8【完遂】~朝倉哲也~

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 鼻歌の合間に、宇野が恥じらうように微笑んで言った。その瞬間。朝倉は胸を貫かれたような感覚に一瞬、息を止める。言葉も表情も、彼はあまりに素直で可愛らしい。  もうー……。そういうの、頼むから勘弁してくれよ……。変なスイッチ入っちゃうだろ……。 「そ、そうだっけねぇ……」  暴れ出しそうな欲望を必死に抑えながら、朝倉は知らぬふりをする。まるで、つまらない世間話を聞き流してしまうかのように。しかし。 「そうですよ。なんか、楽しいです、僕。本当に一緒に暮らしてるみたいで……」 「え――」 「あ……、な、なんちゃって……」  宇野はそう言って、へへ、と笑みを零す。ほんのりと頬が染まっていくのを見て、朝倉は思わず天を仰ぎ、目を瞑った。  こいつ……、むちゃくちゃ抱きしめたい……っ!  これでは、一緒に暮らしたい――と言われているようなものだ。おかげで根拠のない期待感が溢れて、煩わしいほどに心臓が高鳴った。どうしても宇野に触れたくて、また理由もなく彼の髪をわしゃわしゃと撫でてみる。すると、当然のごとく鬱陶しそうに睨まれ、仕返しをされ、延々とじゃれ合いが始まった。 「こらっ……、おま、くすぐんなよ……!」 「先生が先にやったんでしょお……っ」  それからしばらく、部屋にはまるで子どものじゃれ合うような声が響いた。男の下心を隠しながら、宇野への愛おしさが強く、強く、深くなっていく。もっと、もっと彼に触れたくてたまらなくなる。  いつの間にか、こんなに惚れてたんだな……。  この頼りない理性は、いつまで耐えてくれるのだろう。もしかしたら、ただの相棒に戻れなくなるのは、もう時間の問題なのかもしれない。朝倉はこのとき、心の中でそう予感していた。 「うぅ……っ、うー……」  それから数時間後。リビングには、宇野のすすり泣く声が響いていた。朝倉は隣でその声を聞きながら、呆れて笑みを引きつらせ、無言で箱ティッシュを差し出してやる。すると、宇野はかすれた声で小さく「あざます……」と言って、ティッシュを取り、ちーんと鼻をかんだ。彼は本当に涙もろい男だ。 「めっちゃいいですねぇ……、このゾンビ映画……」 「まぁ、思ったより面白かったけど……。そんなに泣くほどか?」 「すっごくよかったです……っ!」  冴子が勧めてくれた、二時間半ほどのゾンビ映画は、思っていたよりもずっと面白かった。普段、朝倉は映画を好んで観るほうではないし、ゾンビだってあまり好きではない。それでも退屈することなく楽しめたし、後味も想像より悪くなかった。ストーリーは単純で、主人公と相棒が、ふたりでゾンビに溢れた町から脱出するというありがちなものだったが、ふたりの強い絆を感じられるシーンにはちょっとだけ感情移入してしまい、それなりに感動もした。ただし、そんなに泣きじゃくるようなラストではなかったような気がする。 「はぁ……。相棒って、ほんとにいいもんですね……」 「うん、まぁ……。そうね……」 「僕、これからも朝倉先生のこと大事にしよう……。もし、ゾンビの世界になっちゃったら全力で守ります……!」 「頼もしいねぇ。よろしく頼むよ」 「朝倉先生も、僕のこと守ってくれますか?」 「うん。守る、守る」 「……ほんとに?」 「ほんとだって!」  そんなことを話しているうちに、宇野の涙も落ち着いてきた。朝倉は彼にアイスコーヒーを入れてあげて、また録画リストに戻ったテレビ画面を前に、思いきり伸びをする。今日はいつになく、いい休日だ。 「なんかさぁ、たまにはこういう休日もいいよなぁ」 「こういう……って?」 「ふたりでまーったりするの。久しぶりの映画だったから、ちょっと肩凝ったけどさ。副交感神経が優位になってく感じする」 「あ……、はい。そうですね……」  そう答えた宇野の頬が赤く染まって、みるみるうちに耳まで赤らんでいく。なんだか彼はとても――……恥ずかしそうだ。そんな彼を横目にして、朝倉は首を傾げた。  ん……? 今オレ、変なこと言ったか……?  「あ、あの、朝倉先生……っ!」  不意に。思いきったように声を張って、宇野に呼ばれ、朝倉はビクッと肩を震わせた。 「はい……?」 「あの、よかったら、僕……、肩もみしますけど……」 「え……っ、なんで?」 「だって今、肩凝っちゃったって……」 「あぁ、いや、いいよ。そういうつもりで言ったんじゃないから」  もじもじした様子で、なにを言い出すのかと思えば、肩もみときたものだ。朝倉は慌ててかぶりを振った。これまで、宇野に肩をもんでもらったことなど一度もないし、頼んだこともない。ところが、宇野は諦める様子はなく、ずいっと朝倉に詰め寄った。 「そんなこと言わずに! ぼ、僕、こう見えてもうまいんですよ……!」 「いや、いいってば――」 「昔、あの中川さんにも肩もみはよく頼まれてたんですから……」  ……なんだと?  その名に反応して、思わず眉をしかめた。中川の難癖は、佐東への度重なるセクハラによって明らかになったが、まさか彼は、宇野にも手を出していたというのだろうか。 「なので、よかったら……」 「ちょい待ち。宇野くん……、君、中川さんの肩もみなんかやってたの?」 「はい……。あ、でも昔ですよ。僕が入ったばっかで、もっと若かったとき。ほら、前に話したことあるじゃないですか。中川さんに誘われたことあるって。その頃の話です」 「ふーん……?」  たぶん、朝倉があの病院に入る前の話なのだろう。宇野は動物看護師として、数年のキャリアを積んだのちに、中川動物病院に転職したと聞いている。おそらくはその頃、宇野はまだ二十代。綺麗でもあり、可愛らしくもある魅力的な容姿を持ち、仕事もそつなく熟す彼が、中川に目をつけられるのは容易に想像できた。
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