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後日談:モフモフ隊、現る
「モフモフ隊、突撃ッ!!」
一度、こういうのをやってみたかった。蓮が鼻息荒く、軽く手を薙ぎ払う動作をすると、モフモフ隊員のアレスとジンジャーが一気に距離を詰めて男たちを取り押さえる。
男たちは、以前ハルノアによる偽神子騒動があった際に、蓮が乗っていた馬車を奪おうとした犯人たちだ。アレスがしっかりと匂いを覚えていて、ジンジャーと共にようやくここまで追い詰めた。
蓮の背後にはムッキムキのゴリラ……ではなく神官ズと、王太子殿下の護衛騎士たちまで揃っている。完全なる包囲網に、男たちはさすがに腰を抜かした。
「な……あの時の可愛い神官様じゃないか。あんた、崖から落ちて生きていたのか」
「崖から落ちた……? 生きていた、というのはどういう……」
蓮の隣にいるウルが、ぼそっと呟いた。そういえば馬車が奪われて拉致されかけたのは伝えたが、馬車から放り出されて落下したことは話しそびれていた。今見たら、絶対に苦虫フェイスをしている。だから、敢えて見ないでおこう。
「あなたたちを探していたんだ。俺に、怪しい薬をチラつかせてましたよね。あれって、どこの誰から手に入れたんですか?」
「は……?」
怪しい薬、のところで今度は神官たちがざわついたが、ここを気にしていたら一向に前に進めない。
「ほら、俺の胸の証を消してやるとか……」
『………わたしの、証を消す?』
ピクリ、とジンジャーが耳を動かした。男たちを抑える力が強くなったのか、ひええ、と情けない悲鳴が上がった。
「それで、去勢してやるとか、よその国の王宮にも売りつけるって」
「よその国の王宮……去勢」
ウルが蓮を見てきた。気のせいか、下肢のあたりを見られている気がして、「大丈夫なの知っているだろ!」と危うくツッコミそうになる。
「とっ、とにかく! その怪しい薬を使っている人を、はやく教えなさい。さもないと……べろんべろんのべちゃべちゃの刑に処す!」
きゅう、とアレスが耳を後ろに伏せた。ウルが「嫌がっているぞ」とすかさずアレスの心情を代弁してくる。ジンジャーは気迫に満ちていて、蓮の言葉があればいつでも実行に移すくらいの勢いだ。しかし、何の刑なのか意味が分からないだろう男たちは震えだし、「神殿の近くの……」と白状し始めた。
「マルウオのパイの、贋物を作って売っていたヤツだよ。あいつはものすっごく金にがめつくて、元々は薬師が生業なんだが、流行りものをしょっちゅう真似ては荒稼ぎしているんだ。しばらく姿を見かけなかったと思ったら、この間広場のところで見かけたぞ」
「……それって」
知っている。神殿の中に一度現れ、拘束される直前でウルが帰ってきた騒ぎの中こっそりと抜け出しており、元に戻すのにも苦労したあのマルウオのパイ・贋物の魔人だ。魔人の本体は小柄でニコニコとした中年の男だったが、そこまで真っ黒な人物だったとは。キャニスの木を使ったらしい例の薬を作ったのも、恐らくあの男だろう。
「そのまま討伐した方が良かったようだな」
……と、あっさり王太子殿下が不穏なことを口走る。
「よし、今度は広場に突撃だ!」
「レン様はそこまでにしましょう。後は我々にお任せください」
拳を握りしめた蓮の傍で、ジンジャーとアレスが尻尾を振り振りしたところで補佐官からストップがかかった。
蓮をオオカミへと変えたあの奇妙な薬だが、そんな薬が作れる人物と話をしてみたかったのが主目的だ。まだ目的は果たしていないのに、と蓮がジンジャーへと視線を向ける。ジンジャーはパタパタと尾を振ってから、首を傾げた。
「捕獲した後に、面会の時間を作りますから。また奇妙な薬で御身に何かがあっては、大変です」
ジンジャーからウルへと視線を転じると、ウルは何も言わなかったが、さすがにこの空気感は蓮にも分かる。「では、後はお願いします」とぺこりと頭を下げると、神官たちがほっとする気配がした。蓮とウル、その護衛たちを残し、神官ズは捕縛した男たちやアレスを連れて、広場へと向かっていく。それを見送ったところで、ジンジャーが子どもの姿に変じ、「あと、追いかけなくていいの?」と声をかけてきた。
「もう一回突撃をやりたい気持ちはあるけどね。ほら、そろそろ空気が読める神子にならないと」
「そうだな。こんなにしっかりと護衛をしても、お前はすり抜けてどこかで勝手に死にかけていそうだからな」
呆れながら返事をしたのはウルだ。「ええ、そんなキャラ付け?」と蓮は一応抗議の声を上げたが、「くふ」とジンジャーにまで笑われてしまった。
「どうせ行くのなら、広場よりも良いところに行こう」
「良いところって……どこ?」
再び蓮がジンジャーと視線を目くばせしあったところで、馬車が用意されるのだった。
***
リコス神のほとりは川の上流の、とある一帯のことだという。川の水は透明なまでに澄んでいて、大きな岩が荒々しく鎮座している。人家どころか畑などもなく、ただそこには川と木々だけがあった。小さな手押し車で販売されている、マルウオのパイを除いては。パイから突き出ているマルウオと視線が合わないように、蓮は視線を動かす。
「おお、マイナスイオンの宝庫!」
「レン様、それは異世界の言葉ですか」
すかさずウルの護衛筆頭であるオーヴァに声をかけられる。マイナスイオンという概念は存在しないのか。
「そういえば、オーヴァさんは竜族の方だったんですね。……ちなみに、属性は?」
「は? ……確かに自分は竜族ですが、属性と言いますと……?」
む、またしても伝わっていない。「こう、光とか闇とか、炎とか水とか……」と説明すると、隣にいたウルが笑い零した。
「なんで俺、笑われたの?」
「りゅうぞくには、そんなちからないよー。ただのにんげんより、ちからはつよいけど」
のんびりとしたお子さまモードになったジンジャーが答えてくる。なるほど、この世界の竜には属性というものがないらしい。そういえば、神官長からも竜が火を吐いたりすることはない、と説明してくれたのを思い出す。
「もしかして、竜の神さまならできる、とか?」
「さあね。……レンは、りゅうのほうがいいの?」
子ども姿のジンジャーが、心持ちしょんぼりしながら尋ねてきたので、「そんなわけないだろう!」と慌てて返す。オーヴァにも竜の神子のことなどを聞いてみたかったが、竜の神子が現れたのはオーヴァがウルの騎士になった後の話らしく、詳しいことは知らないのだと先に説明された。まだまだ気になることだらけだ。
「そこから先は、リコス神が初めて神子に出会ったとされる場所に続いています。ここは我々が見ていますから、どうぞ」
「えっ! ジンジャー、そうなの?」
思わず当のリコス神に尋ねると、ジンジャーは分かりやすくぎょっとした顔になった。
「とても仲睦まじかったことから、恋人や夫婦で訪れると生涯仲良く過ごせると、人気の場所なのですよ」
「へーえー。ねえねえ、ジンジャーの前の神子の人って……あれ?」
お子さま姿のジンジャーは、気づいたら姿を消していた。
「ほら、レン」
王宮に行く時より軽装――騎士服に近いものを着たウルが手を差し伸べてくる。条件反射でその手を握ったものの、ニコニコと見ているオーヴァたちに気づいて、蓮は思わず下を見た。
「転ぶから、ちゃんと前を見た方が良い」
「だ……だいじょうぶ」
繋いだ手を離してもらえないまま、小径を歩き始める。だが、深い森に続くかと思われたそこは急に開けて、草原が現れた。
「ここは――」
目の前を駆けていく何かが見えた気すらした。ここは、ジンジャーが出てくる夢の中で行った場所だ。
「誰もいないねえ」
「おかしいな、こういう開けた場所ではなかったはずだが」
ふうん、と返しながらウルから離れて歩いていくと、通り抜けていく風が心地よい。視線を下に向ければ、小さな花々が咲き綻んでいるのが見えた。
***
「これは、貴方が見せているのか?」
ゆっくりと近づいてきた大きな狼神にウルが声をかけると、狼神はウルの隣まで来て地に伏せた。それに合わせてウルも地面に膝を付ける。狼神の視線は、興味深そうに草原を歩いている己の神子へと向けられていた。その眼差しは驚くほど、優しい。
『見せているのではなく、ただの人は入れないようにしているだけだ』
いつもなら真っ先にレンのところに駆け寄っていくのに。
不思議に思いながら相槌を打つと、ウルはリーオに変じていた流れの神から聞かされたことを、ふと思い出した。
「そういえば、流れの神が不思議なことを言っていた。レンは、本当にリコス神の神子なのか、と。リコス神が持たない力を持っているのではないかと」
そこまで問うても、リコス神の蒼い瞳は動かない。だが、口元は笑んでいるように見えた。
『……遥か昔の話だ。この辺りを支配下においた、暴虐の王がいた』
ぼそりと話し始めたリコス神の言葉に、ウルは黙って耳を傾ける。
『暴虐の王はすべてを掌中にしたけれど、心は空っぽだった。やがて、自分の身以外すべてを失った神狼に出会った。空虚だった王の心はその神狼によって満たされていき、人々の感情を理解するようになったが――かつての暴虐が過ぎた故に、残された者の刃によって王は斃れた。人はすぐに生まれ変わる。王もまた、そうなるはずだったのに、王の死を悲しんだ神狼は――己の命である神性を、生と死を司る力を、人間の王に渡してしまった。自らも、王を庇おうとして深手を負ったのに。神だった者が生まれ変わるには、千年は軽くかかることを王は後から別の神に知らされた。そして、あの優しい神狼が生まれ変わるとしたら――花神としての力だけが、残っているかもしれないとも』
「……何の、話を……」
狼神は、『さあな』とだけ答えた。まるで、自嘲しているような声音で。
「おーい、真剣な顔して、二人でなんの話?」
リコス神に気づいたレンが駆け寄ってきた。しかし、レンも何か言いたげな顔をしている。
『いいてんきだねーってはなしをしていたよ。どうかした?』
すぐに伏せていた姿勢から立ち上がってレンに頭を摺り寄せたリコス神に、ウルの伴侶は勢いよく「俺、いいこと思いついたんだ」と話し始めた。レンの『思い付き』は滅茶苦茶なことが多い。しかし、自信にあふれた表情をしているのが可愛く思えて、続きを促してしまう。
「あの怪しい薬を開発した人、神殿で雇ったらどうかなって。竜族の人でも炎を吐いたりしない世界なのに、変身できちゃう薬とか作れるって、実はかなりすごいよね。ハルノアやニストさんにも手伝ってもらって、万能解毒薬とかさあ」
『レン。まあたおかねのこと、かんがえているでしょ』
リコス神からじと目で指摘されると、「うっ」とレンが胸を抑える仕草をした。どうやら、図星をつかれたらしい。「あ、あっちにウサギがいた気がする!」とわざとらしく話題を変えて、そそくさとまた離れていく。
「貴方が、ずっとレンが現れるのを待っていたというのなら――どうして、レンの伴侶として私を?」
レンの後ろ姿を時折見やりながらリコス神に問いかけると、己の神子を追いかけようとした彼の神が足を止めた。こちらを振り向き、たてがみを揺らしながら首を傾げた。
『お前を選んだのはレンだ。そして、レンを受け入れて伴侶にしたのはお前だろう』
狼神はそうとだけ言って大きな耳をレンの方へと動かすと、今度こそ駆け去っていく。
「――あの時、花と共にレンが私のところに、落ちてきて……」
強く、風が吹いて花びらが舞った。その一片が、ウルの手のひらにも舞い込んできたのだった。
Fin.
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