0人が本棚に入れています
本棚に追加
安達祐実の大ファンだっ! (4)
ユーチューブの動画を見ていてふと思いついた。この老人はふと思い つくことが多い。あまり理論的な精神活動をしていない証拠である。だからその思いついたことが重要なものだったり取るに足らないものであったりとまちまちなのも当然か。庄司紗矢香の演奏に浸りながらもユーチューブで「ガラスの仮面」を調べたら良いのではと思いついたのである。
ユーチューブは動画の投稿サイトであってコミックは関係ないのだがその事に全然気づいてはいなかったな。偉そうなことを言うわりにはボーッと
した人間なのである。
テレビドラマ「ガラスの仮面」というのがあった。テレビ放映されたらしいアニメもアップされていた。ここでは対象がコミックではなくアニメになるのだと今頃気づいている。
「一人ガラスの仮面」という動画もあった。つまり一人の女が主人公になりきってある一場面を演じてみせる。それを自ら録画したものだと思われた。その映像は見るに堪えるものでは無かったが、アイデアと熱意にちょっとだけ拍手をしたくなった。原作者の美内すずえさんにインタビューしたテレビ番組のビデオもあった。
しかし結局コミックについての材料は得られなかった。だが手ぶらでひきあげるのも癪だと思ったのでテレビドラマを見ることにした。
期待はしていなかった。テレビドラマということは原作を放送時間などの寸法に合わせるということだろう。そのために脚本家がいる。放送回ごとに視聴者の興味や感動を獲得しなければならない。大変な作業だが、酷な言い方をすれば必然的に原作は変造される。そして様々な制約を課せられた分、テレビドラマや映画はだいたいにおいて原作よりつまらないものに感じてしまうことが多い。そのつもりでドラマ「ガラスの仮面」を見たのである。しかし予想に反して実に面白い。作り変えられた部分はあるのだが全く気にならなかった。
それ以上に主役の北島マヤを演じる少女が印象的だった。彼女こそが安達祐実だったのだが、正直言って彼女の顔が分からなかった。だれだろうと思った。しばしばハッとするほど美しい顔と表情をみせる。こんなタレントがいたっけ、と首を傾げた。それまでに安達祐実をテレビで見ていたはずだった。映画「レックス」のコマーシャルや、「家なき子」の番組ピーアール用のビデオが流されるのを何度も見ていた。しかし彼女の顔を全く覚えていなかったということになる。
あの「同情するなら金をくれッ」という番組の宣伝は何度も見た。その印象は、こまっしゃくれたガキが何か叫んでいる、(ひえ~許してください、
心にも無いことを口にしてしまいました。)というものでしか無かった。唯一気になったのは「同情するなら金をくれッ」というフレーズだった。ここは同情するより金をくれッという方が一般的だろうなと思った。そこは覚えているがこの言葉を叫んでいるタレントに関心は向かなかった。綺麗なお姉ちゃんならまだしも子供に興味は無かったのである。 いったい誰だろうと訝りながらドラマを見続けた。
第一シリーズが終わりに近づいたあたりでこの主役の少女は誰だろうと本気で考えるようになった。動画はテレビ番組のビデオをそのままアップしている。だから放送回の最後のシーンに出演者の名前が画面の下部にテロップで表されている。それを読めば良いだけの話だが難しいのだ。なぜならエンディングの曲の歌詞がそこに上書きされていたからだ。歌が進むにつれて歌詞が光りながら消えていく。さらに虹のようなものが懸かるというかなり凝った装飾的な映像が現れるのだ。どうしたらそんなことが出来るのか技術的なことは年寄りには分からない。だが結果的に配役の名が読めないのだ。
出演者の名前が流されるシーンごとに眼を凝らせた。そしてついに少女の名を読み取ることが出来た。「安達祐実」とあった。
「えっ、あのこまっしゃくれたガキ?」ひえ~、何度もごめんなさい。心にも無いことを口にしてしまいました。許してください。安達祐実は美しい娘に成長していたのだ。
ドラマ「ガラスの仮面」第一シリーズを見終えた。だが去りがたい思いがあった。彼女の美しい顔がまた見たいのである。その事を認識出来ないまま一話から見直していた。そしてあのシーンに巡り会ったのである。それが思えば安達祐実と出会った瞬間だったのだ。
北島マヤが劇場を訪れる。初めて舞台を見るのである。彼女はそのチケットを手に入れるために深夜、川に飛び込むという事までやったのだ。劇場に一歩入ったところですでに華やかな雰囲気を感じている。気後れと期待。そこへ、この劇場の若きオーナーが登場する。マヤに問う。「君、チケットは?」
「はい、ちゃんとあります。」
マヤは自分が貧しい家庭の娘だと知っている。だが同時に劇場の正当な観客だと主張したのだ。
だがチケットを手渡された若き劇場主はつい「ずいぶんくたびれたチケットだね。」と口にしてしまう。その言葉はマヤにとって受け入れがたいものだった。マヤは口をへの字に結んだ。彼女の表情の変化に気づかぬまま
彼は近くにいた女性スタッフに声をかける。「君、この方を**番席へ。」
マヤは男に対する反感を抱きつつも観劇出来ることを確信してホッとしている。
この時マヤを演じる安達祐実は、への字に結んだ口をモゾッと動かして普通の形に戻して見せた。その口許の動きが印象的だった。北島マヤの心情を表すと同時に実に愛らしい表情を見せたのである。「あっ」と新鮮な驚きを感じた。安達祐実の真価は表情なのだと知った。彼女は表情の演技でこのドラマの主役を張っているのだ。そう気付いた。
私は演技というものを誤解していたのだ。無意識に舞台上の演技だけを思い浮かべていた。動作が大切だった。わかりやすく大きなはっきりした身振り手振り。そして同じくよく分かる通る声による台詞。それらによって喜怒哀楽を表現する、それが演技だと考えていた。だが必ずしもそうとは限らないのだ。テレビなどの映像の世界では表情こそが重要なのだ。
それを意識してあらためてドラマを見ると、それまで気にもとめなかった脇役たちの演技にうならされるものがあった。やはりプロだなと納得する。同時にたくさんのプロに支えられて主役を演じる安達祐実は幸せなタレントだと思った。
だが実際に幸せなのは年寄り自身だった。彼女が演じる「北島マヤ」をボーッと見ているだけで良かった。北島マヤを介してのみドラマは進展していくのである。そんな構成になっていた。だから安達祐実を見ているだけで良かったのだ。幸せな気分になれた。哀れな年寄りはすでに彼女の美しさの虜になっていたのである。
それにしても彼女の表情の演技は実に魅力的だ。多くの表情を見せてくれた。そしてそのどれもが美しさと愛らしさを持っている。特に彼女の眼に心を奪われた。
彼女がこちらを見つめている。つまり撮影するレンズを見つめているということなのだが、映像を見る側は自分が見つめられている様に感じる。その眼がたまらなく魅力的なのだ。なぜだろう。そして気づいた。彼女の眼は左右がアンバランスなのだ。あの見事に整った顔のなかで眼だけが左右のバランスを欠いている。それが表情の演技の一部なのか実際にそうなのかは分からない。だがその眼で見つめられると心が揺り動かされるのだ。たとえば彼女が悲しみのこもった瞳をあげる。そのとき片方の眼には何かを疑うかすかな炎が感じられる。彼女が驚きに眼を見開いても一方の眼は冷たく何かを見据えているのだ。ああ、俺は何を言っているのだろう。彼女の目が怒りに燃えているとき、もう一つの瞳は哀しみさえ湛えているのだ。だから俺はさっきから何を言っているのだ。もうダメだなこれは。
こうしてすっかり「ガラスの仮面」に没頭したのだが、安達祐実といえばやはり「家なき子」は避けて通れないのではないかと思った。急に興味を抱いてユーチューブで探すと、ドラマのごく一部、3分ほどの断片的な映像がアップされていた。とりあえずそれを観た。
主人公の少女が先生らしい若い男と並んでベンチに腰を下ろしている。安達祐実は小学生くらいか。ほっぺがプックリして実に可愛い。「ガラスの仮面」の北島マヤと比べるとずいぶん幼い感じだ。
「もうあんな事をしちゃだめだぞ」と教師。どうやら少女が悪いことをしたらしい。彼女は立ち上がる。教師を振り向いてため息交じりに言う。
「たかだか1万5千円で私に恩を売ろうっての?」
その顔を教師が平手で叩いた。すると彼女は落ち着いた声で足下の犬に命令した。
「こいつ、やっちまいな。」犬が教師の手首に噛みつく。
とても信じられないシーンが展開されていくのだ。「家なき子」って文部科学省推薦のような物語だったはず。抱いていたイメージと全然違うぞ。 だがそれとは無関係に安達祐実の可愛らしい顔が深く印象に残った。
しばらくしてもう一度彼女の顔に会いたくなってユーチューブを開いた。老人には孫がいないが、いたらきっと会うたびに同じような楽しい気分に
なるのだろうと想像しながら履歴の項目をクリックすると、突然「ドラマ家なき子第一話」が現れた。思いがけない事態にドキドキしながら画面をスクロールするとそれは最終話まで連なっている。こんなことがあって良いのか。
いきなり幸運を手にしたような明るい気分でドラマ「家なき子」を観たのである。
当初は登場した安達祐実があまりに幼く見えて痛々しく感じたが、すぐにそれは気にならなくなった。思いがけずなかなかの演技力なのだ。さらに可愛らしいだけでなく時に凄みを感じさせる。こんな子役は他にいないだろうと思った。
(つづく)
最初のコメントを投稿しよう!