塩分過多もなんのその

5/5
前へ
/10ページ
次へ
「そんで」  帰りの車の中、ナナコは突然そう切り出した。  時刻は六時を過ぎ、美祈は家にあるであろう肉か何かを夜ご飯としようと決めていた。外はまだまだ明るく、しかしうだるような夏の暑さは消えていた。  夏が終わりに近づく頃、美祈は寂しさなんて感じていない。引きこもりの美祈にとって夏は敵、憎むべき仇なのである。故に半袖から脱した今は、美祈は鼻を高くしている。なぜかはわからない。  そして車の冷房の恩恵を受けている今、美祈は最強だった。こういう時、映画ウォールフラワーの無限を感じる、というセリフを使いたくなる。 「んー?」  そんな無限の美祈は、半ば浮かれた気持ちで答えた。 「お前はどうするのだ」 「え? な、なんの話? 」 「わかってんだろおめぇ」  ナナコに嘘は通用しない。運転中のナナコから腕が脇腹に飛んできて変な声が出てきた。ぐふ。 「美祈はこの失恋で何か変わらないといけないんじゃないだろうか」  口調が変わったナナコの目を盗み見る。どうやら真面目な話のようだ。口調が小説の地の文のようになり、目が真面目な時は真面目な話。 「私、どうしたらいいの」 「それは美祈が考えないといけないだろ」  正論を言われて縮こまる美祈。  このまま、こんな不安定な精神状態で小説家なんて続かないし、酒の量も増えて死ぬ。だからこれを機に成長せよとナナコは言う。  わかってはいるが、そのためにどうしたらいいのかわからない。昔からマイペースな美祈だったが、精神状態は決して安定していたわけではない。それを隠して、一時期クズみたいな人間になったこともある。  人付き合いも得意ではなかったから、悩みがあっても自分の中で完結してきた美祈は、成長ではなく妥協という形で自信に降りかかったものを閉じ込め、自身の懐を深くすることなく育った。 「確かに元カレも悪いけどさ、美祈にもダメだったところあるんじゃね?」 「私にか……」  振られ文句が、マイペースさについていけない、だったことを踏まえて考えてみると、案外思いつくものだった。  例え話がある。あれは去年の夏の、その年で一番暑いといわれた一日のことだ。  元々その日はプールに行こうという話になっていて、そのために美祈は原稿を終わらせたりなんだとかしていた。もちろん元カレも色々準備をしたはずだ。  しかし美祈はその日、暑いし人多いしお家デートしよーなどと言い出したのだ。  今振り返ると、ただの自己中心的なカスにしか見えない。言い訳をさせてもらえるなら、あの時は酔っていたとだけ言わせてもらうことだろう。 「確かに……やりすぎたかもしれない……」 「あぁ、それはやりすぎというかジ・エンドって感じ」 「くぅっ……」 「まあそれを反省して次に生かそうや、自分の悪いところを認めただけ進歩だぜ」  この親友は本当に親友だ! なんて語彙の喪失が見込まれることを思い、美祈は顔を輝かせた。 「これからガンガン幸せになろうぜ!」 「おー」  それから美祈の成長会議は閉会を迎え、美祈は帰宅を果たした。夜ご飯は適当に底辺をさまよい、余っていた缶の酒をちびちび飲みながらナナコとゲームをした。  酔いが回り、FPSで調子が上がり、敵をバッサバサとなぎ倒し美祈は気持ちよくなっていた。 「これがみんな世の中の男だったらいいのになー!」 「世界滅ぶぞおい」  酒には強い美祈。つい感情的になってしまうようなゲームで暴言を吐くていどには酔っていた。しかし理性まで失っているわけでもなく、頭の片隅にはナナコに言われたことが禍根を残していた。  ストロークが十ほど続くと、美祈は銃の弾がなくなって死んだ。実際に死んだのはゲームの中の美祈だが。 「休憩しよー」 「珍しいじゃん、酔い過ぎたか」 「んー」  確かにいつもより酔っている自覚があった。いつもより多く飲んでいるし頭がくらくらする。なにより、酔うと美祈は語尾が若干伸びて声が高くなる。ほわーと可愛い感じの擬音が出てきそうだ。 「なぁ美祈」 「んー?」  美祈は好きなお菓子のじゃがりこを咥えて応答した。  どうせゲームのこととか、ないとは思うが原稿のことだろうなとタカをくくっていると、以外にもナナコから出てこなさそうな疑問が出てきた。 「美祈の幸せってなに?」 「ぶふぉっ」  真剣な声音のはずがふざけて聞こえてしまい、美祈は飲み込もうとした酒を思い切り床に吐いた。汚。 「おいおい笑うなよ」 「いや……だってー」 「さっき言ってて思ったんだけどさ、自分の幸せとかもよくわからんわ。ほんで美祈に聞いたのさ」  本当に作家なのかという疑問が浮かぶが、幸せという概念をさっき久しぶりに思い出したので仕方ないことにしよう。  とりあえず美祈は身近なことを思い出して言った。 「お酒ー飲んでる時とかー?」 「いやそういうんじゃなくてさ、例えば自分が死ぬ時に、いい人生だった! と思えるような感じ」  一瞬超人気マンガの一コマが出てきそうなフレーズが飛び交ったが、そのおかげでイメージがつきやすくなった。  美祈は再び唸った。うーん、と。だいたい、好きなことしてる時が幸せという主義の美祈にはあまりそういうのはなかった。叶えたい目標もいくつか達成しているし、幸せとはなにかなんて作中ではあっても、自分の人生で考えたこともなかった。  結果、その日ゲームをしまくって考えたがナナコを納得させるようなものは浮かんでこなかった。とりあえず結婚、ということで話は収まった。
/10ページ

最初のコメントを投稿しよう!

6人が本棚に入れています
本棚に追加