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14 初めての夜
クリスマスソングが流れる時期になった。今日はやっと早苗のアパートで一緒に過ごせることになった。二人で鍋パーティをするのだ。颯介はそわそわと座って鍋が来るのを待っている。
「颯介。鍋行くよ」
「俺が持とうか」
「ううん。グラグラじゃないから平気」
土鍋をカセットコンロの上に置いて火をつけた。
「もう少しここで煮るね」
「ビールでも飲むか」
「うん」
二人で乾杯した。颯介は飲める方でしかもあまり酔わなかった。早苗は嫌いではないようだが、弱いらしく少し飲んだビールでもう顔を赤くしている。
「なんだ。飲めないなら無理するなよ」
「ふふ。気分だけだね」
(可愛いな)
あれから二人は何度かキスを交わしただけだった。輝彦と慶子の一件で颯介の中に結婚に対するわだかまりが消え、ますます早苗への気持ちが募ってきている。(今時やってないけど結婚ってありかなあ……)
二十代のころと違って体の関係を性急に求めることはなかったが無いのも心配だった。(プロポーズが先かセックスが先か……)
卵と鶏の関係のように颯介は悩んでいたのだった。
「煮えたよ。食べよ。ほら入れてあげる」
「サンキュ。美味そうだな」
二人で鍋を囲んでいるとごちゃごちゃ考えることが面倒になって、颯介は食事を楽しむことにした。(流れに任せるか)
鍋が空っぽになったころ、早苗はお茶を運んできた。
「おなか一杯」
「よく食べたな」
茶を啜りながら、早苗が機嫌を見計らう。
「なあ。今日泊まっていいか?」
「え」
「嫌だったら帰るよ」
「いいよ」
早苗は下を向いたまま小さい声で答える。
「よかった。そういってくれると思ってお泊りセットもってきた」
笑いながら言う颯介に早苗は少し呆れた顔を見せた。
「準備いいね」
明日は珍しく二人の休日が揃う。颯介はこのチャンスを逃さないつもりだったし、早苗もある程度覚悟はしていた。(今夜。やっぱり……)
初めて二人で過ごす夜なので早苗も考えられずにはいられなかった。
「お風呂ためるから待ってて」
「うん」
颯介は食事の後片付けを始めた。(今日いけるかなあ。とりあえず迫ってみるか)
気楽に考えて機嫌よく台所に立った。
風呂から上がると早苗は布団を敷いていた。
「来客用の布団がないから私の布団で寝てくれる?」
「え。一緒に寝るんだよ」
早苗はやっぱりそうなのかという顔をした。
「狭いよ? 私こたつで寝るけど」
「泊まる意味ないじゃんよ」
「じゃ私もお風呂入ってくる」
下を向いたまま早苗は風呂場へ向かった。
颯介は少し周りを見回して色々セッティングを始める。そして布団に入って早苗を待った。(初めてなんだろうなあ……)
できるだけ優しくしなくてはと思い、紳士的な振る舞いをしようと心に決めた。
硬くなった早苗がやってきた。
「もう布団にはいってるの?」
「うん。俺いつも朝早いから眠くて」
寝そうになっている颯介に、なんとなく安心して早苗も布団に入ってきた。大柄な早苗の布団はセミダブルなので、なんとか二人は布団からはみ出ずにいられた。しかし早苗は布団のギリギリ端っこにいる。
「風邪ひくって」
颯介はグイッと自分のほうに引き寄せた。
「あ」
こんなに密着するのは初めてで早苗は緊張して怖くなってきた。
「ねえ。いい?」
と、颯介に聞かれたが、何がいいのかさっぱりわからなく無言でいた。颯介は早苗が拒否はしていないと判断してキスを始めた。少し慣れてきた口づけに早苗はうっとりしてきた。パジャマの上から颯介が身体を愛撫する。覆われるような強い力を肩に感じた時、思わず早苗は声を出していた。
「先生。やめて」
「え」
颯介が手を止めた。
「なんでもないの。ごめんなさい」
慌てて早苗は言うが颯介は完全に動きが止まっている。
「先生って誰?」
誤魔化せそうにない雰囲気と、颯介の真剣な目が早苗にプレッシャーを与える。
「あの。なんでもないの」
「何でもないと思えないんだけど」
颯介は身体を起こして胡坐をかいた。
「なあ。黙ってないでちゃんと言ってくれよ」
「大したことじゃないんだけど……」
「そんなことないだろ。こんな大事な時に……」
きっと話さないと颯介は納得しないだろう。
「笑わないで聞いてくれる」
「笑わないよ」
早苗は深呼吸をして話し始めた。
――高校二年の時だった。担任は田中正孝という名前で教職について3年目の新米だった。早苗は学級委員ということもあり他のクラスメイトより田中と交流することが多かった。進路の相談にもよく乗ってくれ早苗が保育士を目指していることをとても応援してくれたらしい。
田中の育った環境も早苗とよく似ていて母一人子一人の家庭で育ち、やはり苦労をしたようだ。そういった共通点から、担任と生徒の枠より多少外れていて二人は親しくなっていた。
その日は学期末の出席簿や来学期のプリントの整頓を担任と一緒にやっていた。夕方になり少し教室に陰りが出てきた。
田中が「そろそろもう終わりにしよう」と言ったが、早苗は「もうちょっとなのでやってしまいます」と責任感の強さから終わらせようと頑張っていた。
早苗が電気をつけようとしたときだった。いきなり田中が背後から早苗を抱きしめた。突然のことで何が起こったかわからなかったが怖くなり、「先生。やめて」と小さな声で言った。田中は、はっとして身体を離し、「ごめん」と一言言った。すぐに早苗はバタバタと荷物をもって帰ってしまった。
「それからどうなったんだ」
「なにもないよ。普通に卒業まで接してたし。何年かしてその先生が結婚したって噂で聞いた」
颯介は早苗の話を聞いて、なんとなく父の輝彦の気持ちがわかったような気がした。
「いまでもそいつのこと好きなのか?」
「そんなんじゃないよ。ずっと忘れてた。なんでだろ。自分でもわからないよ」
田中は早苗のことを好きだったのだろう。けなげに頑張っている早苗を見て、今の颯介ですら守ってやりたいような抱きしめたくなるような気持ちが湧いてくる。
「田中に取られるところだった」
颯介は軽く嫉妬し、そしてほっとした。田中がもっと手順を踏んで早苗に近づいていたならば、きっと早苗は田中と結ばれていただろう。(俺だったら手に入れてた)
「嫌な思いさせてごめん。確かに田中先生のことが解消できてなかったかもしれない。でも好きなのは颯介だけだよ」
「早苗」
颯介は早苗を抱きしめた。
「細かいことでもなんでも言ってくれよ」
「ごめんね。寝ようか」
「やだ。もう決めた。絶対抱く」
「え」
「俺、お前と結婚したいんだ。拒まないでくれ」
「結婚?」
結局プロポーズも同時になってしまったが、颯介は思いのたけをぶつけることができすっきりした。
「嫌か?」
「嬉しいよ。颯介、抱いて……」
今度こそ早苗を抱く。できるだけ優しく怖くないように痛くないように。慣れているはずの颯介は(やばいな。俺、中坊みたいだ)
初めての時のように緊張していた。
早朝、目が覚めた早苗は颯介の逞しい腕の中にいた。(私とあまり背の高さが変わらないのに、やっぱり男の人なんだなあ)
「ん。おはよ」
颯介は早苗を抱きしめておでこにキスをした。
「おはよ」
まだ目を閉じている颯介に早苗は不思議な愛しさが湧いてくる。
「身体平気?」
「うん」
颯介のいたわりが嬉しかった。そして結婚のことも思い出した。(結婚するのかな……)
颯介と知り合ってから何もかもいっぺんに押し寄せてくる気がする。怖いような嬉しいような、不安と期待が混じり合って今までの生活が大きな変化をしそうだ。早苗は考えることよりも目の前の颯介を感じようとした。初めて自分の意思以外にゆだねることに、不思議な安堵感を覚えた。
颯介は自分の部屋に戻ってぼんやり回想した。慶子が倒れて両親の和解があった日から、輝彦は遊び歩かなくなり家にいることが多くなった。
いきなり一家団欒が始まり、直樹と二人で妙な家族ドラマに巻き込まれたようで変な気分だった。それでも殺伐とした夫婦関係を見るよりは、うんざりしながらでも仲の良い二人を見る方がましだ。直樹も心なしか落ち着いてきている気がする。(早苗……)
颯介こそ早苗しか知らないみたいに、頭も心も身体も早苗でいっぱいになっていた。避けていたはずなのに、なんだか無性に結婚がしたくなった。(今度もっと具体的な話をしよう)
颯介は心に決めてまた早苗のことを回想はじめた。
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