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誰もが持っている幸せのコップ。
彼のコップを一杯にしようと、私のコップからお水を注いであげたら、彼は私にこう言った。
「君のコップは空っぽだね、自分のコップから人に注いではいけないよ」
彼はこちらも見ずにそう言った。
たまに感じる冷たい横顔に、私はいつも声が大きくなる。
「どうして? あなたのコップを一杯に満たしてあげたいのに」
彼は、すっと椅子から離れると、私に背中を向けて、ダイニングを出ていきながら話しを続けた。
「自分のコップはね、まずは、穴をふさいで、きれいに磨いて、それから、たくさんお水を注ぐんだよ。君のコップから溢れたお水が、僕のコップに流れてくるんだからね」
彼は言い終わると、隣の部屋から白磁の一輪挿しを取り出しきて、赤い蕾の薔薇をそっと挿した。食卓に置かれたバラの一輪挿しに、彼は自分のコップからお水を注ぐと、その途端、まるでそれが目覚めの報せだったかのように、ゆっくりと蕾が膨らみ、やがて、美しく誇らしげに、真っ赤な薔薇が咲いた。
薔薇の薫りは、部屋の空気に色を塗るように万遍なく広がり、私の心をじんわり温めた。
私は、少し鼓動が早くなるのを感じながら、彼を見た。
冷たく感じた彼の表情は消え失せ、薔薇にも増して輝く笑顔で私を見つめていた。
「幸せのコップの使い方、わかってくれたかな?」
私達はそれから随分と、食卓に薔薇を挟んで、二人で話した。
私の幸せのコップには、誰もお水を注いでいないのに、底から湧き上がったお水が、もう溢れてこぼれそうだった。
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