その庭の奥には木乃伊が二匹(前)

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 “生ける始祖達(ライヴィングファウンダーズ)”の一人であり、敬うべき祖でもある大叔父相手に、私の呆けた態度は大分に不敬であった。しかし大叔父の反応はその身をぶるぶると震わせて笑っただけ。  絵画で見るのと、実際に見るのとでは、印象が全く違う。見上げるような体躯であると知識はあっても、いざ本当に首が後ろに反っくり返りそうな程見上げてしまえば、あとは無様に後ろに転ばないよう気をつけるのがせいぜいだ。  頭、あるいは顔といえる部分にひしめき合うように並ぶ無数の眼球は、その一つをとっても私の体より大きい。胴体と呼べる部分は肉厚の触手がぬめりを帯びてとぐろを巻き、何本も何本も絡まり合って蠢いている。時折その向こうに牙のようなものが見えるから、口はあの中にあるのだろう。  この巨大な屋敷、および敷地でなければ、今の世界は大叔父にとって窮屈以外の何物でもあるまい。外出が減った、というのも純粋に物理的理由なのかもしれなかった。  そういえば祖母も私からみれば大柄な部類であったと思い出す。  私は緊張でからからに干からびた舌を、なんとか動かす事に成功した。  「失礼いたしました。  訪いの許可を頂き、誠にありがとうございます。祖母より大叔父上にはくれぐれもよろしくと」  「構わぬ。――大きくなったものよな、小蛇であったのが懐かしいわ」  うぞろ、と大叔父が触手を蠢かせながら大階段を下りてくる。  その体が蠕動する度に生臭い匂いがした。巨大な目玉はぎょろりぎょろりと周りをみながら、一番中央の一際大きな眼球はひたりと私に据えられたまま微動だにしない。  どうやら大叔父は私の事を覚えてくれていたらしい。てっきり今回訪いの許可が下りたのは、祖母が口添えしてくれたものだと思っていたから、素直に驚いた。  ゆっくりと私のいる場所まで降りてきた大叔父は、階上で見た時よりも一際威圧感を背負って私の前に立つ。  私は今この時ほど、自身の首の可変が自由である事に感謝した事は無い。  「私を覚えておいでですか?」  「無論。我は忘却を知らぬ。何よりお前はリズベラが、我に似た子が生まれたからとしつこくその成長を報告してくる程には身近よ」  リズベラ、とは祖母の事である。私は素直に驚嘆した。私は祖母の血を引く者の中で、彼女からの寵愛が厚い方であるという自覚がある。しかしまさか、その理由がこの大叔父に似ているからで、そして私の成長を逐一この大叔父に報告していたなどとは初耳である。  「あれはお前を殊更溺愛している」  そこのところを、大叔父も知っているらしい。しかし私には、私とこの“生ける始祖達”たる大叔父が似ているとは露程にも思えない。ひょろりと頭から胴まで伸びた鱗だらけの体も、二本の細長い手足も、この大叔父を前にしては恐れ多いを通り越して、ただただ滑稽だ。  改めて、この目の前の大いなる存在と同じ血が自分に流れているなどとは信じがたい。    「リズベラは良き子であった。良き姪であった。あれがあまりに乞うので、お前に会いに行った事もある。  あの頃はそうとは思わなんだが・・・成程、あれの言う事も解らんでもない」  「お、恐れ多い事でございます」  「あれは我との子を欲しがった。我との子は成せなんだが、結果的にお前が生まれたのならば、あれにとっても良い結果であったのであろう」  私は返事に困った。叔父と姪の交配はさてはて許される範囲であったか、と・・・つい常識的な考えに思考が飛んでしまう。  とはいえ、そんな事を大叔父に指摘できる筈もないが。  「さて、我とお前とでは積もる話もあるまい。お前がここを訪れる理由は、我の人形達であったな」  人形達。―――大叔父がその財を凝らした庭で飼われている、二匹。  男と女。青年と少女。美しい庭園に住まう、美しく着飾られた人形。人伝手に聞いて回って、まさか祖母から答えが返ってくるとは思わなかった――あのオークション会場で出会った二人組。  「あれらには比較的自由にさせていたが、外に出したのはさてはて何年振りか・・・はたまた何十年ぶりか。  あまりにせがむのでな、特別に外出を許可したのだが・・・それがお前の目に留まったというのならば、まさに血筋よな」  全く、何処であのオークションの事を知ったものか・・・と、口調は呆れながらも声音には楽しむ色があった。  「案内させよう――会ってくるとよい」  「大叔父上は行かれないのですか?」  「あれらを見たければいつなりと行ける」  それは違いあるまい。ただ大切に飼っている人形に、親族とはいえ・・・長年会ってもいなかった私一人で会わせてくれるものだろうか。  あるいは背後の執事が見張りなのかもしれない。  「どうぞこちらへ」と私を促す彼の顔には、その心情を伺う事ができなかった。 落ち着いた声音。花弁の中央に生えた唇が、ゆったりと言葉を紡ぐ。彼の姿に、ユリ、という花を思い出す。頭をもたげた姿が、私にも似ているかもしれない。  そのユリを真っ赤に染め上げて、唇をつけ、服を着せれば目の前の執事になるだろう。  袖からびょんびょん生えた長い葉が、器用に馬車の手綱を操る様をここに来るまで見てきた。  私は大叔父に一礼して、そうして踵を返すと彼に促されるままに歩く。  背後から、大叔父の笑い声が聞こえた。―――くつくつ、くつくつ。  「生憎と、木乃伊を愛でる趣味は無い。お前はあれらに水を与えに来たか?  あるいはその一滴までも搾り取りに来たか?  さても、はても。  どちらに転んでも、良き余興よな」  どろり・・・とナニかが鱗の隙間から侵入し、皮膚へと染込んで来る。形容し難いそのナニかは、しかして私の身に、心に、違和感なく浸透していった。
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