第四章

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 麻野があちこち動き回った夏季休暇も、もうすぐ終わる。  大学生は暇だと聞いていたが、麻野にとっては高校時代より遥かに多忙な夏となった。講義は少ないものの、論文の提出や神田教授の手伝い。ゼミでの勉強。それらに加えて、麻野はバイトに時間を費やした。  といっても、短期集中型のバイトで、重労働だが時給が良い。体を壊さない程度の制限を自分で儲けて、着々とバイト代を稼いだ。  長かった大学の夏季休暇も、あと一週間ほどで終わる。  高校時代のように、この日で夏休みは終わり! という区切りはなく、徐々に各学部が活動を再開させていく――といった印象だ。さすが大学生にもなると、自分で切り替えて行動しなければならないのだろう。  麻野は、手の中の給料袋から、決まった金額を取り分けて茶封筒に入れた。  そして、よし、と頷く。  なんとか稼ぐことができてよかった。  これは、新居崎へ返すために用意した新幹線代だ。せめてキャンセルをしておけばよかった新幹線は、結局空席のまま発車して、空気だけを席に座らせた。その空気代は、もちろん、返ってはこない。  麻野の都合で一日伸ばした宿泊だ。  新居崎は、ビジネスホテル代をすべて出してくれたし、レンタカーの延長料金も払ってくれた。だから、せめてキャンセルしてしまった新幹線代だけは返したいのだ。  麻野は、封筒を握り締めたまま、ううと唸る。  旅行から帰ってこっち、新居崎からの連絡がぱたりと止んだ。あんなに頻繁に「あれを買ってこい」だの「あれを持ってこい」だの言いつけてきたのに。  携帯電話を確認するが、やはり、新居崎からの連絡はなかった。  麻野を雑用に呼ばないということは、それだけ時間に余裕があるのか、もしくは麻野の代わりになる相手が見つかったということだろう。それは喜ばしいことだ。他学部の麻野が新居崎を手伝うよりはるかに効率がいい。 「……なんだろ、この感じ」  見知らぬ女性が新居崎の隣にいるところを想像して、もやっとした。  想像のなかの女性は驚くほど綺麗で、今風のメイクも髪型もばっちりと決めた人。背も高くて、スレンダーで、新居崎の腕にそっと手を添えて歩ける人。  つまり、何もかもが麻野と正反対の人なのだ。  麻野は、ぶんぶんと首を振って、気分転換にベランダに出た。網戸と扇風機の微風で守られた室内とは違い、外へ出るとすぐさま蚊が寄ってくる。それに構わずに、麻野はぼうっと空を見た。  最近、曇りが続いていたが、今日は快晴だ。  雲一つない空には、数多の星が輝いている。 「……先生、宇宙が好きだって、言ってたっけ」  今日は星がよく見えますよ、と伝えたいけれど、なんとなく、伝えづらい。新居崎は准教授だし、麻野のような一般の、しかも他学部の学生が簡単に連絡をとってよい相手ではないのだ。  じぃ、と手の中の封筒を見つめる。  でも、用事があれば、話は変わってくるんじゃないか。この封筒を渡すために会えないか、と連絡を入れよう。  文章を打ち込んだ麻野だったが、それらをすべて消して、一人で唸る。  駄目だ。  もし既読さえつかなかったら、絶望的だ。
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