71人が本棚に入れています
本棚に追加
「僕もなにか手伝いましょうか?」
「いいっ! っていうか、宇野くんはまだ自分ちにいていいよ」
「でも、向こうにいてもヒマだし……。ここにいてもいいですか?」
「えぇ……?」
朝倉はいかにも迷惑そうな顔をしているが、ほどなくしてから、しぶしぶ頷いた。
「別にいいけど……」
「僕もお掃除、手伝いますよ。最近、ごはんは朝倉先生んちで食べてばっかだったし」
「いい、いい。いいから。宇野くんはソファに座って、テレビでも観てて」
「え、でも……」
「いいから! あ、そうだ。録画、溜まってるから消費しといて」
「え、僕が?」
わけがわからないうちに、無理やりにソファに座らされて、リモコンを持たされる。宇野は朝倉の掃除する姿を横目に、仕方なしにテレビを点けた。録画リストを開いて、一番上から適当に番組を選び、再生ボタンを押す。朝倉はこう見えて、歌番組やバラエティーはほとんど観なかった。録画リストには彼好みのドキュメンタリー番組ばかりが並んでいる。
相変わらず……、真面目なんだか不真面目なんだか……。
以前、朝倉と愛木がテレビの話で盛り上がっていたのを聞いたことがある。あのふたりは性格が真逆のようで、案外好みが似ているのだ。ただし、愛木はきっと、自分が観るはずだった録画リストの消費を他人に頼んだりはしない。録画リストをこんなに録りためることもなく、きちんと消費しているだろう。
だが、そんなずぼらで、とんちんかんなところもまた愛おしくなる。宇野は、医療機器メーカーを取材した番組をぼんやりと眺めながら、慌てているような忙しない掃除機の音に、こっそり笑みを零した。
それからしばらくすると、掃除機の音が止んだ。どうやら、部屋の掃除が一段落したらしい。朝倉が手を洗って、台所に立ったのを見計らって、宇野もその隣に寄る。
「僕も手伝います」
今度こそ、と宇野が声をかけるが、朝倉はまたかぶりを振る。
「いいの。オレがやるから。さっきサラダ作っといたから、あとは唐揚げと味噌汁作るだけだし」
「でも……」
そう言いかけたが、口を噤む。手伝うと言っても宇野は料理が大の苦手だ。唐揚げは実家に帰ればよく夕食のメインディッシュとして出てくるものの、自分では一度も作ったことがなく、鶏肉を油で揚げる、くらいのことしかわからない。
一方で、朝倉はまるでベテランの主婦のようにてきぱきと動きながら、冷蔵庫を開けて鶏肉のパックを取り出している。こんなふうに料理する彼を見たのは、初めてだ。いつもコーヒー一杯の朝食から始まり、昼食はカップ麺で、夕食はスーパーやコンビニで買ってきた総菜で済ませる。晩酌をするときのつまみだって、スナック菓子や鮭とば、するめ、缶詰だったというのに。
「朝倉先生って、料理できるんですね……」
「そりゃあね。唐揚げくらいできるよ。最近は作ってなかったけど、昔はよくやってたんだ。味付けはどうしよっかなぁ……、まぁ、なんでもいいか。適当、適当」
「適当……」
そう言いながら、朝倉は鶏肉をボウルに入れ、次々と調味料を入れながら混ぜて揉み込んでいく。そうして、片栗粉をまぶしてから、コンロの火をつけた。
「ほんとはちょっと漬けとくといいんだけどさ、それじゃもう遅くなっちゃうから。油がいい感じになったら投入しちゃおう」
「はぁ……」
朝倉の手際のよさに、宇野はただ、そばに立ったまま、黙って見ていることしかできなかった。彼は、冷蔵庫からすでに作ってあったらしいサラダとドレッシングを取り出し、それをテレビの前のローテーブルに置いて、また台所へ戻ってくる。レタス、パプリカ、人参、ラディッシュなど色鮮やかな野菜が乗ったそれは、コンビニやスーパーで売りに出ているカット野菜ではないようだ。彼はいつの間にか買い出しに行って、ちゃんとサラダを作っていたようである。
「すごい……」
「だろお? オレだってちょっと本気出せばこんくらいできんのよ。まぁ、シュガーにはとても敵わないけどさ」
「ふうん……」
らしくない朝倉の行動に、宇野は不思議でたまらず、彼の横顔をじいっと見つめる。すると、不意に視線がぶつかって、彼は目を泳がせ、頬を掻いた。
やがて、テレビの前のローテーブルに、朝倉お手製のからあげとサラダ、味噌汁、それに缶ビールが並べられ、宇野は朝倉と乾杯した。キンキンに冷えた缶ビールを開け、口をつけ、慣れ親しんだ味にほうっと深いため息を吐く。それから、揚げたてのからあげを頬張ってみる。
うま……!
頬張った瞬間に、肉汁が溢れ出すジューシーさと、柔らかな肉の感触に、思わず目を瞑る。もう何年もスーパーの総菜からあげや、冷凍食品のそれしか食べていなかったが、お手製のからあげというものはこんなにも違うものか、と感動すらした。
「どうよ? オレのからあげ」
「う、うまいです……! お肉がめちゃくちゃジューシー!」
「まじで? どれどれ……」
いつも通りの晩酌が始まったように思えたものの、やはり今日はなにかが違っている。朝倉はからあげやサラダをせっせと取り分けてくれ、ビールが少なくなってくれば、それを気にして冷蔵庫から取ってきてくれる。いつになく、もてなされているような感覚があまりにこそばゆくて、宇野は思わず訊ねた。
「朝倉先生。今日、なんかあったんですか?」
「いや、なんで?」
「なんでって……。だって……」
「なに」
「その、すごい優しいから……」
すると、次の瞬間。朝倉はかあっと顔を赤く染めた。
「別になんもないけどね。たまには、日頃の感謝を込めて労いたくなったの」
「日頃の?」
「そうそう。君はほら、オレにとっちゃ大事な……相棒だからさ」
相棒。それを聞けば、当然、顔がにやけてしまう。もちろん彼が言っている相棒というのは、あくまで仕事上の、という意味に決まっている。だが、それだとしても彼の相棒だと彼自身が思ってくれていることは嬉しいのだ。宇野は頬を緩め、照れ隠しに缶ビールに口をつける。
「なんか、変なの。朝倉先生がそんなこと言うなんて」
「はは……。だよなぁ……」
朝倉は苦笑いをしたあとで、まるで自分を嘲笑するかのように言った。
「突然、気持ち悪いよな……」
「や、僕はなにも、そういう意味で言ったんじゃ……」
「いや、いいんだよ。オレだって、自分のことは自分が一番よくわかってるから」
宇野は首を傾げる。すると、朝倉は缶ビールを一口飲んでから話し出した。
「オレさ、昔っから真面目な顔して、真面目なこと言うのってすっげー苦手だったんだ。こうやって酒でも飲んでりゃまだいいんだけど、照れくさいっつーか、なんつーか……。ついおちゃらける癖があるっていうのかな」
「うわー、絶対モテなさそう」
わざと冗談めかしてみたものの、朝倉は「その通り」と言わんばかりに頷いている。
「まあね。昔の彼女には、それが原因でよくフラれたもんよ。ほら、付き合うまではノリが合って楽しければいいけど、付き合ってからしばらくすると、真面目な顔で好きとか愛してるとか、言わなきゃいけない瞬間が来るだろ?」
確かに、と宇野は頷く。もっとも宇野の場合、相手はみんな同性――つまり男だったが、甘い言葉を囁き合うのは大好きだった。
「来ますね」
「そういうのがこっぱずかしくってさぁ。つい、ふざけたりしちゃうんだよな。でも、そういうのが続くと、女の子にへそ曲げられちゃうんだわ」
それは男女に限らずそうなのではないか、と宇野は思う。宇野だってたぶん同じだ。恋人に好きだと言葉にしてほしいし、甘い言葉を囁いて欲しいときは絶対に来る。それを毎度はぐらかされるのは、ちょっと寂しいものがある。
最初のコメントを投稿しよう!