40.光の幸せ

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 予定通り三重県伊勢市に到着したと、春香からメッセージが届いていた。夕方のメッセージには夫婦岩の写真も添えられていた。  夜には光の好きそうな料理が並んだテーブル。旨そうに食べてる姿を想像して顔が緩む。同時に、なぜ妻からではなく、妻の友人からのメッセージなのかと苦笑いした。  一人の夕食は簡単に済ませた。  ────  翌日、俺もその場所に到着した。思い返せば、光と出かける時はいつも……青い空が広がっていた。今日も、同じように快晴だ。思い出のこの場所は、あの日と同じように快晴だった。  光と春香の乗ったバスが目の前に到着した。 「だって、二人は夫婦じゃない」  春香は涙目で、俺に光を託し、背を向けた。  いつもそうしてくれた。一緒に住む時も、春香は自分の役目が終わったかのように光を見守った後は俺に……託してくれた。春香と京也のお陰で今日までやってこれた。だから、俺も……光に打ち明けようと思う。  それから……これからも夫婦でいたいと。驚いた目で俺を見上げる光に…… 「今日は、土曜日だろ? 」  そう言って、手を取った。最後にするつもりだった。“土曜日”なんて区切るのも“水曜日”なんて場所が限定された関係も。  驚いたままの光に笑った。何かに気づいたのか顔を上げた光に握る手に少し力を込めた。 「行こうか」  4年前に歩いた境内を同じ様に手を繋いで歩く 「ねぇ、何てお願いしたの? 」 「ん? ずっと……いや、いい」 「何!? 気になるなぁ」  記憶のないはずの光と……またもや、あの頃と同じ会話を交わす。本当に戻ったのかと思うほどだった。景色も、感情も……全て。  境内を出て光が風で乱れた髪を梳く。直ぐに離された手を繋ぐのに、少し待った。だけど……その手を繋ぐことを、光はもう許してはくれなかった。 「必要、ないよ」  そう言って笑う。 「必要だから、繋ぐわけじゃない」  光の目は俺に向けられていた。 「私に、必要ないの」  だけど、心は……俺に向けられていなかった。それこそが、4年前との決定的な違いで、埋められないものなのかもしれない。月日より、年齢より、もっともっと埋められないものなのかもしれない。 「ね、食事に行きましょう。春香が……」  そう言って、春香の作ってくれたしおりを見せた。その店のある方向へと進む光の腕を……強くひき止める。過去でも今でも、留まりたかった。進みたくなかった。光のいない未来へなど。 「……えっとね、後で渡そうと思ってたんだけど……」  そう言って、光が出したのは透明のクリアファイル。そこから透けて見えるのは…  ……離婚届。 「離婚は……」  しないって…… 「うん、もういいでしょ? 」  光の言葉は、強い決心が表れていた。風が髪を乱す。光の顔がよく見えなかったのは顔を背けたからだけでなく、涙が視界を遮ったからだ。戻る事も、留まることも出来ず、有るのは未来のない、今だけ。 「ここに、いる間……今日は……今日までは、夫婦でいてくれないか? 」  光は俺の言葉に頷き、その用紙をバッグに戻した。
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