、さっきの一冊はやけに気になった。せめてタイトルだけでも確認したかったのに。  ちらりと棚を振り返る。次来た時にまだあればいいのだけれど。ため息を一つ溢した。 「行くって、どこに」 「本屋。問題集見たいの」 「何で僕まで」 「士郎も必要でしょ?追い込み時期なんだし」  そうだ。本屋に行こうと思って、この通りを歩いてたんだ。その途中であの古本屋が目に留まって、何だか気になって入ってしまった。  当初の目的を思い出させてくれたことには感謝すべきなんだろう。けど、素直にお礼を言いたくない気持ちがある。 「……悪あがき」 「悪あがきでも何でも。落ちたらそれまでなんだから」  それに、と紅ちゃんはちらりとこちらに視線をよこした。 「最近少し物騒だから。頼りないけど、いないよりはマシかなって」  それはつまりボディーガード代わりということか。  腕がはなされ、並んで歩く。 「こんな美人が一人で出歩いてたら、危ないじゃない」 「自分で言う?大体、紅ちゃん美人じゃないし」  痛い。思いっきり叩かれた。 「生意気」 「だって本当の事だし」  つり目がちな印象があるけれど、単純に怒っている顔を見ることが多いからだ。実際はくりっとした目をしている。ふっくらとした明るいピンクの唇からは、きつい言葉ばかりが出てくるけど。 「紅ちゃん、美人なんじゃなくて可愛いんじゃん」  言って、しまったと口をおさえる。  恐る恐る紅ちゃんを見れば、ニヤーと笑っていた。遅かった。こんなこと言ったら、調子づかせるだけだってわかってたはずなのに。 「素直でよろしい。良かったねー。とびきり可愛い幼なじみがいて」 「……そこまで言ってない」 「照れるな、照れるな」 「照れてない」  ひどくご機嫌だ。面倒くさい。 「あ。ほら」 「ん?」 「美人ってのはさ、ああいう人の事言うんだよ」  ため息を吐きつつそらした視線の先。前から歩いてきた人が目についた。  まっすぐにのびた背。柔らかそうな黒髪。自信に満ちた表情。どことなくちぐはぐな感じがするのは、化粧が合ってないからだろうか。でも、美人の部類に入るはずだ。  どうだと紅ちゃんを見ると、顔をしかめていた。 「あれは違う」 「いや、違うって」  何を言っているのかと呆れる。 「違うよ。何かさ、ちぐはぐな感じがするでしょ?」 「まぁ」  確かに、そう思ってしまったけれど。  特に目につくのは、真っ赤な唇。 「……口紅、ああいう派手で濃い色より、落ち着いた色合いの方が似合いそうだよね。もしくは明るい、ちょっとオレンジ系の色」 「ね?」  紅ちゃんが得意そうな笑顔を浮かべる。  あまり同意はしたくないけれど、どうしても気になる所だったので口をついて出てしまった。何だかなぁと視線をそらし、コートのポケットに手を入れる。  触れようとした物がなくて一瞬焦るも、すぐにズボンのポケットの方だと思い出す。腕を押し付けるようにすれば、確かに固い感触があった。  ほっと、息を吐く。  ふと視線を戻すと、紅ちゃんが静かに見つめてきていた。あまり見ない表情に、居心地が悪くなる。 「……てかさ、紅ちゃんまた口紅つけてるでしょ。バレたら怒られるよ」 「バレないから平気」  言いきっちゃうんだ。その自信はどこから来るのだろう。 「それよりほら。早く問題集買って勉強しよ」 「しよって、また家来る気?てか本気で同じ高校受けるの?」 「当たり前。どうするよ。私だけ合格したら」 「どうもしないよ。紅ちゃんは舞ちゃんと同じとこ行くのかと思ってた」  そもそもどこ受けるか紅ちゃんには言ってないのに。まぁ隠してるわけでもなければ、口止めもしてないけど。 「それはこっちのセリフ。わざわざ別のとこ受けるなんてさ」 「……わざわざってほどじゃないじゃん」 「まぁ私と違って、士郎はよっぽど頑張んなきゃ難しいだろうけど」 「うるさいなぁ」  そりゃ紅ちゃんが勉強で困ってるとこ見た覚えないけど。 「士郎」 「今度は何」 「行き過ぎ。本屋ここ」  足を止める。  見れば、確かにそこには本屋。話に気をとられていて見落としていた。紅ちゃんの顔がどことなく得意気に見えて、ひどく面白くない。  何でいつも、こうやって保護者面するんだろう。
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