0人が本棚に入れています
本棚に追加
鏑木先生は民俗学研究会の顧問だ。私が言い伝えの分析をしているところまでは知っている。私のことを決して名前で呼ばないし、強気なのにへらへらしているし、へらへらしているのに迎合しない。
「お前だろ」
と鏑木先生の話は始まった。何の話だろうと勘繰る理性的な私を差し置いて、本能が声を味わっていた。鏑木先生の声は、私の心の他の誰とも違う場所に響く。
何がですか、としらばっくれる。自分のしでかしたことを、本当は知っているのに。
私の作ったおまじないは大したものではないが、例えばピンク色の小物のブームを生んだ。制服の上に着るカーディガンをピンクにした子も多い。学校に言わせれば「華美」であり、おそらく生活指導の鏑木先生にお叱りがいったのだろう。杉見神社に寄るのだって見方によっては「寄り道」で、集団で行けば地域の人に学校も割れる。おおかた何か苦情でも来たのだろう。罰することはできないが、私のせいではある。
「分かってんだよ」
それが鏑木先生にバレているのだ。鏑木先生は私の研究内容を知っている。そんなことをするのは私くらいのものだとも理解されている。七色の栞を見る度に私を思い浮かべたのだろう、そしてそれがこれからも続くのだろう。
「めんどくさいことしやがって」
こんなフランクな態度も、教師としては失格に違いない。
けれどそれが、どうしようもなく欲しいのだ。
私も鏑木先生の意図を知っている。十代の女子の純粋な信心に偉い先生が翻弄されているのを楽しんでいる。今私を呼びつけたのだって、何を責めようというわけではない。学校で起きているちょっとしたブームは面白くて、ただそれが生活指導の自分に降りかかるのは面白くなくて、犯人の見当はついていて…それだけだ。やめろとも言わなければ理由も訊かないだろう。愚痴を聞かせるだけだ。きりりと締まった唇と、心を抉るその声で。
「俺が怒られるんだからな」
ベランダの柵に凭れ掛かって拗ねたように語尾を伸ばす鏑木先生を、五十センチ左で感じていた。時刻は二時から三時に変わろうとしている。
先生、と呼びかけた私は、鏑木先生を見ていない。鏑木先生も、きっと私を見ていない。二人共の眼に、下弦の月が映る。
ごめんなさい、としおらしく言う。鏑木先生はそういうのが好きだから。視点はそのままで、顔だけ持ち上げる。私が一番映える角度だから。
でもね、もう一つあるんです。
私の思いを空に飛ばして、反省する――実現可能性、低くなかったな。そのまま一歩だけ右に踏み出す。肘と肘が触れる。鏑木先生が私を感じた瞬間、逃さず伝える。
午前三時、下弦の月を二人で見ると、結ばれるんだって。
最初のコメントを投稿しよう!