痛みの記憶

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*** こだまが裏山へ出かけてしばらくたった頃、ランチ時も去り、静けさを取り戻したカフェのドアが開いた。 「いらっしゃいませー…………」 明るい声で微笑みながらお客を迎えたママの目が丸くなる。 「あ……あの……これをアビーさんに返しに来ました」 「え?……あ、はい」 ずぶ濡れの学生服姿の男の子が、濡れないようにわざわざビニールをかけてある紙袋を差し出してきたので、持っていたお盆を置いてそれを受け取った。 何となくのぞき込んだその中には、今朝アビーが「こだまのお友だちに」と、キッシュを並べていたはずのお皿が入っている。 「アビーさんによろしく伝えてください。……それじゃあ、これで……」 男の子は、会釈してドアに手を掛けた。 「あっ! ちょっと待って」 ママは慌てて男の子の手を掴んだ。 「ねぇ、お昼ご飯は食べた? 」 「……え? ……いや、まだ……」 「ランチが一つ余っちゃったの。 よかったら食べていってくれない? 」 ママはにっこりと笑った。 その笑顔に、男の子は少し困ったように頬をかいて、「じゃあ、遠慮なく……」と笑った。 「あ、よかったらこれ使ってね」 「ありがとうございます」 ママは男の子にタオルを差し出すと、小走りでキッチンに入って行った。 男の子が渡されたタオルで簡単に髪や制服を拭いていたら、すぐにママはプレートを持って現れた。 「本当に余り物で申し訳ないんだけど……」 「いいえ、とんでもないです」 照れ笑いを浮かべる男の子の頬を、水滴が滑る。 それを見たママは、男の子からタオルを奪い取って、わしゃわしゃと彼の髪を拭き始めた。 「もう!ダメよ、こんな雑な拭き方じゃ! 風邪ひいちゃう!」 「うわっ!」 「これでよし!」 一通り水気がなくなると、ママは満足したように腕を組んで得意気に笑った。 「さぁ!食べて食べて! 」 「じゃ……じゃあ、いただきます」 男の子は少し恥ずかしそうに手を合わせて、食事に手をつけた。そしてそのプレートが空っぽになるのを見計らったかのように、ママが紅茶と何かを包んだ風呂敷を持って現れた。
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