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6月○日
「やっぱり、ここは寂しいな…」
深夜のビジネス街、高層ビルは闇に紛れて姿を消し、街灯に照らされた歩道には人っこ一人いない。
横断歩道の手前で信号が赤になり、渡る人間はいないと分かっていても俺はちゃんと車を止め、ハンドルから手を離すと、腕を挙げて伸びをしながら大きな欠伸をした。
昨日の朝から走り出し、やっと日が変わったところだ。
タクシーの仕事を終える朝は、まだまだ先だ。
よし!早く繁華街に行って稼ぐぞ!眠気覚ましに自分で自分の頬をパンパンと叩き、気持ちを入れ直した俺はハンドルを握った。
信号が黄色になりエンジンをかけ青に変わった瞬間、アクセルを踏んだ。
が、突然目の前に人が現れ俺は慌ててブレーキを踏んだ。
そのせいで前のめりになり、ハンドルに頭を打ち付けそうになった俺は、運転席の窓を開け顔を出し、信号無視をした人間に怒鳴った。
「死にたいのかバカヤロー!」
「その通りです!」
車の前に仁王立ちして堂々と言い返してくるとは、なんて図太いヤツなんだ…。
「死のうとしたヤツが偉そうにしてんじゃねえよ!早く、そこをどけ!」
「どきません!」
「なんでだよ!」
怒鳴りながらも俺は半ば呆れていた。
「なんなんだよ、お前は…」
「僕は…僕は…」
今度は横断歩道にしゃがみこみ泣き出す始末。
誰もいないとはいえ、なんて迷惑なヤツなんだ。
こんなヤツはほっといて避けて行こうとしたら、フロントガラスにポツリポツリ、雨が落ちて来た。
そういや天気予報で、未明に雨が降るって言ってたっけ。
最近よく降るな、でもまだ梅雨入りしたとは発表されてなかったような…。
雨はすぐ本格的に降り始めた。
なのに信号無視野郎は、三角座りで膝に顔を埋め、まだ泣いている。
「ったく、しょうがねえなぁ…おい、乗れ!」
「ほっといて下さい」
「ほっとけるかよ。ほっといたら後味悪いんだよ。さっさと乗れ!」
信号無視野郎はゆっくり立ち上がり、こっちへ歩いてきた。後部座席のドアを開け、俺は待った。
どんな若造が乗って来るのかと思いきや、乗って来たのはまだ子供だった。
「お前、いくつだ?」
「20歳…」
「20歳!」
子供かと思ったら、れっきとした大人じゃねえか!
「とんだベビーフェイスだな…」
「すいません」
「別に謝らなくていいんだが…。家はどこだ?送ってやるよ」
「…」
「帰りたくないのか?」
「はい」
「なら、どこか行きたいところは?」
「天国」
「…自殺したら天国には行けないぞ」
「そんなの、死んでみなきゃ分からない」
面倒くさいな…。
「お前、名前は?」
「尊」
「尊か…俺の家に来るか?」
「えっ」
「天国には程遠いが、空いてる部屋があるんだ」
「じゃあ、俺の家でお願いします!でも、あの僕、お金ないですけど」
「自分の家に行くんだ。金はいらないよ」
俺は稼げない客を乗せて走り出した。
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