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翌日――。宇野は朝倉とともに、いつもより少し気怠い体で出勤した。ゆうべ、予想をはるかに超える、ディ―プ且つ、ハードなセックスをしたせいで、頭はまだぼんやりとしているし、体はすっかりくたびれている。しかし、心だけが異常なほど多幸感に満ちていた。
「ふわあ……、今日もあっちいなー」
隣で朝倉が眠そうにあくびをしている。無理もない。濃厚な行為のあと、汗と体液まみれになったふたりが、体をきれいにして眠ったのは、もう深夜だったのだから。
「哲也ぁ……、大丈夫……?」
朝倉のあくびがうつってしまって、宇野も大あくびをしながら訊ねる。すると、朝倉は嬉しそうに微笑み、「ありゃ。うつっちゃったねぇ」と言って、いつものように宇野の髪をくしゃくしゃと撫でた。
「ちょっ、もう……。せっかくセットしたのに……」
宇野は口をひん曲げて、乱れた髪を直す。慣れたやり取りのはずだが、不思議なことにどうも今朝は照れくさくて、くすぐったい。
「恵ちゃんこそ、体、大丈夫かぁ? ゆうべ、腰痛いって言ってたけど」
「あぁ……、うん。たぶん、大丈夫……」
「まぁ、とりあえず、今日と明日を乗り越えれば、あさっては休みだからな。頑張ろ」
「だねぇ……」
たったひと晩、同じベッドで過ごしただけなのに、いつの間にか敬語を使うのも抜けて、哲也、恵ちゃんと、親しげに名前を呼び合うのにもすっかり慣れてしまった。だが、やがて病院が見えてきて、宇野はかぶりを振る。
やばい……、ちゃんと頭、戻さなきゃ……。
仕事中はひとまず先生と宇野くんに戻らなければならない。今日は日曜なので、病院はそこそこ混み合って忙しくなるはずだ。恋人ができたばかりのぼんやり頭で、浮かれながら仕事をするわけにもいかない。だが――。
「なぁ、恵ちゃん」
「え?」
「あさってさ、デートしない?」
「え……っ」
「あれ、予定あり?」
「いや……、ないけど……」
宇野は顔を背け、ぼそぼそと答えた。今、せっかく恋人気分の頭を仕事モードに切り替えようとしたのに、朝倉は全く気にしていないようだ。
「おっし! じゃあ、決まり。どこ行こうかねぇ、初デート」
「そっか、初デート……」
あさって、デートをするとなると初デートだ。あまりに嬉しくて頬が緩んで、意味もなく朝倉に抱きついてしまいそうになるが、もうここは病院の目の前。周辺に患者がいても不思議はないし、いちゃついて噂にでもなったらよくない。しかし、朝倉はやはり、そんなことは全く気にしていない。
「こう暑いから、やっぱ涼しいとこがいいよなぁ」
「涼しいとこ……。水族館、とか……?」
「いいねぇ、そうしよっか。手ぇ繋いでも周りにバレなさそうだし」
「てぇ……っ?」
「なんだよ、だめ?」
「と、とんでもないっ……!」
あさっての休日に水族館デートが待っているかと思うと、途端に胸が高鳴った。宇野は脳内で、暗がりの中、大きな水槽を前にこっそり朝倉と手を繋ぐ自分を思い浮かべる。あまりに嬉しくて、思わずため息が零れた。
「水族館デートかぁ。すごい楽しみ、ですね……」
「そうだね」
「早くあさってにならないかなぁ。僕ね、ずうっと朝倉先生とデートしたいなって思ってたん……っ」
あ……、敬語……。
病院の裏口を前にして、つい敬語に戻ってしまった。ハッとして口を噤むが、顔を上げた瞬間。宇野は唇を塞がれる。
「ん……っ」
重なった唇はすぐに離れていった。だが、不意打ちのキスに呆気にとられてしまい、宇野はぽうっとしたまま朝倉を見つめる。すると、朝倉も釣られたように頬を染めて言った。
「ごめん……、外では絶対、がまんしようと思ってたんだけどさ……」
「あ、はい……」
「急に敬語に戻っちゃったなーって思ったら、かわいいこと言うから……。スイッチ入っちゃった」
「先生――……」
「えー……っと、おはようございます!」
甘い会話と雰囲気が、咳ばらいと厳しい口調に遮られ、一変する。ドキッとして宇野が振り向くと、後ろには呆れ顔をした佐東が立っていた。
「さ、佐東くん……っ」
「シュガー……」
「あれえー、おれの記憶違いかなぁ? この病院が始動する前、院内、敷地内でのいちゃいちゃは禁止っつったの、朝倉先生じゃなかったでしたっけえ?」
「あ……、す、すまん……!」
どうやら、今のキスはしっかり佐東に目撃されていたらしい。猛烈に恥ずかしくなって、宇野はにやけ顔のまま、ぶわっと火照った頬を掻いた。それを見て、佐東は呆れたように眉を上げたが、不意に宇野と視線がぶつかると、くす、と笑みを零す。
「別にいいですけど。患者さんには見られないように、気を付けてくださいよ。そんでなくたって、あなたたちは日頃からデフォルトでいちゃついてんだから」
「はい、すいません……」
「あと、シロさんたちは、みんな元気ですから。藍染さんにはもう連絡済みです。夕方、見に来るそうですよ」
佐東はそう言ったあと、鼻歌を唄いながら、ふたりの間をぬって院内へ入っていく。その後ろ姿を見届けて、宇野は朝倉と顔を見合わせ、笑みを零した。
「なんか佐東くん……、嬉しそうですね」
「うん……。ってか、オレらって日ごろデフォでいちゃついてたか?」
「どうなんだろ、佐東くんには、そう見えてたみたいですけど」
肩をすくめ、宇野は笑みを零す。彼はああ見えても、たぶん、ものすごく喜んでくれているはずだ。宇野の恋を、この院内で唯一知り、少々強引ではあるものの、応援してくれていたのは、彼なのだから。もっとも、佐東は愛木にだけは、それをなにもかも話しているのだろうけれど。
ありがとね、佐東くん……。
「よおーし、今日も一日、働くかぁ。頼むよ、ハニー」
「は、はい……!」
宇野は朝倉とともに裏口から院内へ入る。個室部屋からは、かすかに仔猫たちの鳴き声が聞こえてきて、宇野は窓から中を覗いた。部屋の中では、シロさんがきれいなタオルで作られた寝床で、仔猫たちにお乳を上げている。その様子に、宇野は朝倉と顔を見合わせ、微笑んだ。
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