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アンブレラは近すぎる
「いや、これはないわ~」
同居人の振分綸太郎が、いきなり声高に言った。
僕は読んでいたミステリコミックのページから目線をずらし、声の方を見る。
振分が背を丸め、中古の文机に寄り掛かるようにして、旧い型のパソコンの画面を覗いている。
「何かあったの?」
「聞いてくれるか。ちょっと来てくれ」
呼ばれた。面倒だな、漫画の続きを読みたいなと思ったものの、こちらから何かあったのと聞いたからには、行かねばなるまい。僕はページを覚えてから漫画を閉じた。振分の左後ろまで移動し、ちょこんと座る。
「いつもの投稿小説サイトだね」
「そうだ。が、その前に訂正しておくぞ。投稿小説サイトじゃない。小説投稿サイトだ」
どっちでもいいという訳にはいかないらしい。以前、理由を説明してもらった記憶がある。しかとは覚えていないが、蒸し返すのも時間の無駄なので、ここは流す。
「『ないわ~』ってのは、何のことなのさ」
「今度のコンテストの募集要項が出てたのにさっき気付いたんだが」
その投稿小、もとい、小説投稿サイトでは、割と頻繁にコンテストを催している。字数制限は100~8000とかなり短めで比較的気軽に挑戦でき、しかも賞金が出るとあって、そこそこの盛況を誇っているようだ。
「今回のテーマは『アンブレラ』か。もう梅雨のシーズンだからね」
「それはいいんだ。季節に合わせたベタなテーマの方が考えやすくて、ありがたい。ないと感じたのは、そこに載っている事例だ」
このコンテストの募集要項には、作品内容の例として、三つか四つ、短い文で説明があるのが常である。
今回は四つ。相合い傘、100均で買ったビニール傘といった言葉が見えた。
「四つの中のどれだい?」
「三つ目だ。『晴れの日も傘を持つ老人。その正体は、仕込み傘を得物に使う暗殺者』とあるだろう」
「ああ。これがどうかした?」
「え? いやいやいやいや」
そんなに意外そうな反応をされるとは。それこそ意外だよ。振分は僕の顔を見て、その大きな右手(左手も大きいよ、もちろん)を左右に振りながら続けた。
「説明必要か? この事例はちょっと変だろう」
「うーん? そうかな。スパイ映画か何かのイメージとして、別におかしくないと思うよ」
「何ともはや、情けない」
天を仰ぎ、今度は大きな左手で目元を覆う振分。そのポーズを解くと、改めてパソコン画面を指差した。
「おかしいじゃないか。暗殺者って目立っちゃいけない存在だよな」
「うん、そりゃそうだ」
「じゃ、晴れの日に傘を持つ行為は?」
「……目立つね」
「暗殺者がそんなリスクを負うかね? 言っておくが、殺し屋じゃないんだ。暗殺者だぞ。その格から言って、殺し屋よりも凄腕でなければならないだろう。プロフェッショナルに違いない」
何か感情論入ってるけど、言わんとする気持ちは分かる。アマチュアの殺し屋ならまだいそうだが、アマチュアの暗殺者となるとまずいまい。
「仕込み傘を得物にとあるから、傘が商売道具の凶器、武器だ。暗殺者ともあろう者が、どうしてそんな下手な武器を好んで使うというんだ?」
「さあ……」
適当に聞き流そうとしていた僕だったけど、ふと、閃いた事柄があった。ついつい、言ってみた。
「日傘だったんじゃないか? 今や、日傘を差す男だっている時代だ」
「むぅ」
唸って黙り込む振分。日傘説は想定していなかったらしい。
が、静かになったのはほんの数秒だった。
「いやいやいや。やっぱりおかしいって。晴れの日も傘を持つ老人と明記してある。わざわざこんなことを書くからには、これは特記すべき事項なのだということに他ならない」
「手短に頼むよ」
「要するに、晴れの日に持っていてはおかしい傘なのだ。それは断じて日傘ではあり得ない、だろ?」
「まあ、確かに……日本語をロジカルに解釈するなら、そう受け取るべきかな」
一旦そこまでは認めておき、僕は「だけど」と続けた。
「男性が快晴の日に傘を持ち歩いていてもちっともおかしくない、ごく当たり前に思える場所があるよね」
「うん? 場所だと」
怪訝な顔をする振分。この表情が見たくて、ここまでの話の流れとちょっと違う方向で攻めてみたんだ、僕は。
「飽くまでイメージだよ。頭をリセットして素直に考えたら、すぐに浮かぶはず」
「――あ、大英帝国の都、ロンドンか」
日本人同士で話しているのだからイギリスのロンドンでいいじゃないかと思うんだけど、振分には彼なりのこだわりがある。
「そう。僕らの持っているイギリス紳士のイメージは、どんな天気であろうと、きちっと折り目正しく畳んだ傘を持っている、そんな感じだよね」
「いかにも」
ちなみに昔、クイズ番組の○×問題で「生粋のロンドン男性にとって傘はお洒落アイテムだから、たとえ雨が降ってきても傘を開くことは決していない。○か×か」ってな感じのがあったっけ。
答? もちろん×だよ。
「ということは、面白いな」
振分が何故か満足げな笑みを浮かべている。うんうんと頷いて見せてから、
「『晴れの日も傘を持つ老人。その正体は、仕込み傘を得物に使う暗殺者』たったこれだけの短い文章から、この老人が大英帝国の紳士であることが読み取れた。しかもこの光景はロンドンでなければならないから、場所もロンドンで決まりだ」
「いや。ちょっと異議があるな」
「どうしてだ?」
また訝しげな表情をする振分。僕は飄々とした態度に務めた。
「場所はまあいいとしても、イギリス人である確証が果たしてあるかな? 厳密に表現するのであれば、イギリス紳士もしくはイギリス紳士らしい外見を持つ人物とすべきだよ」
「なるほど」
振分は納得したように大きく頷いた。
だが、五秒後、少し悔しげに付け足した。
「厳密さを求めるのなら、イギリス紳士ではなく大英帝国紳士だ」
終わり
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