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「まったく、危ない運転をしやがる」
黒木はキーをひねってエンジンをかけた。
カーステレオからは、チェロとバイオリンの音色が聴こえてきた。耳元で物悲しい旋律、ハーモニーが聴こえた。
黒木は助手席の荷物の安定具合を確かめた。なんならシートベルトでも掛けて、しっかりと固定したほうがよいのかも知れない。
「いや、それは、いらない」
黒木はブレーキペダルを離すと、つま先を右にずらし、ハンドルを左、右、左、右とちょこちょこと回して峠道を上りはじめた。
02:18。
道は下り坂だった。黒木は、ヘッドライトのハイビームをやめてロービームに戻して路面を照らしていた。ハイビームに比べたらやはり見通しがわるい。峠道の下り坂であったため、なおさら先のほうがよく見えない。
自然と減速気味に運転していた黒木は突然足元から体のシルエットが浮かび上がった女――素足にサンダル。白いワンピースに長い髪であるからにして――を見とめることになった。
キ、キキッー!
黒木の車がつんのめって急停車した。道の傾斜も手伝って黒木の体は運転席から尻を浮かせてハンドルにぶつかった。
黒木の見つめる先に。道の真ん中に髪の長い女が立っている。
「べ、ベタな、シイチュエーションだ、だなぁ……」
おもわず、お気楽に言う黒木。
だが、テレビや漫画や小説で描かれるよくあるシーンは、現実に目の当たりにすると、体にはほんとうに鳥肌がたち、ゾクゾクと寒気が背中から肩に這いあがり、それが胸のあたりに下がってくると首筋、頬がひきつった。
黒木はブレーキペダルを踏みつけて、女のようすを見ていた。
長い髪で顔を隠し、白いワンピースに乱れたようすはない。けっこう深めのスリットから足もしっかり見えて、はいているサンダルもきちんと二足揃っている。だが、足がちゃんと見えているからといって、幽霊でない保証はない。
この女との距離はおよそ10メートル。女はいまだ微動だにしないで立っている。
「マジで? ……イヤだよ、生きている人間なら道の脇に避けるか、幽霊ならさっさと消えてくれよ」
黒木は道をふさいでいる女の挙動を気にしていたが、いま自分の車が走行車線の真ん中で停まっていることも気になっていた。
黒木はルームミラーで後方を確認した。ミラーのなかは、かすむように後部座席が映り、その奥は漆黒の闇が通っていた。
黒木はルームミラーから目を逸らし、前方を見た。
ぎょっとした。
道をふさいでいる女の姿が少々大きくなっていたからだ。
あきらかにこちらとの距離を狭めていた。姿勢はそのまま、長い髪を垂らして顔を隠したままである。
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