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見間違いかと目を瞬いたが、どうやら見間違いでも夢でもなく、現実らしい。新居崎はすぐに通話に出た。だが、第一声がうまく出ずに、喉が奇妙な音をたてる。
言葉が喉につっかえて、黙り込んでしまった。
『先生ですか? 麻野ですー』
「あ、ああ」
『今、お時間大丈夫ですか?』
「問題ない。何か用か?」
自分でも驚くほど、平常心を装った返事が出来ただろう。そもそも、なぜこんなにも見栄を張っているのか自分でもわからない。
新居崎は自分が男前だと自覚しているし、麻野だって頷いた。男前だとお互いわかっているのに、なぜ見栄を張るのだろう。
そんなことを考えたが、答えはすぐに出た。
内面だ。麻野は、新居崎を格好いいと言った。優しいと言った。だが、新居崎本人は、自分のことをそんなふうに見たことはない。
だから見栄を張る、というのは、理由として奇妙だろうか。理屈にかなっていないような気もする。
『――なので。先生、聞いてます?』
「ああ、聞いている」
本当は聞き逃していたが、それさえも問い返すことが躊躇われた。聞こえなかったんだが、とか、いつもの口調で言い返してもう一度言わせればいいのに、変な虚栄心が、新居崎の心を乱す。
『よかった、駄目だったらどうしようかと思いました!』
「……む?」
もしかして、何か今、とんでもない約束を取り付けた――のだろうか。さすがにまずいと思った新居崎が聞き返そうと口をひらいたとき。
『そうだ、今日すごく星が綺麗なんですよ。ずっと曇りばっかりだったんですけど。今、自宅のベランダから空を見てるんです』
呼吸が止まるかと思った。
こんな感情は知らないし、これまで読んできた本たちの中にもなかった。いや、表現としては見たことがある。だが、今の新居崎は、それらの物語の登場人物を、酷く薄っぺらく感じた。
現実の感情はこんなにも、激しく変化をするものなのか。
「――今から、行く」
そんなことを口走っていた。
麻野の返事も聞かずに、携帯電話を繋いだまま、鞄をひったくるようにして持ち、玄関へ走り出す。
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