23人が本棚に入れています
本棚に追加
/153ページ
晴明が朝食の後片付けを終えて、装束に袖を通そうとしたら、玄関の戸を叩く音が聞こえた。
「晴明さーん! いらっしゃいますかぁ? 」
とても綺麗な日本語。アビーさんだ。
そう思った晴明は、装束をハンガーに掛けて急いで玄関を開けた。
「朝早くにすみません。ハルはもう学校に行きましたか? 」
清々しい朝に似合う、笑顔のアビーさんに、晴明も笑顔で頷いた。
「うーん。それは残念! ではこれを、ハルに渡して頂けますか? 」
アビーさんは紙袋を差し出してきた。
卵とチーズのいい香りが、ふんわりと漂ってくる。
「これは?」と、顔に浮かべてアビーさんを見れば、彼女は、甘栗の様な優しい色の目をやんわりと細めて
「うちのこだまが、昨日ハルにお世話になったようで、そのお礼です」
と、言った。
「ハルが?」
唇だけを動かす。
するとアビーさんは、急にキョロキョロと周りを伺って、
「実は昨日、裏口のサンダルが私の知らない間に勝手に歩いて行って、いつの間にか帰って来たんです」
と、とても愉快そうに笑った。
その姿を見ていたら、あまり人と関わりを持たずにいた母が、亡くなる前日まで彼女に会いたがった理由が分かるような気がした。
アビーさんの言葉には、優しさとユーモアがあって、聞く人の心を柔らかくさせる魔法がかかっているように思えた。
「おや? 」
アビーさんは自分の右肩を見て、それからすぐに空を見上げた。
「あらあら、また降ってきましたね」
いつの間にか空は厚い雲で覆われ、降り始めとは思えないくらいの大粒の雨を降らせている。
「じゃあ、私はこれで」
玄関の戸に手をかけたアビーさんの肩を叩いて、晴明は蝙蝠傘を差し出した。
「お借りしていいんですか? 」
何度も深く頷くと、彼女はとても嬉しそうに微笑んで傘を受け取った。
「ありがとうございます。それでは、遠慮なくお借りしますね 」
傘を開いて、丁寧に頭を下げてから、アビーさんは踵を返した。
彼女の足音を、どんどん酷くなっていく雨音が消していく。
玄関に雨が降り込んでくるけれど、晴明はその姿が見えなくなるまで見送った。
最初のコメントを投稿しよう!