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9 勝利
次の日曜日も颯介は仕事を終え、シャワーを浴びてから図書館に向かった。先週と同じ時間帯を狙っていくとやはり早苗が姿を現せた。(よし、きた)
颯介は自惚れではなく、早苗が自分に関心を持っていれば今日現れると思っていた。待っていたことを悟られないように、そして早苗がすぐ見つけられるように新書コーナーを熱心に物色しているふりをした。図書を返却した後、早苗が颯介に気付く。
「あ、こんにちは。大友さん……」
小声でそっと早苗は挨拶してくる。(お、可愛いな)
颯介はさりげなく振り向いて、にっこりしながら挨拶をした。
「先生。こんにちは」
早苗はまっすぐに颯介に見つめられ少し恥じらって目を逸らした。(脈ありだな)
こうなれば後は颯介のターンだ。颯介は唇に人差し指を当ててから、休憩コーナーを指さして早苗を促した。早苗は頷いてついてくる。
「先週はありがとうございました。葵どうでした?」
「一週間様子を見てたんですが、とりあえず変なことはなかったです。また引き続き様子は見ますね」
「そうですか。ここのところ連絡もとってないし会ってもないのでどうかなと思ってたんですが、心配なさそうかな」
「あまりご心配なようでしたら、お母さんにお話し伺っておきますけど」
「いや。しばらくはこのままでいいと思いますので。なんかすみません。ご面倒をかけてしまって」
「いいんです」
早苗は明るい笑顔で答えた。颯介は早苗の様子を伺って、次の作戦を実行することにした。
「先生はお忙しいですか?今」
「え。いえ。特に」
「お礼にお茶でもごちそうしたいんですがだめですか?」
ノーと言いにくい誘い掛けをした。
忙しいともダメとも言い難く早苗は困ったが、颯介の率直な言い様に思わず、「少しなら」 と答えてしまった。
「よかった。僕は下に車停めてるんです。先生はここまでどうやって来てるんですか?」
「あ、歩きです」
「じゃいいですね。行きましょう」
颯介は手早く主導権を握った。早苗は(本は?……)と思いながら颯介と地下駐車場に降りて行った。
「どうぞ」
助手席のドアを開け早苗を乗せる。そしてロードスターの幌を開き、オープンカーにした。早苗をちらっと見ると表情も身体も固くなっている。こんな風に男の車に乗ることがないのだろう。
しかもオープンカーだと遊び人ぽく見えるかもしれない。颯介は車を動かす前に、「魚臭くないですか?」と、訊ねる。
「え。魚?」
いきなり言われて早苗はきょとんとした。
「僕、鮮魚を扱ってるんで魚の匂いが沁みちゃってるんですよ。車にも結構匂いが付くんです。弟にこの車、勧められて乗ってるんだけど、自分じゃわからなくて。平気ですか?」
この話は嘘ではなかった。
「そうなんですね。全然平気ですよ。言われてもお魚の匂い、わからないです」
早苗は少し安心したようで緊張を解いたようだ。
「よかった」
颯介はにっこりして車を発進した。
少し車を走らせて最近オープンしたカフェに着いたが満車だった。
「うーん。時間帯が悪かったかなあ」
三時過ぎのティータイムだろうか。女性グループの客が多そうだ。
「あの。無理しなくていいですから」
「せっかくだし。あ、いいところがあった」
颯介は少し車を走らせて自動販売機で冷たいお茶を買う。
「すみません。お茶がこれになってしまったんですが……」
「あ、いえ。お気遣いなく」
(どこ行くのかしら)
少し風に吹かれていると公園に到着した。
「ここ来たことあります?」
「初めてです」
広々とした海辺の公園だ。人はまばらにいるが広々として公園というよりも浜辺だった。
「行きましょう。いい場所があるんです」
颯介は展望台へ向かった。ウッドデッキがありそこから海と富士山が見える。
「へー。すごいいいところですねえ」
「でしょ。実は僕も初めて来たんですけどね」
颯介は早苗に飲み物を渡した。
「一人で来るのもなあと思ってて」
颯介は悪戯っぽい目を向けて早苗に笑いかける。
「気持ちいいところですね」
しょうがないなあというような表情で早苗は答えた。困惑している早苗に颯介は質問する。
「先生はどうして保育士になったんですか?」
早苗は一口飲み物を飲んでから、簡単に答える。
「うーん。家庭環境が大きいですかね。うち母子家庭だったので」
「そうなんですね。絵里奈、あ葵の母親が早苗先生はすごくいい先生だって言ってましたよ」
「いえいえ。私なんかまだまだです」
「あの。不躾なことを聞くんですが、恋人は今いないですか?」
「いません。どうも縁がなくて」
「よかった」
(良かった?)早苗は不審気な顔をして颯介をみた。
「僕とお付き合いしてくれませんか?」
颯介はストレートに告白した。昔からこれだと決めた相手には躊躇しなかったし、時間を掛ければいいものではないことを颯介は知っていた。
「え……」
予想通り、早苗は絶句している。颯介は想定内の範囲であり、ここでいい返事をもらおうとは思っていない。
「突然ですみませんでした。一目惚れしたんです」
早苗はどういったらわからないというような顔をしている。
「すぐに返事してくれなくていいです。急いでないですし。これ連絡先です」
メモ用紙に名前と電話番号を書いて渡す。
「せっかくなんでもう少しゆっくりしませんか」
「ええ」
早苗はぼんやり座ってお茶を飲んだ。颯介も黙ってくつろいだ。夕日が傾いてきて海の色がオレンジ色に染まってくる。
「涼しくなってきましたね。遅くなるといけないから帰りましょうか。家まで送ります」
「ええ」
早苗はすっかり寡黙になっている。展望台から降りるときに手を貸そうとしたが、早苗はやんわり断った。(ちょっと持久戦か?)
颯介は早苗にこれ以上刺激を与えないように慎重に接した。
車のドアを開け早苗を助手席に座らせ発進した。図書館付近に来た時に、住いを尋ねる。
「どの辺ですか?」
「ここらへんでいいです」
無理に家まで行かない方がいいだろうと思い、安全なところで早苗を降ろした。
「ありがとうございます」
「また会ってもらえますか? 図書館でいいですけど」
「そうですね。また」
早苗はあいまいに返す。
「それじゃ気を付けて」
颯介は頭をぺこっと下げて車を動かした。早苗は少しこっちを見送ってから向きを変え帰って行った。(よーし。なかなかいい感じだったな)
満足して家路についた。
早苗はスーパーで買い物をしてアパートに帰ってきた。さっきの告白を再生してみた。(一目惚れって……)
男からアプローチされることが初めてではなかったのでそこまで驚かなかったのだが、一目惚れはされたことも、したこともなかったのでそこに驚いた。(ホントかしら……)
颯介のことは何も知らないが、感じは悪くないと思う程度で好きとはまだ言い難い。自分のことも何一つ知らないのに告白してくることが、早苗には不可思議だった。ただ嫌だとも思わなかった。
何とも返事ができないので今のところ保留にするしかない。しかし来週また図書館には行ってみようと思うのだった。(本、借りれなかった……)
颯介は機嫌よく帰宅し直樹の部屋をノックした。
「どうぞ」
ため息交じりの直樹の声が聞こえる。
「おっす。調子はどうだ」
「悪くないけど」
「ちょっとラブホ検索してくれよ」
「え。もうかよ」
「いや。まだ付き合ってないけどな。時間の問題だ」
「はあ……」
直樹はまたため息をついて聞いた。
「市内でいいの? そういや最近、高速の下のラブホが改装してたよ」
「へー。行ったのか」
「いかないいかない。通りがかっただけ」
「そうか。しかし今度の相手は固そうだからなあ」
「ラブホなんかよした方がいいんじゃないの」
「うーん。三ヶ月くらいかかりそうだしなあ」
「へー。珍しく時間かけるじゃん」
「結構、好みのタイプだしな。いつもより真剣なんだ」
「好みなんてあったのかよ」
直樹は鼻で笑った。そのうちに下から慶子の声が聞こえてきた。
「飯か。親父はまたいないのか」
無関心そうに直樹は、「あの二人見てると結婚とか恋愛とかめんどくさくなるよな」と言った。颯介もそう思わないでもなかったが、本能的なものもあると思っていた。
「まあ気持ちはわかるが、なんか湧き上がるものがあるじゃんよ」
「俺にはないな」
「不感症な奴め。じゃ、飯にすっか」
「ん」
二人は食卓へ向かった。
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