40.光の幸せ

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「簡単にはいかない、ただ、紙切れの問題じゃあない」 「そうね、両親にも話さなきゃならないし……荷物も。あ、でもお金はいらないわよ」  光が淡々とそう言った。 「再婚、するのか? 」 「……いずれは」 「そうか。あいつと? 」  浮かぶのは、伊東の顔。 「……いいえ」 「何で? 」 「出会うのが少し……早かったのかもしれない」  早い?ああ、“いずれ”……か。出会わなかった事に比べたら、きっと、出会った幸せの方が大きいと思う。なのに往生際悪く 「約束してくれないか。離婚届(それ)を出すのは、必ず一緒に」 「……でも」 「約束してくれ」 「……分かった。私からも」 「聞けることなら」 「幸せに、なって」  俺の幸せは(ここ)にしかない。だから、その約束は守れそうにない。それなのに、光はそう言うのだ。  ……眩しい程に晴れた空の下、俺達はそんな約束を交わした。  光の髪に触れる。もう二度と体には触れられないから。その持った毛先を自分の鼻先に近づけた。 「この香り、嫌いなんじゃなかったのか? 」  あの美容院で買ったシャンプーの香りが鼻を擽る。 「昨日、春香のシャンプー借りたから」 「そうか。この前から付けてる香水は? 今日はつけないんだ」  もう、隣に居てやれない。例え、思い出したとしても。思い出したその瞬間に隣に居てやれなくなった。ずっとその時の為に隣にいた。 「出して。アトマイザー」  シュッと吹き付けると、辺りに柔らかく香りが広がった。 「永遠(エタニティ)……か」  ……たった今作られた小さな霧、その中を見て笑った。この香りが好きだった。夢中で手を伸ばした。その記憶をこの香りが呼び覚ます。  ここに、置いて行くつもりだった。こんな感情など。 「前世では、添い遂げれたのかな」  光がそう言った。まるで前世も恋人だったと、夫婦だったと出会って居たと……そういうように。 「来世は……」  そう言って、微笑んだ。虚しさが胸を掠める。そんなものがあるのならば。 「ごめんなさい、来世は碧眼の美女って決めてるの」 「はは、そっか。じゃあ……俺は……大富豪」 「お金があれば、美女と結婚出来るって発想やめてくれない? 」 「美女に生まれたら、幸せだって発想もだろ」  昔に戻ったようにふざける。だけど、光は 「それなら、今世だって、幸せになれたはずじゃない! 」  そう言った。 「光……幸せじゃないのか? 」 「今から、幸せになる予定なの」  光は綺麗な笑顔でそう言った。
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