箱の底に残る物

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「あれはなぁ……」 ハルちゃんが、こだまの肩を抱き寄せた。 反動で、頭同士がコツンと触れ合う。 「あれは、こだまが作り出した鬼の仕業なんよ」 「あたしが作り出した、鬼? 」 「あん時お前、怖くて、怖くて仕方なくて、みんなきっと、こんな風に思っとる、こんな言葉を言うに違いない! って、そればっかり考えとったじゃろ? 」 こだまは、コクリと頷いた。 ハルちゃんの言う通りだ。 「疑心暗鬼を生ずっていうじゃろ? あれは、恐怖に心を埋め尽くされたお前が、みんなの顔つきとか、雰囲気とかから勝手に憶測して、自分で作り出したもんなんよ。わしがあん時、惑わされるなって言ったのはそれを伝えたかったからなんよ」 「……そうだったんだ……」 「誰の心の中にも、鬼は住んどるんよな……きっと。多分、わしの鬼の力も、半分以上はそれのせいじゃったんじゃないかと、今は思っとるよ……。小さい頃は、わしにも鬼の力があるかも知れんって好奇心に任せて、声が出ん親父の表情とかを読みながら、何となく会話しよった。それが割と的を得とったんよな。そしたら、自分にはやっぱ鬼の力があるんじゃって思うと、どんどん他人(ひと)の顔色ばっか見るようになって、気付けば勝手に声が聞こえるようになってしもうた……。でも、それって多分半分以上は、わしが勝手に思い込んどっただけなんよ。その証拠に、こだまのこと信頼しようって決めた途端に、ほとんど聞こえんようになったんじゃけん」 「……ほとんどってことは、まだ聞こえるの? 」 こだまの質問に、ハルちゃんはくっつけていた頭を離してから、正面に向き直った。 正座して自分に向き合うハルちゃんに釣られて、こだまも同じような格好で、自分を抱きしめる彼を正面から迎えた。 「さっき言ったじゃろ? わしがホンマに聞きたいと心から願った時しか聞こえんって。……わしが最近やっと聞けたのは、このドアを挟んで、こだまが泣きながら助けを求めてくれた声だけじゃ」 「……ハルちゃん」 「こだまのおかげで、わしゃ鬼に勝てたんよ。 信頼って、えぇ言葉じゃね。信じて頼るんじゃけぇ。あの話の鬼が、最後までできんかったことよ」 「……信頼……」 こだまは、ぼんやりと繰り返した。 これまでの十三年間で作り上げてきた自分という存在が、如何にサビだらけの無駄な固定観念で塗り固められていたか、思い知らされたような気がする。 嫌われたくない。 空気読まなきゃ。 共感しなきゃ。 ただその一心で、他人の表情や、言葉の裏にばかり気を遣う毎日。 その中のほんの一瞬でも、人を信頼しようとしたことがあっただろうか? 「……あたし、今まで人を信頼しようとしたことなんて……一回もなかった……。ハルちゃんに会って、教えて貰った。……なのに、また忘れようとしてた……」 涙と一緒に、サビが落ちていくような気がして、こだまの目元から、どんどん大粒の涙が溢れ出す。 「きっと、そのリッコちゃんって子も、こだまのこと信じようとしたんじゃないかのう? 自分がやったことも、もちろん全部受け入れて、反省して……その上で、許してもらいたかったんじゃないんかのう? これ以上自分のせいで育ってしまった空気が、余計な連鎖を生まんように、窓を開けようとしたんじゃないんかって、わしゃあ、そう思うんじゃけど……? 」 「……うん。そうだね……。きっと……そうだと思う」 こだまは、深く、深く頷いた。手には、拾い上げたスマホ。リッコちゃんからの『ごめんね』を握り締めている。 「……あたしも、ずっと謝りたかったんだよ……」 今なら、リッコちゃんの気持ちが分かるような気がする。そして、自分が何をすべきなのかも。
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