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「澄んだ空気」なんて、言葉では理解できてもなかなか東京では体感できない。
岬の上に立った俺は、めいっぱいにそれを肺に吸い込み、まためいっぱいにそれを吐き出して、遠く広がる海の向こうへ目を凝らした。
視界全部が真っ青だ。空を舞う鳥達に波の音。遠くに浮かぶ巨大な入道雲はその半分が隠れていて、まるで海に浸かっているかのように見える。
「雪江ねーねー、大丈夫だったか?」
「大丈夫だよ、昨日の泡盛が相当残ってるみたいでダウンしてるけど。この日差しの中に立ったら倒れちゃいそうだし」
「なるべく早くホテル帰ってやろう。ねーねー、国際通り行きたいんだろ」
「どうせ買い物の荷物持ちだよ、俺達は」
俺と明鷲はカベール岬の上で手を繋ぎ、水平線の彼方にあるニライカナイを見つめていた。
「オジィとオバァ、それから南雲のアンマーもこの向こうにいる」
「母さんまで?」
笑って明鷲の横顔を見上げると、空気よりも澄んだ瞳が俺に向けられていた。
「何十年か経って、俺がオジィになって先行ったら、必ず南雲のこと迎えに行く」
「………」
「その時はこうやって手繋いで、ニライカナイを案内してやる」
俺は静かに笑みを浮かべ、明鷲の逞しい肩にそっと頬を寄せた。
明鷲が口ずさむ島のメロディが、心地好く胸の中へと浸透して行く。
「明鷲」
「うん?」
少しだけ背伸びをし、その灼けた頬に口付ける。明鷲の顔がみるみる赤くなっていくのが可愛くて、つい笑ってしまった。
「……よし。そんじゃ、帰って雪江さん起こして、蕎麦食いに行こうよ」
海に背を向けると、後ろから明鷲に腕を掴まれた。
「南雲」
紺碧の空と、どこまでも穏やかで神秘的な海。
そんな景色に背を押されるようにして立った明鷲が、波音よりもはっきりと叫んだ。
「愛してるぞ、南雲!」
「………」
顔が赤いのは、汗をかいているのは、暑さだけのせいじゃないかもしれない。俺は明鷲の首に両腕を巻き付け、上目遣いにニッと笑ってみせた。
「かなさんどー、明鷲」
「っ……!」
明鷲の顔が爆発してしまう前に。目を閉じ、唇を重ねる。そんな俺達の遥か頭上を、久高の鳥達が幸せそうに飛んでいた。
去年の夏。楽園にいた。
去年の夏。君の笑顔に釘付けだった。
そして、今年の夏──明鷲と俺の新たな世界が、波音と共に始まった。
終
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