奇跡の酒場

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 随分と幸せそうな表情のエリオット騎士公が宮殿に戻ってきたのは、さらに翌日の昼に差し掛かろうという時間だった。  一方、セシルは出仕してから、エリオットの帰りを待ち続けていた。  だが、その間も、終始そわそわとした態度をとり続けて全く落ち着きがない。  少々気が強いとはいえ、普段から冷静な彼女が、そうした余裕の無い仕草を他人に見せることは珍しい。  それもあってメイドたちは、「それほどまでにエリオット様の帰りが待ち遠しいのか」と、完全に誤解をした噂を囁き合った。  だが、実際の彼女は、昨日酒場の主人に教えられた人物のところに、早く行きたくて仕方なかったのだ。  無論、ゆっくり訪問したところで、相手が逃げる訳でもないことは理解できている。  ただ、心の中にのしかかる重石(おもし)を、一刻も早く取り除いてしまいたくて仕方がない――そんな思いが、彼女に必要以上の焦燥感を抱かせていた。 「お帰りなさいませ、殿下」 「――ああ」  戻ってきたエリオットに声を掛けると、彼はセシルを一瞥(いちべつ)するだけで、普段のようにちゃんとした挨拶を返してくることもなかった。  たったそれだけのことではあるのだが、何となく彼の心が、自分から距離のある位置に移ってしまったように感じる。  恐らくエリオットは丸々二日間を掛けて、結婚相手とその家から、存分な歓待を受けたに違いない。  存分な()()()()は昔から存在する調(ちょう)(りゃく)手法――相手に心変わりさせるための手段の一つではあるのだが、それが地味に効果的であることが、今更実感できた。  セシルはエリオットが昼食をとる時間になると、メイドたちがそれを準備するのを確かめてから、少し外出させてもらうことにした。  普段であれば、使いでもないのに、昼間に宮殿を抜け出すようなことはしない。  だが、今のようにエリオットの関心事が他の場所にあるような状態であれば、それが問題になることもないだろう。  実際セシルが外出を申し出ると、エリオットは行き先も聞かずにそれを了承した。  見れば、エリオットの表情は、どこか別世界を彷徨っているようでもある。  ――こういう手法には、弱い人だとは思っていたけれど。  セシルはそう思いながらも、あまりにわかりやすい彼の変化に、心の中で苦笑した。  午後、セシルが訪ねたのは、この街の六番街と呼ばれる場所である。  そこは冒険者向けの職人街になっており、いくつもの武器屋や防具屋が軒を連ねていた。  ふと、この辺りに鎧師が店を出していないかしらと思いはしたが、たとえ鎧師を見つけたところで、飛び込みで仕事を受けてもらえるとは思えない。  それに、途中で何人もの冒険者とすれ違ったが、少し視線を集めているような気もする。  特段治安の悪い場所には思えないが、そもそもセシルのような身なりの女性が一人で彷徨(うろつ)くような場所ではないのかもしれない。  であれば、酒場で紹介を受けた相手に(いち)()の望みを持って、早々にそこを訪ねて用を済ませた方が良さそうだ。 「――ここ、かしら?」  セシルが昨日酒場の主人から受け取った走り書きを確かめると、確かに記された住所は、今立っている場所を指し示していると思われた。  見れば目の前にあるのは、随分と古い石造りの建物だ。  昨晩は同じように『奇跡の酒場』からも古さを感じたのだが、目の前の建物からは、酒場のような清潔感があまり漂ってこない。  どちらかというと、埃を被ってうらぶれた――正に()()()()()()()()という表現が、一番比喩(ひゆ)するに正しいようにも思う。  セシルは取りあえずその店の扉をノックすると、反応が返ってくるのを待った。  だが、いくら待っていても、何かが反応するような気配がない。  セシルはそれから何度も扉を叩いたが、一向に誰かが現れるような兆しはなかった。 「まさか――留守?」  誰に確かめる訳でもなくそう呟くと、彼女はふと扉のノブに手を掛けた。  すると、ガチャリという小気味の良い音がして、扉が簡単に開いてしまう。  セシルはそれが悪いことだとは思いながらも、そのまま扉を抜けて、店の中に足を踏み入れていった。  中に入ると前室らしき小さな部屋があった。  どうやら、その奥が作業場になっているようだ。  セシルは前室を抜け、作業場に繋がる扉をそっと静かに開いてみる。  途端に小さな恐怖と共に、変な好奇心のようなものが、心の中に生まれてきたのがわかった。  普段の彼女であれば、勝手に他人の家に忍び入るような真似は絶対にしない。  だが、その時の彼女は、まるで魔法によって魅了されたように――吸い寄せられるように、部屋の中へと身を滑らせていった。  作業場に入ると、彼女が今まで見たことのないような、雑然とした空間が広がっていた。  古くさい店の風貌からすると、意外に広い部屋だ。  作業場特有の油や金属の匂いを感じながら、彼女は部屋の中をぐるりと見渡した。  ふと右側の壁面に注目すると、そこには驚くほどの数の工具が、壁に引っ掛けられている。  それをそれぞれ詳しく見たところで、どのように使われるものなのかは、まったく想像もつかなかった。  次に左側の棚に視線を移すと、棚の上にいくつかの見本と思われるいくつかの防具に加えて、皿や壺といった生活に使うような品物が並んでいるのがわかった。  そして――セシルはそこに飾られていた一つの防具に、思わず視線を奪われてしまう。  それは、普段騎士団で目にするものよりも若干小ぶりな、真っ白な籠手(ガントレット)だった。  おおよそ男性向けとは思えない、小型の籠手(ガントレット)。  だが、セシルの視線を惹きつけた理由は、その大きさではない。  白い籠手(ガントレット)に施された見事な金色の装飾――複雑だが華美な印象はなく、まるで貴婦人が身に着けるために作られたような、優雅な花をモチーフにした装飾だ。  ふと、セシルが再び作業場を見渡すと、そこにはやはり誰もいないように思われた。  それを確認した彼女はゆっくりと、真っ白な籠手(ガントレット)へ近づいて行く――。  そして、まさにその籠手(ガントレット)に手を伸ばそうとした瞬間、カツン!という金属を叩く音が、部屋の中に響いた。  慌ててセシルは、伸ばしかけた手をビクリと引っ込める。  直後、コンコンコンという木槌のようなものを、小刻みに叩く音が聞こえた。 「――誰だ?  こそ泥にしては、随分と大胆なようだが」  急に声を掛けられて、セシルは(ひる)んだように(あと)退(ずさ)った。  その低い声は、部屋の中にある作業台の向こう側から聞こえてきたものである。  大きな作業台に隠れてしまって、それまでその人物の存在に気づかなかったのだ。  セシルが慎重に足を踏み出して、作業台の向こう側へ回り込んでみると、そこには(かが)んだ姿勢で作業を続ける一人の男性の姿があった。 「あっ――あの――」  家に忍び込むという、後ろめたい気持ちがあったからかもしれない。  堂々と掛けようとした声は、上手く口元から出てはくれなかった。  代わりにセシルは、目の前の人物に向けて、(せわ)しなく視線を動かす。  ――真っ黒な髪。そして、浅黒く日焼けした肌。  作業着から覗く手足は、がっしりと引き締まった筋肉に覆われているようである。  目元は精悍に釣り上がり、口元と(あご)には()(しょう)(ひげ)があった。  年齢は恐らく、三十歳ぐらいだろうか?  少なくともセシルよりは、年上の人物であることは間違いない。  セシルがそうして、掛ける声を失っていると、男性はそのまま作業を再開し始めた。  再び木槌を振るう小刻みな音が、周囲に定期的なリズムを響かせている。  どうやら、男性は勝手に入ってきたセシルを、それ以上気に留めるつもりがないようだ。  お陰でセシルは、彼の真剣な横顔を眺めながら、そのまましばらく作業姿に見入ってしまう。  木槌を振るう腕が筋張っていて、彼の力強さを際立たせていた。  だが、その力強さと対照的に、男性が手元で行っているのは、いわゆる(ちょう)(きん)と呼ばれる金属に細やかな装飾を施す作業である。  しばらく眺めていると、見る見るうちに、金属の表面に美しい紋様が刻まれていった。  その流麗な曲線は、無骨で埃っぽい作業場のイメージから、随分とかけ離れているように思う。  そして、セシルは初めて見る職人の技に、得も言われぬ興奮のようなものを覚えた。 「――()()()()()のご主人から、紹介されてここへ来たの」  セシルは一つ深呼吸をしてから、金属と格闘し続ける男性に、思い切って声を掛けた。 「ほう」  応答はしたものの、その名前は特別な感慨を与えなかったようだ。  だが、彼はどうやら作業を止めて、セシルと話をすることを選択したらしい。  木槌を近くに置くと、無精髭の男性はスクッとその場に立ち上がった。  上背はセシルよりも一回り大きくて、想像よりも存在感のある姿に、セシルは思わず仰け反りそうになってしまう。 「それで、何の用だ?」 「――ところで、そこにある籠手(ガントレット)はあなたが造った()()?」  セシルはそう言って、先ほどの小型の籠手(ガントレット)を指さしながら尋ねた。  すると、黒髪の青年は『もの』という言葉を置き換えるように、それを肯定した。 「ああ。俺の()()だが」  その言葉を聞いて、セシルはここに来た目的を素直に告げた。 「実は、あなたに金属鎧(プレートメイル)を作って欲しいのよ。  今度、騎士にしてもらえることになったの。それで騎士叙任には、()()()金属鎧(プレートメイル)が必要だから――。  でも、誰も女性用の金属鎧(プレートメイル)を作ってくれなくて、当てが無くて困っていたの。  そしたら酒場のご主人が、ここに行くといいと」 「なるほどな」 「ごめんなさい、あなたの名前を教えて貰ってもいいかしら?」 「なんだ、騎士家のご令嬢は、相手の名前も訊かずにここまで来たのか。  これは呆れた」  男性はやれやれという表情になると、セシルに向けて無遠慮に首を(すく)めた。  彼女はそれを目撃して、多少ムッとした態度になる。 「だって、行ってみれば判ると言って、教えてくれなかったんだもの。  わたしはアロイス騎士家のセシル。あなたの名前は?」  率直にそう尋ねると、男性は苦笑しながら答えた。 「俺は、カイと呼んでくれればいい」 「カイ――?  家の名前はないの? 偽名か何かなのかしら」  セシルはあまり聞き慣れない名前を聞いて、率直にそう問い返した。  だが、目の前の男性は、その質問に再び呆れた表情を作る。 「あのな――。  初対面早々、相手に()()()()()と訊く失礼な女がどこにいる」  思わず「ここにいる」と言いそうになってしまったが、確かにカイの言うとおり失礼な発言だった。  そもそもセシルは鎧の製作を頼みに来たはずで、相手を怒らせたい訳ではない。 「ごめんなさい。  わたし、比較的思ったことを言っちゃう性格なのよね」 「今のでそれは十分にわかったさ。  ――それで、作るのは金属鎧(プレートメイル)()()でいいのかい?」  カイの発言にセシルは、動作を止めて、彼をじっと見つめた。  無論、セシルは相手を見つめるだけで、力量を推し量れるような能力を持ち合わせていない。  だが、確かにあの白い籠手(ガントレット)の出来映えを考えると、鎧以外にも様々なものを、作り出せそうな技量が窺い知れた。  そうして、しばらく視線を彼の顔に留めていると、ふとカイの方も、自分の顔をじっと見つめていることに気づく。  セシルはあまり自分を女性だと意識したことはないし、女性としての目で、男性を品定めすることは殆どない。  だが、カイは精悍な顔つきで、男性としてなかなか魅力的な外見をしているように思えた。  もし、彼のような男性が宮殿内にいたのなら、きっと多くのメイドたちは放ってはおかないだろう――。  脱線してしまった思考を揺り戻すように、セシルはカイの発言の意味を、改めて確かめた。 「今の発言は、金属鎧(プレートメイル)以外も作れるって意味よね?」 「もちろん、モノにもよるが」 「――いいわ。  作れるというのなら、盾も作って欲しい」 「兜はいらないんだな?」 「必要ないわ。  確かに頭を守るのは重要だけど、兜は視界が狭まるから好きじゃないの。  何しろ相手の攻撃を認知できなければ、避けることすらできないもの」 「なるほどな。  しかしだからと言って、頭を全く守らないというのも割り切り過ぎだろう。  転倒した時に頭を打てば、それだけで致命傷になってしまう可能性もある」 「――解決策は?」 「ある」  自信を持った答えが、即答で返ってくる。  受け答えの態度は良くないようにも思うが、セシルは目の前の男性の気っぷの良さに少し好感を抱き始めていた。  何しろ今まで、何をしようとしても障害ばかりだったのだ。  その過去を意識すると、彼と会話しているだけで、目の前が急に明るく開けていくような感覚を覚える。 「じゃあ、早速だけど製作に掛かる期間と金額を教えて」 「待った。  その前に、確かめておかなければならないことがある。  それによっても期間や金額が変わる」 「何かしら?」  期間や費用以外の重要なことが思いつかず、セシルは思わず首を傾げた。 「()()()()()()()はあるか?」 「――――。  ――えっ?」  カイが放った想像もしなかった質問に、セシルはその場で立ち尽くすのだった。
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