箱の底に残る物

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それが起こったのは、あの日、こだまが視聴覚室を飛び出した後だった。 「こだまっ!」 こだまを追いかけようとしたハルちゃんの腕を、岩永くんが掴んだ。 「ハルっ! 」 「離せっ! 」 ハルちゃんが腕を振りほどこうとしたその瞬間、岩永くんが突然、ハルちゃんの右頬に拳を振り下ろした。 後ろに激しく吹き飛んだハルちゃんの背中が、教卓をひっくり返し、中に入っていたチョークが辺りに散らばった。 「キャーーー!!」 「うわっ! 」 部屋中に響く、女子たちの悲鳴と、男子たちのどよめき。 「お前、なんしよんなら!」 立ち上がったハルちゃんが、岩永くんの右頬を殴り返した。 「拓海っ!」 吹き飛んだ岩永くんの身体を、大竹くんと松尾くんが、すかさず抑え込む。 それと同じタイミングで、岡田くんと木下くんがハルちゃんを押さえ込んだ。 「ハル!やめぇ!!」 「拓海もじゃ! 一体いきなりどうしたんじゃ!」 興奮に肩を上下させている二人を、クラスの男子たちが一丸となって抑え込む。 女子はみんな、一同に息を飲み、床に座り込んでしまったアコちゃんは、大泣きしていてメグちゃんに背中を支えられていた。 「……なんで……」 岩永くんが、拳を握りしめた。 また殴り掛かる気かと思って、大竹くんと松尾くんの腕に力がこもる。 けれど、岩永くんの拳はすぐに開かれ、変わりに彼の涙を隠す盾となった。 「……拓海? 」 岩永くんの突然の涙。 ハルちゃんは、恐る恐る声をかけた。 「……ハル、俺が今思っとること、わからんのか? ……聞こえんのか?」 初めて聞いた岩永くんの泣き声に、ハルちゃんの心が震えた。 「……もう大丈夫じゃけん。離してくれや……」 ハルちゃんは、岡田くんたちの拘束を解いて、岩永くんの隣に座った。 「……今は、もう聞こえん。わしがホンマに聞きたいと願ったときしか……」 「……ほうか……」 「……言いたくないなら、頑張れば聞けるかも知れんで?」 ハルちゃんが苦笑いすると、岩永くんは 「いらん世話じゃ」 と、鼻で笑った。 「俺はのう、ハル……お前がいつ俺を頼ってくれるんか、ずっと待っとったんで? 俺ら、産院ん頃からの仲じゃろうが。じゃのに、お前、小学校入った頃くらいから段々勝手に俺から離れていって……。俺にとっては、お前が人の心読めるけぇとか、そういうの全く関係なかったんで? 勝手に何でもかんでも一人で背負い込むなや……。山野さんのことも、重いんなら、俺らにも分けてくれたらえぇじゃろうが!」 見回すと、クラスのみんなは一人、また一人と頷いた。メグちゃんも、アコちゃんも、それから沙由美ちゃんも。沙由美ちゃんに至っては、こうなってしまった責任を感じているみたいで、アコちゃんにしきりに「ごめん」と謝っている。 岩永くんの心からの叫びに、ハルちゃんは目から鱗が何枚も剥がれ落ちた気がした。 勝手に聞こえることに悩んで、振り回されて、人を信じる気持ちを遠ざけたのは、他ならぬ自分自身だ。 そのせいで、一体、どれだけの真に聞くべき声を無視してきたんだろう……? 「……相変わらず、熱苦しい男じゃのう……拓海は……」 「俺は昔っから変わっとらん。背丈が伸びて、ちぃとイケメンになったくらいじゃ」 「減らず口も変わらんのう」 その後、ハルちゃんと岩永くんは、こっぴどく三木田先生に叱られた。 二人して、巨大コンパスで打たれた頭には大きなたんこぶが出来たけれど、その心のどちらにも、清々しい風が流れていた。
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