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不変を知る
年が明け、大学が長い春休みに入ると、ほんの少しだけ寒さが和らぎ、バイク仲間と集まる回数も増えてきた。
気付けば、つるむ仲間の数は10人にまで増えていた。
「最近どうよ、ヒトミちゃんとは」
「うまくやってるよ。いい子だ。彼女」
「信頼出来てきたか?」
「そうだな。多分、いずれ付き合うんじゃないかな」
クリスマスが明けてから、俺とヒトミの間でそう言う話になった。
たしかに、今付き合うとしたらヒトミなのだろうし、彼女は俺にとって非の打ち所がない。
付き合った方が、レイナのことも本気で忘れられるような気がした。
だがなぜか、「その時が来たら」と濁してしまい、一歩踏み切れないままだった。
多分、頭の片隅にあるレイナのことが、そうさせるのだろう。
すっかり連絡を取らなくなった。
俺は何度あの女を思い出す。
いい加減、忘れなければ。
一度決心したじゃないか。
一度…。
「離して!!!」
聞き覚えのある声。
深夜、バイト帰りに、タバコでも買おうと、コンビニへと足を運んでいた時のことだった。
男が2人、レイナの手首を掴み、どこかへ連れて行こうとしていた。
夜で他にまともな人間はいなさそうだった。
向こうの3人は、誰も俺に気付いていない。
選択の余地はなかった。
レイナが手を振り払って奥へ走り出した。
俺はそれを追う男の1人を後頭部から助走をつけて殴った。
もう1人。
中学時代は陸上部で、そこそこ走っていたが、高校ではバイトしかしてなかった。
それに本数は少ないとは言えタバコの影響で呼吸が苦しい。
それでもなぜか力は出た。
男に追いつき、服を掴んで、今まさにレイナにかかろうとしていたその手を遠ざけ、地面に叩きつけた。
そのまま殴り、気絶させた。
レイナは、すぐ近くの店の陰に隠れていた。
俺が顔を覗かすと、声を上げて震えた。
「おい。俺だよ。智樹だよ」
「…と、智樹!!!」
久しぶり、とはなんだか言いたくなかった。
一瞬で全力で人を殴ったことで、拳に血痕が付いていることも、自分の息が荒れていることにも気付かなかった。
彼女を抱きしめている時、震える細い華奢な体を感じると同時に、俺のそれも理解した。
「細かいことは今はどうでもいい。どうなるか分からない。すぐに離れよう」
「う、うん」
俺はレイナの手を取って、また走ってその場を離れた。
「…何があったの?」
「……長くなるけど、根本から、全て話すね…」
私は、この前まで彼氏だった大山 風雅に、クリスマスイブに犯された。
それが理由で、私は彼から逃げるように別れ、バイトもやめた。
それで、怒り狂った風雅は…仲間呼んで、さっきああやって、集団で私を拉致って、また犯そうとしたんだと思う。
さっきの2人、見たことある。
多分、風雅の仲間…。
「…っ」
言葉が出なかった。
なんとなく、俺がイブに感じた、何かを忘れた意味が分かった気がした。
守れなかった。
いや、守る資格がその時なかったのか。
レイナは、あの時、苦しんでいた。
「ありがとう…助けてくれて…私は…あんなことをしたって言うのに」
「恨んでない。仮にそうだったとしても…助けてた。あんな声を聞いて、放っておけるかよ。…本当のこと言うと…こうなるだろうって、そう思ってた」
「噂は…私は、信じなかった。でも、本当に危ない人だって、言ってくれれば…」
「あの時のお前に、俺がそれを言ったとして、素直に俺の言葉を信じたか?」
「…」
「お前の想いを踏みにじることにもなると思った。本当に改心してたのなら、余計迷惑だと思った。だから言わなかった。…けど…」
「…優しすぎるよ…智樹」
『優しい智樹と一緒にいるのが楽しい』
レイナの声に、ヒトミの声が重なった。
優しい…。
なぜ、今なんだ。
どうして君は…このタイミングでそんなことを俺に言うんだ。
なぜ、今なんだ。
どうして君は…こうやって、本気で忘れようと覚悟した時に俺の前に現れる…!!
前だってそうだった…。
君はそうやって、こういう時に俺の前に現れる。
「…とにかく…気をつけて、早く帰れよ」
これ以上、彼女といると、またどうかなりそうだった。
そう言って、俺はバイクを停めている駐輪場に歩こうとした。
「…あの…家まで、送ってってくれない?」
…俺は優しすぎる。
1つしかないヘルメットをレイナに被せ、鼓動を感じながら、長らく行っていなかったレイナの家へ向かった。
家に着くと、レイナはヘルメットを脱ぎ、智樹に渡した。
「…本当、色々、ありがとう。ごめんね…」
「…しばらくは…1人で夜出歩かない方が良い。あと…」
言うべきか、少し悩んだ。
「何かあったら、気にしないですぐに俺を呼べ」
「…ありがとう。本当に、優しいよね。智樹…」
彼女の可哀想で、可愛い目を見ていると…昔を思い出した。
あと1ヶ月もしないで、春休みが終わる。
俺の学年も上がる。
考えてみれば、レイナとの腐れ縁も随分続いている。
彼女は俺に言った。
「優しすぎる」と言った。
あの言葉は、心の底から出ている言葉か?
本当に、信じて良いのか?
一度…エゴとはいえ、裏切られた。
だが、彼女の震える体を眺めていると、上辺だけの言葉には思えなかった。
例えば、この彼女の言葉を信じてみようか。
そうしたら、俺はきっとまた繰り返すのではないか?
また信じて、また失って、また信じることが出来なくなる。
だが…恐怖で震える彼女を置いて、このまま帰ることなんて出来そうになかった。
… 俺は優しすぎる。
彼女の震える体を抱きしめた。
「…絶対に助けてやる。絶対に、もうレイナを苦しませない…」
「…ありがとう…。どうして私は…あの時あなたを選べなかったんだろう。犯されてから…ずっとそればかり考えてた」
ヒトミのことを、考えなかったわけではない。
だが、ずっと長く付き合っているレイナに、求められていたのなら…。
求めている時に求められなかった。
だが、求めようとしないと決めた時、求められていた。
俺は抱きしめていた片手をレイナの後頭部に移した。
レイナは、上を向き、俺の顔を見て微笑んだ。
この笑顔を…信じてみようか。
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