第四章

3/19
120人が本棚に入れています
本棚に追加
/106ページ
 破れないように包み紙を開こうとする彼女を見ながら、そうだ、と麻野は口をひらいた。 「先生に、話しちゃった」 「何を」 「幼いころに酒呑童子に会って、彼がずっと姿を変えて傍にいてくれてるってこと」  びりりり。  丁寧に梱包を開いていた静子が、盛大に包み紙を破った。こぼれんばかりの目で、麻野を見ている。  ゆらっ、と静子が待とう空気が揺らいで。  静子の瞳が――深紅に、変わる。 「……言ったのか」 「ちょ、いきなり戻らないでよ。びっくりするから」 「俺のほうが驚くだろうが! そんな軽く『話しちゃった』なんて言われて、俺の頭がついていかん!」  姿は静子のまま。  けれど、声は低く、目を閉じて聞き入りたくなるほどに美しい、バリトンボイスだ。何より静子の「澄ました今時の女性」といった表情は豹変し、酷く怜悧な面持ちとなっている。  麻野は、気圧されつつも、顔をあげて口をひらく。 「だって、言いたかったから」 「っ、これまで、俺が傍にいることは誰にも話さなかっただろうっ!」 「それは、だって。小さいころ妖怪に会ったことは、誰も信じてくれなかったし……しーちゃんのこと話したら、もう、しーちゃんに会えなくなるような気がして、言えなかったの。言う人もいなかったし」 「つまり、新居崎は言うに値する相手ということか。それとも、俺が傍からいなくなってもいいと思うようになったのか」 「そんなわけないよっ! 大江山で先生を巻き込んじゃったから、どうしても説明したかったの。本当のことを、言いたくて――」  ぴく、と静子の表情が強張る。 「……お前、大江山へ行ったのか」 「う、うん」  立ち上がる勢いで身を乗り出していた静子は、盛大なため息をついて椅子に背中を凭れさせた。 「なぜ」 「しーちゃんがよく、聞かせてくれたから。大江山で暮らしてた時期があるって。だから、どんなところか見たかったんだ」 「そんなところへ行く必要などないだろうが」  静子は、がしがしと整った頭をかく。髪が乱れたが、気にする様子もない。部屋には二人だけゆえに、擬態する必要がないのだろう。 「それで、巻き込まれたって、何に」 「なんか、知らない人に誘拐されちゃって? 女の人なんだけど」 「はぁ?」 「鬼っぽい人だったよ。しーちゃんの居場所を聞いてきたから」  つと。  静子の表情が、これまでよりもさらに、冷たいものになる。いや、無表情になった、といったほうが正しいだろう。あらゆる感情が抜け落ちて、静子は今、能面のような顔でそこにいる。  部屋の空気も固まってしまったかのようで、呼吸が苦しい。これが威圧だと麻野が理解する前に、静子が言う。 「どんな姿だった」 「す、すごい、美女で。着物姿だった」 「……なるほど、茨木だな」 「え? 茨木童子のこと?」  酒呑童子が大江山で暮らしていたころ、鬼の部下がいた。そのなかの一人が茨木童子だという話は、有名だ。さらにいうと、酒呑童子は源頼光に退治されたと言われている。だが、実際に酒呑童子は生きていて、ここにいるのだから、伝承や民話のたぐいは、すべて信用できるものではないだろう。
/106ページ

最初のコメントを投稿しよう!