prelude

1/1
15人が本棚に入れています
本棚に追加
/52ページ

prelude

 鏡だった。  女の祈祷師が取り出したのは、とても武器と言える代物ではなかった。しかし、それはただの鏡ではなくて虹色に輝いていた。瞬時に危険を感じた。逃げようとしたが、それを祈祷師が掲げて太陽の光を反射させる方が僅かに早い。光線は左の耳に当たって、強烈な痛みが頭に走った。  肉が焼ける異様な臭いが鼻を突く。熱いというよりも身を切り刻まれる痛さだ。叫び声が無意識に出た。動けない。体から力が抜けていく。もうダメだ、と思った瞬間だった、光線が消えた。厚い雲が太陽を隠してくれたらしい。助かった。この場から急いで逃げようとしたが傷が大き過ぎた。意識を失ってしまう。  気づくと棺の中に閉じ込められていた。呪縛を掛けられて身動きできない。自由を失う。そのまま長い歳月が過ぎた。自分が持つ力を過信して油断した結果だ。  だが復讐の魂は滅びない。怒りと憎しみは消えずに残った。いつか蘇る日が来ると信じて待ち続けた。  どんなに災いが悲惨で、どれほど秩序を取り戻すのが困難だったのか、年月が経てば人々の記憶は薄れていく。いずれ欲望が自戒の念を凌駕するだろう。彼らの心に邪悪な魂が入り込む余地が生まれるはずだ。  棺は何人もの手に渡り、その度に場所を移した。蔵の奥に押しやられて埃をかぶった。厄介な物として扱われていく。今は多くが、この棺が存在する理由すら知らない。  とうの昔に女の祈祷師は亡くなった。虹色に輝く鏡だけが残っていた。忌々しい。いずれ自由を取り戻したら、早々に始末しなければならない。  おっ、人の声だ。  「何だろう、この虫は。誰か知ってるか?」 「そんなこと、どうでもいい」 「でも目が赤くて、黄色いラインが背中に入った虫なんて珍しくないか?」 「うるさい、もう黙ってろ。構うなって」  目を開けた。すでに視力はない。意識を棺の外に集中させる。久しぶりに聞く。声が若い。きっと子供らだ。好都合。この干乾びた身体を蘇らす為には、連中の瑞々しい肉体と新鮮な血が必要だ。何も知らずに近づいて来る。  今度こそ、今度こそ自由を取り戻せるかもしれない。
/52ページ

最初のコメントを投稿しよう!