3時のティーパーティ

1/1
2人が本棚に入れています
本棚に追加
/1ページ
 今回の依頼はこの国の王の暗殺。  いつものように殺せばいいと思っていた。  けれど、その顔を見て殺すことなんてできるわけがなかった。  なぜなら、俺の初恋の人だったからだ。  お得意様の依頼を受けて、今日も今日とて暗殺に向かう。あの依頼主はその中でも報酬を大量に用意してくれる、とてもいい客だ。今回はいつもの10倍ほどの金を出され、依頼された。王を殺すなんて任務は今まで受けたことがないため、若干の不安はあったものの、貴族を暗殺するようなものでいいか、と甘く見ながら、いつもの黒い仕事着に着替えた。  王の居座る城の情報を集め、最短ルートと見張りの位置を確認する。この国では昨今、紛争などの争いがあまりないため、他の国よりも見張りは甘かった。四ヶ所の城門に2人ずつの計8人、一定時間ごとに巡回する兵の一団、王の部屋や宝物庫など重要な部屋の前にも2人ずつの見張りといったところだ。もし見つかったとしても俺には「あれ」がある。簡単だ。  依頼を受けて1週間後、依頼の完遂するために城へ向かった。城はとても巨大であり、国が繁栄していることを物語っていた。まるでどこかのおとぎ話に出てくるような白亜の城だった。計画通り、南門から見張りを巻いて紛れ込む。彼らには少しばかり眠ってもらって、ね。それから、巡回の兵は時間さえわかってしまえばこちらのものだ。全く問題はない。  そうして簡単に王の寝室にたどり着いた。さっさと殺して寝床に帰ろう、報酬金で何か美味しいものでも食べようか、そんなことを考えながら部屋に侵入し、ベッドのそばまでたどり着いた。この国の王は何故だかわからないが、顔を正式に出してはいない。噂によれば、子どもだからとかまだ成人していないからなどと言われているが真偽は不明である。ただ、女性である、という情報だけは得ている。そして、俺はすやすやと寝息を立てている顔を覗き込んだ。 「!!!」  驚嘆の声が思わず出かかり、慌てて息を飲み込む。  俺は彼女を知っている。 それは小さい頃の話。俺が暗殺者になる前の話だ。そこそこいい身分の親の元に生まれたこともあって、貴族様や王族様と付き合いがあった家庭であり、その中で出会ったのが少し年下の彼女だった。一緒に過ごす期間は短く、一週間程度だったけれど、彼女の純真無垢な可愛らしさに惹かれ、いつの間にか心を奪われていた。これが初恋だった。あの頃はよく午後の昼下がりである3時にお菓子を並べてティーパーティしたものだ。この女王様とも何度かその時間をともにした。ちょうど彼女と出会ってすぐに俺は誘拐されて、暗殺者となったが。今では夜中の3時にしか顔を合わせられないなど、全く皮肉なものだなと己のことながら苦笑してしまう。 彼女の枕元に腰掛けると、ギジリとスプリングが鳴った。そして、懐から注射器に仕込んだ睡眠薬を取り出し、彼女に。身につけていた黒い手袋を外して優しく頰を一撫でする。 「綺麗になったなあ……」  あの頃も勿論彼女に惹かれていた。けれど今は可愛いだけではない、大人の女性としての美しさも見て取れる。まさか、彼女がこの国の王だったとは。まだ成人していないのだからそれは当たり前か。きっとあの日から10年、国を守るためにたくさんのことを学んでいたのだろう。けれど自分はどうだ。この10年、ひたすらに人を殺していただけだ。    ああ、こんな汚れた手で彼女に触れるなんて罰当たりだ。  けれど触れずにはいられない。  あの初恋から一度も恋ができていない。  だからずっとこの子が好きだった。こんなこと、酷じゃないか。ひたすら心を無にして殺してきたとしても彼女の前ではそれは綺麗さっぱり消えてしまう。もういっそのこと、彼女のことを誘拐でもしてしまおうか。申し訳ないけれど「あれ」を使えば、彼女の精神や記憶に干渉できる。それとも依頼主のことを逆に暗殺してしまおうか。彼は俺に依頼したことをいつも誰か他の人には話していない、だから彼さえ消してしまえばこの件は闇の中だ。そもそも依頼の期限まではまだある。もうすこし考えてもいいじゃないか。その日、初めてターゲットを前にして殺すことをしなかった。  あれから一週間、懲りずに彼女の枕元に通った。別に何もしていない。ただ、彼女の頰を撫でて寝顔を見るだけ。他の任務も並行して行っていたから、というのは言い訳にならないだろうか。そして、依頼の期限の日になった。今日もいつものルートで彼女の部屋にやってきた。あぁ、今日も綺麗だと頰をひと撫でする。そして俺は懐から暗器を取り出した。彼女のために、彼女が苦しまないようにすぐに命の灯火が消えるように用意したものだ。本当は殺したくない。でも生きていくために、仮に自分以外の何者か狙われ命を奪われないために、いっそ己の手で摘み取ってしまった方がいい、そう考えた。きっと他にも選択があっただろう。けれどこれしか思い浮かばなかった。寝息を立てながら目を瞑っている彼女の上に跨る。あぁ、愛しき人よ。さようなら。首筋に刃を当てる。少しでも腕を動かせば血が流れるだろう。そして己の手も血で汚れるだろう。腕が震える。はは、らしくもないな。今の俺は命を刈り取る暗殺者だ。冷酷無慈悲の男だ。こんなことは本当に初めてだ。覚悟は決めてきたはずだけどな。  そのときだった。 「やらないの?手が震えているよ。」  背後から男の声がした。まさか、俺以外にも彼女を狙っている刺客がいるのか。咄嗟に相手の方を振り向く。こちらは黒いマスクをして顔の下半分は隠れている。身が晒される危険はないだろう。しかし、そこに立っていたのはいかにも軽薄そうな胡散臭い若い男だった。 「今夜も性懲りも無くきたのかな?ははは、これはこれは君は巷で有名な操り人形師さんじゃないか!本当に雪のように白い髪に赤眼。この国じゃ、珍しいよ?君の容貌。」  一歩一歩近づきながら話す男を牽制するように暗器を投げるが、いとも簡単に避けられる。 「危ないじゃないか、君。あぁ、そうだった。君は話せない暗殺者だったね、いや話さない、そっちの方が正しかったかな。」  どこまで自分のことを知っているのか、この男は未知数だ。会ったこともないし、依頼を受けたこともない、何者なんだ、この男は。 「目を見ただけでその人の精神や身体の主導権を我が物とする。その能力を使ってターゲット自身を死へ誘う、だから操り人形師だったかな。大層な呼び名だねぇ。その上、受けた依頼はどんなものでも完遂する。100年に一度くらいの逸材じゃないかな、君。」  にこにこと愉快そうに話しかけてくる男が目障りだった。まさか俺の最終兵器である「魔眼」が人を操る能力までも知られているとは思わなかった。始末してしまっても構わないが、おそらく只者ではないだろうし、彼女を起こしてしまう可能性がある。この力も近づかなければ効力を持たず、ここまで離れていると発動しても男が術にはまることはない。 「どれだけ煽っても君は口を聞いてくれないんだね、悲しいなあ。あぁ、彼女のことは別に殺してしまっても構わないよ。確かにこの子はこの国の王だけどね。俺はただ利害が一致して一時的に手を組んでいるだけに過ぎない。死んだらまた、違う取引相手を探せばいいだけの話さ。殺せないのなら手を貸してあげようか?もし、本当に彼女を君が殺せるのなら、ね。」   きっと俺が彼女を殺せないことを分かっているのだろう。昔話のことは知らないだろうが。 「それと君さ、噂では暗器なんかじゃなくてその力を使って殺しているって聞いたんだけど、なんで今回はそんな刃物を使うんだい?何かの拍子で君が犯人だと世間に知られてしまうかもしれないよ。まさかとは思うけど、この子が苦しまずに死ねるように、とか刺客らしからぬ理由じゃないよね?」  その時、男の背後から暗器が飛んでくる。彼女の首筋に当てていたナイフで弾くものの、どんどん飛んでくる。 「刺客は君だけじゃない、それを忘れないといいさ!」  男は腰に刺した剣を抜いて襲いかかってくる。 「君が彼女を殺せば、攻撃をやめるよ。それはつまり殺さない限り、やめないってことなんだけどね!!!」  咄嗟に彼女の首筋に睡眠薬を刺し、抱え込む。 「まさかターゲットを抱えて不利になりながらも応戦するなんてね。余程、この子を殺されたくないのか、それとも自分以外に殺されたくないのか。どちらもかな!欲張りだな、たかだか暗殺者のくせに!!!」 こいつと目さえ合えば、動きを止められる。殺すことだってできる。この子を取られるわけにはいかない…刺客として、一人の男として。その時だった。 「んっ……っ」  抱いている彼女が身じろいだ。睡眠薬を投与したはずだし、簡単に目が醒めるわけがない。 「仮にもそのお姫様はこの国の王だぜ?そんな安っぽい薬じゃあ、夢から醒めるに決まっているだろう。さあ、眠り姫のお目覚めだ。」  にやりと男は口角を上げる。それと同時に攻撃をやめて離れて俺たちから遠のいた。 「ソラの声がしたと思ったんだけど……気のせいだったかな……あれ?貴方は誰?まだ夢の中なのかしら。」  すると手を伸ばして俺のマスクに触れる。 「王の御前よ?ちゃんと顔を見せてちょうだい。」  あの男の時には咄嗟の行動ができたのに、この子に対しては抵抗もできず、されるがままの状態でマスクを外される。 「やっぱり綺麗な人だわ。髪も透き通る雪のような白い髪で、ルビーのような赤い瞳がとても映えるわね。でも何処かでこんな人を見たことがあったような気がするわね…えーと、小さい頃かしら…」  愛おしそうに頰を撫でられる。だから、というわけではないけれど頰を撫で返す。あぁ、やはりこの子が好きだ。そして、俺のために必死に記憶の引き出しを探っている。なんて可愛らしいんだ。 「ティーパーティ。花園で、2人で遊んだだろう?」 「ん?ティーパーティ……あ!そうだそうだ!あの時の綺麗なお兄さんだ!」 「君も綺麗な可愛らしい女性になったね。」 「私、ずっと貴方に会いたかったの!だって会って一週間くらいでいなくなっちゃったでしょ?父様や母様には公務で違う国に行くことになったから、って言ってたけど。あの後、ずっと泣いていたんだからね……。」  ばかばか、と言いながら胸板を叩かれるけど全く痛くないし、戯れのようなものだ。彼女はまだ夢の中にいるような雰囲気だったが、それよりも俺のことを覚えててくれた、忘れないでいてくれた、それがとても嬉しかった。 「今になって言えることだけどお兄さんが私の初恋だったんですからね!まあ、夢の中だから何言ってもいいよね。」 「俺も君が初恋だよ。今も好きだよ、お姫様。」  彼女の前髪を掻き分けて、優しく口づけを落とす。すると照れたように手で顔を覆い、距離を置こうとするけれど、逃がさないとばかりに腰を引き寄せる。 「ちょっと待って。ちょっと待って。なんかすごい現実味を帯びてるんだけど。もしかしてこれって……。」 「夢じゃないよ。」  にっこり態とらしく微笑む。そして、優しく髪を撫でた。慌てている姿もとてもかわいらしく、愛おしい。 「あのさ、僕のこと忘れてないかい、君たち。」  彼女を庇うように懐に手を伸ばして暗器を探りつつ前に出る。 「僕に対しては何も言葉をかけてくれないのか〜妬けるなあ。女王陛下、そいつ貴方を殺しにきた刺客ですよ?過去に何があったからなんとなくわかりましたけど、現実を見た方がよろしいかと。だいたい、正体を隠すようにマスクをしている上に暗闇に紛れるような黒ずくめのまるで隠密のような男、怪しいとは思わなかったんですか?」  男はため息をつきながら、やれやれといかにもあきれたような仕草をする。 「だって貴方だって怪しさ満点じゃないの。私を王の座から引き摺り下ろそうと画策していること、知ってるのよ?」 「ははは、知られていましたか。このことはどうかご内密に。」  男は指を立てて静かに、というようなポーズをとりながらウインクをする。 「あの男、殺してもいいかな。」  この国の王である彼女のゴーサインさえ出てしまえばいくらでも仕留められる。小動物をかわいがるように首元を擽る。 「ダメだよ、あの人あれでも私の婚約者なのよ。」 「……………は?」  まさか自分にこんなにも低い声が出せるとは思っていなかった。それほどまでに驚きとなんでこんな奴が、という嫉妬を始めとするどろどろした醜い感情が心に満ちる。 「ごめんねー、彼女は僕のものなんだ。君が初恋を拗ねらせているのは十分にわかったけど渡すわけにはいかないんだな、これが。そもそも今の君は裏社会の暗殺者だ。そんな奴がこの国の王になる女性と結ばれるなんて、身分違いにもほどがあるんじゃないかな?」  確かにこの男のいう通りだ。彼女と自分とでは身分の違いがありすぎる 「それにね、僕も僕でちょっと怒っているんだよね。君がここ一週間、この子のもとに通っていたのは知っている。あ、何か特別な方法で知ったわけじゃないよ。要するにね、彼女の夫となるわけだから一緒に寝たりもするわけなんだよ。それで初めて彼女と寝ようと思った吉日、このベッドまで来たんだ。でもね、彼女の香りじゃない、別の男の匂いがしたんだ。確かにこの子は王様だから騎士様や他の貴族と会う機会がないわけじゃない。けれど、公務が終わって湯浴みを済ませたはずの彼女からそいつらとも違う匂いがしたんだ。それが一週間も続いたらさすがに気付くよね。それに、お姫様が目を覚ましたら2人でいちゃいちゃしだすし?こっちだってたまったもんじゃないよ、全く。」  けれどね、と男は続ける。 「今日くらいは君と陛下の逢瀬を許してあげてもいいよ。僕の器の大きさに感謝して精々今日という日を楽しみなよ、暗殺者。もし彼女を本気で手に入れたいのなら、それなりの覚悟を決めて僕から奪ってごらん。いつでも相手になってやるよ。」  こちらに背を向けたかと思うと、片手を振って爽快に立ち去りながら台詞を吐いていった。皮肉が混じっている、俺に対しての呪いを込めた言葉だった。  男が立ち去ったあとの沈黙を破ったのは彼女だった。 「ねえ、あの頃みたいにお茶を飲まない?」 「でも、もう夜遅いし、明日も早いんだろう?」 「こんなことがあったんだもの、目が覚めちゃうわよ。だから責任をとって私に付き合ってちょうだい。」  彼女は部屋の差し込む月明かりを頼りに、部屋に備え付けられている簡易キッチンに向かった。 菓子類は一切ない、紅茶だけのささやかなティーパーティ。 真夜中の、午前3時のささやかな逢瀬に祝福あれ。
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!