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 結局映画は止めて途中下りた駅をぶらつくことにした。 駅から出てもまだ放心状態だった太一をカラオケBOXに連れてきた。 ここなら個室だし周りを気にしなくてもいい。 太一はポツリポツリとされた事を口にした。 「最初はお尻に手が当たってたんす。でも満員だから仕方ないかなって。」 「無理に話さなくてもいい」と言ったが太一は続けた。 「相手の手、払ったらチンコ触られて…。鞄でガードしたらズボンの中に手が入ってきて…。」 今にも泣きだしそうな太一を再び抱きしめる。 「湿った気持ち悪い手が直接お尻にっ…。」 全部言い終わる前に抱きしめる俺の腕を払いのけ出ていってしまった。 二人分の鞄を持ってトイレに行く。 個室は一つ扉が閉まっている。 「大丈夫か…?」 そんな事しか言えない自分が情けない。 「…っす。」 太一が答える。  少ししてからトイレの扉が開いた。 涙目の太一は口をゆすぎ部屋に戻った。 俺はただ太一の後をついて歩くことしかできなかった。  「本当に男相手に痴漢する奴なんているんすね。」 無理に明るく振舞おうとする太一を見ては胸が痛む。 「今日はもう帰るか?」 平静を装って言ってみるが太一は傷ついた顔をしながらイヤイヤと首を振った。 頷き太一の手を取る。 俺よりは小さいが骨ばっていてゴツゴツとした男の手だ。 太一は男なのだから当たり前なのに今気が付いたような感覚に襲われる。  太一も落ち着いてきたのか一時間もするとヤケになったように歌いだした。 発散するかのように、忘れようとするように。 俺も太一に合わせて歌う。 太一が気にしないようにしているのに俺の方が傷ついた顔をしていたら太一が気にする。  三時間も歌うと二人とも声がガラガラになった。 お互いの声を聞いて笑う太一の笑顔は作られたものではない、いつもの笑顔だった。 駅に着くと溢れかえっていたのが嘘のように閑散としていた。 「一人で帰れる」と言い張る太一に無理やりついていくように一緒の電車に乗り込む。 比較的空いているが太一に人を近づけないように角に追いやる。 「恐くない?」 周りに聞かれないように太一の耳元で聞く。 ビクッと反応する太一に驚かしてしまったかと反省するも嬉しそうにしている太一の顔を見て安心する。 「触ってくれたのが先輩だったら良かったのに…。」 冗談のように言ったつもりなのだろうが陰のある笑顔は本心だと物語っていた。 「ばか…。」 太一を喜ばせてやる言葉が見つからなくて結局そんな言葉が口から洩れる。  太一と同じ駅で降りる。 何度断られても「家まで送る」と言う俺に呆れるように応じる太一。 商店街を抜けると街灯の少ない夜道が続く。 「少し、公園寄って行っていいですか?」 太一の言葉に軽く返事をする。 人のいない公園は静かで虫の鳴く声が響いていた。 蚊に刺されそうだな。そんな事を考えていると太一にベンチに座るよう促される。 隣に座ると少しの沈黙。 「俺、今日先輩と一緒にいれて良かったっす。」 改めて言われると恥ずかしくなる。 「でも、嫌な体験もしました。」 太一の言葉に俺まで心が重くなる。 「だから上書きしてほしいんす。」 何を言われているのかよく分からず「お?おぉ」と返す。 自分ができることならしてやりたいと思うが何をすればいいのか分からない。 「キスしてください。」 太一の言葉にマヌケな声が漏れる。 キス? 俺が? 太一に? 「くち?」 思っていた言葉とは全く別の言葉に自分で驚く。 無言で頷く太一から目が離せない。 俺から? キス? 太一に? 何度も同じ言葉が頭を巡る。 その時、駿の言葉を思い出す。 駿も俺とならギリいけると言っていた。 友達同士でもいけるならたぶん大丈夫だ。 今日嫌な目にあった太一の頼みだ。 できることなら叶えるのが先輩だろう。 「分かった。」 太一の肩を両手で掴み気合を入れる。 口が触れるだけ。 口が触れるだけ。 頭の中で繰り返す。 待ち構えるように目を瞑る太一。 顔をゆっくり近づけて太一の顔をまじまじと見る。 まつ毛が意外と長い。 目の下に泣きぼくろ。 俺の両手にすっぽり収まりそうな小さい顔。 風に揺れる髪の毛。 意識するとだんだん恥ずかしくなってくる。 早く済ませよう。 太一の肩を引き寄せ唇を合わせる。 力んでいる俺とは違って太一の唇は柔らかかった。 俺も力抜けば柔らかく感じるのか?そう思って力を抜く。 息はどうすればいいんだ? 鼻でするのが普通か? なんか太一甘い香りがするな。 どこかで嗅いだ香り…。 飴か…? そんなことを考えていたら無意識に太一の唇を舐めていた。 太一の反応で我に返り押しのけるように太一を引きはがす。 「おれっ、ごめっ!!あめっ!」 言いたい事がまとまらない。 慌てる俺をからかうように笑う太一。  「これっすか?」 唇に挟んで口に入っていた物を見せつけてくる。 丸い飴のようなもの。 必死に頷き誤解を解こうとする。 急に太一が一歩寄ってきたかと思うと俺の首に両腕を回す。 体勢が崩れて「わっ」と声が漏れる。 そしてその唇は再び太一の唇で塞がれる。 驚いていると口の中にコロッと音を立てて飴が入ってくる。 太一の唇が離れて口に残る飴を舌で転がす。 「メロン味です。」 太一に言われて初めて飴の味を感じ取ることができた。  半分茫然としながら太一を家まで送り届ける。 一人になってからも太一の事が頭から離れない。 小さくなったメロン味の飴を噛むと二つに割れた。
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