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 瀬戸内海と中国山地を望む、風光明媚な地方都市。  安彦(やすひこ)は、この街に転校して二か月になるが、まだ友達がいなかった。小学五年生にして三校目の小学校だ。  証券マンの父は二、三年で転勤になり、そのたびに安彦は転校するはめになる。  東京生まれ東京育ちの安彦が標準語を話すと、クスクスと笑い声が起こり、しだいに安彦は口数が減っていく。いつも、この繰り返しだ。  休み時間にクラスメイトが輪になって盛り上がっている。安彦は無関心を装っているが、本音では、だれかに話しかけてもらうのを待っていた。ただ、それを悟られのは嫌だった。  登校から下校まで、ほとんど誰とも話をしない安彦には一日が長く、朝席につくと、もう帰りたいと思っていた。  ある日の放課後、安彦が一人で土手で寝ていると「なんしよん?」と女の子の声がする。 顔を上げると、おかっぱの女の子がニコニコと微笑んでいる。はじめて見る顔だ。 「え?べつに何も……」 「ふ〜ん……。ねぇ、こっちみー!」 女の子がぱっと両手を広げると、何匹ものバッタが飛び出てきた。 「うわっ!」 思わず跳ね上がり、うわずった声で叫ぶ。 「えーっ?怖いん?かわいいのに!」 「こ、こわくねーよ、びっくりしただけだよ!」 安彦は虫が大の苦手だったが、とっさにウソをついた。 「ほんとに〜?」 「なんなんだよ、おまえ!どこのヤツ?」 「うちは桃。果物のもも。ももって呼んでええよ」 「え?おまえ何年何組?」 「それは……ナイショ」 「きみは?」 「……五年一組。吉田安彦」 「ふ〜ん、よろしくね、やすひこ君」 ももが当たり前のように、さっと右手を差し出す。 安彦はズボンで両手をはたき、ももの手を握った。 「ひゃっ!!」 慌てて手を離すと、ももがケラケラと声を上げて笑う。 右手にバッタを隠していたのだ。 「やっぱり怖いんだ!」 「うるせぇな!」 久しぶりの大声で声がうわずった。  二人は並んで土手に寝そべる。目の前にはオレンジ色の空が広がっている。 「やすひこ君はこっちの子じゃないの?」 「うん、東京。五月に越してきたんだ。えっと……ももは?」 「ずっとこっち。ここしか知らない」 「そうなんだ……」 「あ、やすひこ君東京の子なら、あれ持ってる?たまごっち!」 「え?学校に持ってきたら怒られんじゃん」 「でも、エサとかあげないと死んじゃうんでしょ?」 「うん……」 秘密だぞと言いながら安彦がポケットから取り出す。 「わぁ!本物だ!」 「機嫌わるくなってる……」 「えー!どうしたらいいの?」 「Aボタンで”おやつ”選んでBで決定」 「あー食べてる、かわいい」 「あとは、あっち向いてホイでコイツが勝つと機嫌なおるよ。やってみる?」 ももがうんうんとうなずく。  二人は時間を忘れて遊び、いつのまにか夕闇に星が輝いていた。 「あ!オレ帰んないと怒られる!おまえも帰りな」 安彦が慌てて立ち上がる。 「うん、またね」  走りながら安彦が後ろを振り返ると、ももは見えなくなるまで、ずっと手をふっていた。
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