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(ハルちゃんっ! )
こだまは、心の中でその少年の名前を呼んで、セーラー服の中にこっそり下げていた、翡翠の勾玉のネックレスを取り出して、革紐ごと強く握りしめた。
すると、少年が、まるでこだまの声に反応したみたいにこちらを振り返り、微笑みながら何かを呟いた。
彼がいる場所まで五十メートル以上離れていようが、こだまには分かった。
例え彼との距離が、一キロメートル以上離れていようが、こだまには分かる自信がある。
彼はきっと、「いいえのう」と言ったのだと。
なぜならこだまは、たった今彼に向けて「ありがとう」と伝えようとしたのだから。
「ありがとう。……いいよパパ」
車が発進してからも、しばらくこだまは窓を開けたままにしていた。
外から入る潮風が、心地いい。
(ハルちゃん。……行ってくるね)
こだまは、再び勾玉を握り締め、心の中で呟いた。
観光客を避けるように、ゆっくり進む海岸通り。
道沿いに植えられている松の木が、一本、また一本と後ろへ流れて行く。
時折鼻腔をくすぐる、爽やかな若葉の香りを嗅ぎながら、こだまは約一年前の、季節があの頃のこだまと同じように鬱々としていた梅雨の初めだった頃を、ものすごく大きな力に引っ張られるように思い出し始めた。
校舎裏の花壇に咲いた花の香り、雨の日の教室の机の湿っぽい手触り、体育館の暗幕の隙間から漏れた光線に、キラキラ光る埃。
そう言った、どこにでもあって、すぐ忘れがちなもの達を、一つひとつ丁寧に、手のひらにかき集めるような、そんな感じで。
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