その庭の奥には木乃伊が二匹(前)

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 人形達の庭は、邸宅の裏手にあった。見張りかと思った執事は馬車でここまで私を運んでくると、あとは庭の入り口に佇むだけで動かない。  「お帰りの際に、お呼び下さい」  私は改めて庭園を見上げる。真っ白いアーチには薔薇の蔦が巻き付いている。どうやら手前から奥に向けてグラデーションを描くように品種を配置しているらしい。アーチの足元には、ロビン、ノイバラのようなバラ科の品種。所々、品よく小さく白い小花も見えた。  庭の奥には植物の緑に紛れてバーゴラの屋根が見えた。  脳裏に、あの美しい二人組の姿が映し出される。このバラ園に、彼等がいるのだ。  美しい男女。―――美しい人形。  私は執事をその場に残して、アーチをくぐる。最初、白薔薇から始まったアーチは、次第に色を赤く変え、紫に移り替わり、青薔薇で静やかに、さらには珍しかな緑から、ゆったりと黄色の彩へ、最後は黒薔薇で締めくくられた。  たどり着いた広場は、一般的な前庭程度の広さで、中央に蔦を絡めばバーゴラ。周りには遠目にかりん、梅、ボケ等のバラ科の樹木。こちらに近づくにつれて、サンザシ、ユキヤナギ、ハナマス、そうしてすぐ周辺には、散りばめられたありとあらゆるロセ。  私は植物に関して造詣が深いわけではない。それでもかの二人組が美しい薔薇の園に住んでいるのだと知って、最低限の知識は入れてきた。そうでなければ、彼等に会うに相応しくないと思ったのだ。  ―――しかしこの庭は。  目に痛い程の色彩の嵐である。  季節感を完全に無視して、全ての花弁が大輪に開いていた。  大叔父ならば、それもありえるのだろう。何せ大叔父自身が、時を止めた者である。  嘘か誠かは解らなりが、“生ける始祖達(ライヴィングファウンダーズ)”は時間を自由に操れるのだと聞いた事がある。以前ならば眉唾と思っただろうが、この庭を見てしまえば、あるいは真実やもと思えた。  驚くべきは、この赤や緑や白や黄やと惜しみなく色彩に溢れたこの庭が、であるが故の下品さや無粋さを全く感じさせない事だろう。  不思議な事に、どの色も自己主張しながら・・・しかして目立ち過ぎる事も無く、まるでパズルのピースのごとく当てはまっている。    この庭の主役は、大輪の花々ではないのだと・・・花達自身が弁えているかのようであった。    バーゴラの下に、この庭園の主役はいた。ロッキングチェアに腰かけて、寄り添う男女。  オークション会場で見た時より、服装は大分ラフだった。男は薄手のシャツに黒のスラックス。少女は布におぼれそうな白いワンピース。  ゆたりゆたりと揺れるチェアの上、相変わらず少女は男の腕の中。薔薇の色彩に溢れる庭の中で、完結した世界がそこに在った。  私は少し迷って・・・しかしまずは、と・・・そろそろと二人の前に回り込んだ。  足音で私の来訪には気づいていただろう、男の方がちろりとこちらに視線をくれる。相変わらず、思考を読み取らせないガラスの瞳。口元にはほんのりとした笑み。  少女の方は男の膝の上に抱かれたまま、無表情でこちらを見ない。ただ手の中で白い小花をくるくると遊ばせていた。    「こんにちは」  腰を落として、チェアに座る二人に目線を合わせる。少女の方に反応は無かったが、男の方が軽く会釈をした。  改めて正面から見た二人の姿もまた・・・美しい。バーゴラから降り注ぐ木漏れ日の元、黒と白の布に包まれて、淡く色づいた皮膚は、なんとも柔らかそうだ。  私の中に、あのオークション会場で感じた焦がれる思いがぶり返してくる。  「私を覚えていらっしゃいますか?」  「オークション会場で会いましたね――主のお客様でいらっしゃいますか?」    男の方が口を利いた。抑揚のない、透き通るような声音。男の指が僅かに震えて、そうして少女のつむじを撫でた。  「あのタイピンの件で、ご来訪されたのでしょうか?」  少女が、男の腕の中でむずがるように身じろぎする。  男はそんな少女の動きを制するように、何度も何度もその頭を撫でていた。  少女の手の中で遊ばせていた小花が、はらりと地面に落ちるのもそのままに・・・。  私は慌てた。今更ネクタイピンの事などどうでもいい。貴方達に会いに来たのだ・・・と言おうとしたが、舌がのどの奥に張り付いて動かない。  声が出ないのは大叔父を前にしたときと同じであったが、大叔父に対して感じたのが畏怖であるのならば、彼等を前にして感じたのは純粋なる緊張である。焦がれる者の、甘やかなそれ。  「申し訳ございません。主のお客様といえど、あれをお渡しするわけにはいかないのです」  訥々と、彼の赤い唇から感情の無い声が紡がれる。  私はようやく首を振る事で自分の意志を示した。違うのだ、と目的はそこではないのだ、と。  男は首を傾げてみせる。こちらの意図が上手く受け取れなかったのだろう。そのしぐさが結構幼いから、彼もなかなか若いのかもしれない。青年、というあたりか。  「へ、び」  ――――ふふふ、ふふ。  彼の腕の中から、吐息のような笑い声が聞こえた。少女が私を指して、「へび」「へび」と繰り返している。  青年のガラスの目が、すこしばかり見開かれた。  「――――見えているのか?」    ――――ふふ、ふふふ。  ふらふら、ふわふわ。少女の頭は揺れておぼつかない。その鳶色の瞳も、私をきちんと見据えているとはいい難かった。酷く虚ろで、朧げ。焦点が合っていない。  少女は青年の問いには答えず、私を指さして笑っている。「へび」。そういえば大叔父にも「小蛇」と言われた。しかし私には「へび」というのがどういうものか解らない。    「お客様?」  少女のふわふわとした雰囲気がぱっと溶けるように、淡い唇が意味ある言葉を紡いだ。    「あ・・・いえ・・・その・・・・はい・・・」  対してようやく出た私の声はどもっていて、何とも情けない。  ―――ふふふ、ふふ。  しかし、また彼女は含むように笑って・・・そうしてふわふわ、ふらふら・・・頭を揺らす。彼女の黒髪も、動きに合わせてふわふわと揺れていた。  青年がその髪に指を通して梳く。    「その・・・・その。  今日はネクタイピンの件で来たわけではないのです。貴方達が大叔父の庭に住んでいると聞いて・・・是非ともお会いしたいと」  「何故?」  「それは、その・・・」  青年の問いに、私は答えられない。ただ、癖の付いた長い黒髪と、それを梳く細い指先に目を奪われて・・・。  そう思えば、私の視線はするすると下がり、ワンピースの裾からちょこんと覗いた少女の素足まで辿った。あの日真っ赤な靴に覆われていた足は、今、柔い肉と皮膚を露わにしている。素足の、まろい輪郭。   「お客様?」  青年が、私を呼ぶ。  「あ、いえ・・・そのっ。  その・・・へびとはどのようなものでしょうか?」  苦しい話題転換である。しかし青年はそれをさして変に思わなかったらしい。あるいは思っていても主の客に意見するつもりが無いのか。  「そうですね、貴方の頭はまるで蛇のようだ」  「私は大叔父にも先程小蛇と言われました。しかしそれが何であるのか、見当もつかない」  「昔は世界中にいたのですが・・・もう長く見ていませんね」  その言葉を聞いて、――あるいは彼等は、私より長生きなのかもしれないと思った。私は自分の頭を撫でてみる。鱗の感触と、丸い頭。蛇、という生物を想像してみるも、ヒントが少なすぎて、今一像を結ばない。  「それは、良いものですか?悪いものですか?」  「どちらかといえば、害獣でしょうか」  私は落ち込んでしまった。そうか、彼等から見て蛇とは悪いものであるらしい。ならばこれ以上蛇を話題に出すのは止めようと思った。  「とても、よいもの」  しかしそんな青年の意見を翻したのは、腕の中の少女だった。相変わらず、ふらふらと頭は揺れていて、口調はふわふわとおぼつかない。頼りなげな声は、ともすれば聞き逃してしまいそうだった。  「へびさん、へびさん―――リンゴをちょうだい」  ――――ふふふ。ふふ。  少女の微笑みに紛れて、青年が淡く息を吐いた。その二つの音を、私は甘いと感じた。
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