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5
モデルになって欲しい、音としては耳で拾えたはずなのに頭が一向に意味を理解しようとしなかった。
画家というのは、誰かを描くことでコミュニケーションをとったりするものなのだろうか。
絵心が全くない自分には、その辺はよく分からなかった。
それに、美しいものを描くというわけでもないのかもしれない。
眞木さんの作品はどれも美しいけれど、練習で描くときまで美しいものだけを描いているのかは知らなかった。
「あの、オレなんか描いて意味があるんですか?」
自分的にはしごく真っ当な質問をしたつもりだった。
けれど、それを聞いた眞木は面白そうに口角を上げた。
「俺が今までに描いてきたもの全てに、意味なんてある訳ないだろ。」
さも、おかしなことを言った風に眞木さんは笑った。
意味がないはずがないのだ。
眞木さんの描いた絵はどれもとてもすばらしくて、自分を含めたくさんの人が心惹かれているはずだ。
それに意味がないなんて事ありえないことだと思った。
「まあ、でも君を描くことは意味があるかもしれないな。」
そう言われて、思わず頷いてしまった。
どうせ練習用なのだ。あまり気にしても仕方がないと思う事にした。
◆
「じゃあ、脱いで。」
翌日言われたのはそんな言葉で思わす「へっ!?」と素っ頓狂な声が出た。
モデルになって欲しいといわれたが裸だとは思っていなかった。
今考えるとデッサンモデルというのは裸かそれに近い格好をしていた気がする。
けれど、それこそプロのモデルさんを頼むべきだろう。
そんな事を考えながらもたもたと眞木を見ていると、真木さんが一歩一歩近づいてくる。
それから、無言のまま、シャツのボタンに手をかけた。
「割と難しいな。」
もたもたとボタンをはずす眞木さんはいつも通りで、何か他意がありそうには見えなかった。
ただ単に、その辺の置物を描くみたいに自分のことを描いてみようかなという気になったのだろうか。
そう思いながら自分の手でボタンをはずしていく。
服を脱いでも出てくるのは、筋肉のない薄っぺらい体だけだ。
さすがにパンツを脱ぐのは恥ずかしすぎるので眞木さんには諦めてもらった。
案内されていたのはサンルームの様な場所で太陽がまぶしい。
そこにおいてあった椅子に座ってただじっとしている。
簡単だと思っていたが、早くも、モデルになってしまった事を後悔していた。
視線が刺さるのだ。
眞木さんが、今どこを見ているか手をとるように分かる。
指の先から肩を通っていま視線があるのはうなじの辺りだ。
それが分かってしまう位、眞木さんはこちらをずっと見ている。
はあ、と思わずついてしまった溜息は熱い。
見られている部分が、灯がともったみたいに熱くなる。
それは中から自分自身を溶かすようで、羞恥心と劣等感をただただ膨らませていく。
貧相な体を晒して自分は何をやっているのだろう。
あまりのいたたまれなさに椅子の上でひざを抱える。
眞木さんに見られるという事に耐えられそうになかった。
とがめられるかと思ったけれど、眞木さんは相変わらず無言のままだ。
「あの……。」
思わず声をかけたが集中している様で反応はない。
けれど、視線は相変わらずこちらを向いていて、太ももやわき腹を見られているのが分かった。
眞木さんの視線にも熱がこもっている気がしたのはそれからどのくらいたってからだっただろうか。
先ほどより羞恥心が強くなる。
だって、これじゃあまるで、まるで。
恋を知らない芸術家は二流だと聞いたことがある。
こういうことなんだろうか。
その瞬間だけは対象物を、こんな目で見るのだろう。
けれど、見られている自分は、そんなことに慣れてはいないし、芸術家じゃないので割り切れそうになかった。
自分の中で確かに芽生え始めている感情は行き場を失って渦巻いている。
もてあましている熱に意識を取られていたのだろう。気がつくと眞木さんが至近距離にいた。
頬をそっと撫でられた。
たったそれだけの事なのに、体が震える。
嫌だった。思い知らされるのだ。
自分と眞木さんの違いを。
自分は眞木さんの絵も禄に買うこともできない生活しかできていないのだ。
そんな自分と、眞木さんは本来顔を合わせることすらないはずなのだ。
眞木さんは、共感覚だと、訳の分からない事を言っていた。
そんなよく分からない能力持ってなどいないのに、勝手に誤解されて、それに乗っかってこうやってついて来てしまっている。
本当なら早く誤解をといて、元通りにしないといけないのだ。
なのにこうやってずるずると言い出せないでいる。
頬に触れられまま唇を戦慄かせると、眞木さんが唇に触れた。
「やめてください。」
これじゃあ、まるで恋人同士のようではないか。
眞木さんの視線が唇から首筋を通って、胸元に降りる。
「あの、あまり見ないでください。」
こんな貧相な体をみてもしょうがない。
「君の体は綺麗だよ。」
眞木さんは言う。
「やっぱり、好きなパーツはついつい眺めちゃうな。そういうもんだろう誰でも。」
そういってにっこりと笑った。
思わず、一番視線を感じていた箇所であるうなじを手で隠す。
眞木さんの顔は驚愕で目が見開かれた後、それはそれは面白そうに笑った。
「どこ見られていたのか分かるんだ。」
「そりゃあ、分かりますよ。女性が男性の視線嫌がる気持ちが分かりました。」
ニヤニヤと聞く眞木さんに答えると、普通髪の毛とか顔とか見てるって思わない?とある種当然のことを再び聞かれた。
言われてみればそのとおりだ。彼は絵を描いていたのだ。普通は顔とか絵で描き込みが必要な部分を見ていると思うはずなのに……。
羞恥で真っ赤になっていると、眞木さんが吹き出した。
「何か勘違いしてるみたいだけど、俺は君のうなじを見ていたよ。」
眞木さんは、面白そうに再びこちらを見た。
「本当に綺麗だ。」
そう言って眞木さんは、うなじを撫でた。
それに、ただただ縮こまって固まってしまったその仕草に眞木さんはまた笑った。
了
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