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部屋には彼の絵が二枚に増えた。
運が良ければもしかしたら彼の絵をまた買うことが出来るかもしれないと思ったことはあったけれど、それはもっとずっと先のことだと思っていた。
並べた二枚の絵の周りはぼんやりと光っているみたいで、そこだけはなんの変哲もないぼろアパートの中で特別な空間になっていた。
なんで気に入られたのかは眞木さんの説明ではよく分からなかった。
同じものを見れると言われても、自分に誰か他の人と違うものが見えてるとは思えなかった。
絵への感想が期待通りだったという事だろうか。
プロの画家である眞木さんに今日は失礼な感想を言ってしまった。
迷惑をかけたお詫びのつもりで伺って、それでさらに迷惑をかけてしまったのだ。
どうすればいいのだろうか。
これからの展覧会や、個展でただ一人で彼の作品を見ることが出来ればそれで幸せだった。
けれど、それをすることが彼にとって迷惑にならないのかがとても不安だった。
携帯電話のメールの着信音がした。
確認すると、それは眞木さんの事務所からで、眞木さんがとても喜んでいた事、それからまた是非遊びに来てほしい旨書かれていた。
社交辞令なのかどうか、絵画の世界のことを全く知らないので分からなかった。
そもそも、眞木さんからのメールでは無くて事務所からのメールなのだ。
あまり、本気にとってはいけないことだけは良く分かっていた。
もう一度、眞木山陽という画家の描いた絵を見た。
それはやはり、自分とは全く違う世界の人が書いたものに見えた。
◆
連絡が来るはずがない。そう、結論付けたはずなのに、眞木さんからの連絡はその後すぐに来た。
お盆の休みに眞木さんの所有するアトリエ兼別荘に来ないかというものだった。
しかも今回も連絡は眞木さんの事務所経由でこれがどういった意図で送られてきたのかが良く分からなかった。
けれど、会社はお盆時期に夏休みがあり、それに、アトリエには眞木山陽の絵が多数あるとかいてあったので、悩んだ後行くことにした。
あの日、上手く話せなくて失礼な態度を取ってしまったお詫びもしたかった。
別荘は公共交通機関から離れているのもあり、車を出してくれるということで、それに甘えることにした。
運転しているのは、あの幼馴染のマネージャーさんで眞木さんは後部座席で外を眺めていた。
待ち合わせの場所について、車に気が付いて近寄ると、眞木さんは、ニコニコと笑みを浮かべて一緒に後部座席に座るよう促した。
お言葉に甘えて横に座ると、車はゆっくりと発進した。
「電車乗れないから、大体いつも車をお願いしてるんだ。」
笑顔を浮かべたまま、眞木さんは言った。
返答に困っていると、眞木さんはややあってからああ、と付け足した。
「ああいう、文字が多くて人が多いところは駄目なんだよ。」
芸術家気質の所為ということだろうか。毎日通勤ラッシュでぎゅうぎゅうに押し込められているのは辛いが、それが日常になってしまっている俺には良く分からない。
「そうなんですね。」
面白味の無い返事を返すと眞木さんはふはっ、と笑った。
「俺、文字ほとんど読めないんだよ。」
言われた言葉に驚いた。
だって、普通に話しているし、書いている絵はどれも美しくて目が悪い様には見えなかった。
「共感覚、調べなかったんだ。」
興味深そうに、でも少し残念そうに眞木さんが言った。
調べなかった。
あの絵についてあまり考えたくなかったし、それに眞木さんがまくし立てる様にして話していたことの意味も分からなかった。
だから、忙しいと棚上げにして今日まで来てしまった。
「済みません。」
蚊の鳴く様な声で謝ってもきっとなんの意味も無い。
「いや、いいんだよ。」
眞木さんは僕の謝罪に気を悪くした様子もなく返した。
「でも、少しずつ俺のこと知ってもらえると嬉しいな。」
そう言って眞木さんは車の窓の外をまた眺めた。
なんて返したらいいのか分からずに、ずっと眞木さんを眺めつづけていたのだけれど、いつの間にか眠ってしまった。
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