7【迷い道】~宇野恵一~

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「言いたくないんですか? 好きって」 「そうじゃないよ。ただ、オレはそもそも、そういう大事な言葉ってのは、簡単に口にするもんじゃないと思うわけ。言うタイミングだって色々気ぃ遣うしな。ほら、たとえばエッチするときなんかに言ってみろ。エッチしたいから、とりあえず言ってるみたいじゃん?」 「うーん……。そうかな……」 「そうだよ。カンタンにぽんぽん言っちゃ、軽く聞こえちゃうじゃん。だけど、違うの。オレの好きって気持ちはもっと重たーいんだから。あの海の先の、ずうっと向こうのさ、マリアナ海溝の底に沈むくらいなんだから」  朝倉はそう言いながら、ベランダの先を指差している。だが、そこから海は見えないし、そもそも方向も、若干違っている気がする。彼はもう酔っているのだろうか。宇野は呆れて、笑みを引きつらせた。 「どうでもいいけど、いつもそんなこと考えながら付き合ってんですか? なんか、めんどくさーい……」 「いいんだよ。それくらい誠実ってことなの」 「どうだかねぇ」  朝倉のうっとうしい持論が展開され、宇野はけらけら笑う。『エッチする』とダイレクトに言葉にするのは恥ずかしくなさそうなのに、自分の気持ちを伝えるのは恥ずかしいなんて変わっている。だが、朝倉のそういう部分は普段から近くで彼を見つめている宇野には理解できた。 「朝倉先生はどうせ照れくさいだけでしょ。真面目なくせに、いつもふざけてばっかいますもんね」 「悪かったなぁ」 「まぁ、そこが好きですけど……」  思わず、口が言葉に出てしまって、慌てて口を噤んだが、もう遅い。かあっと頬が火照っていくのを感じて、すぐに缶ビールに口をつける。そうして、ごく、ごくと喉を鳴らしながら、うまく誤魔化そうと頭を巡らせた。 「あ……、朝倉先生を慕って来られる患者さんも、みんなそうだと思いますよ。あと、僕らスタッフも、その辺はちゃんとわかってますからね」  うまく誤魔化せたようで、苦しい付け足しのようでもあったが、朝倉は嬉しそうに微笑んで「ありがとー」と返し、缶ビールを飲み干している。何事もなく、晩酌が続いているのを確認し、宇野は密かに安堵した。しかし、ふと思う。宇野の告白も、数を重ねすぎているせいで、軽く聞こえてしまうのだろうか。そのせいで、朝倉に届かないのだろうか――と。  もしかして……、気付いてもらえないのは、僕のせいなんじゃ……。   「でもさ、やっぱ大事なことくらい、ちゃんと言えなくちゃカッコ悪いよな」  まるで、とても遠く懐かしいものを見るように、朝倉はじっと唐揚げを見つめている。ひょっとすると、この唐揚げは昔の彼女とよく作ったものだったのかもしれない。そう思うと、途端においしい唐揚げにもひどく嫉妬してしまって、宇野は思わず、朝倉の見つめる唐揚げを箸でつまんで、口の中に頬張ってやった。すると、朝倉は嬉しそうに目を細める。 「君はうまそうに食うねえ」 「だって、おいしいですもん」 「そっか。よかったよ……」  それからしばらく、朝倉はなにも話さず、食べることも飲むこともせず、ただ、じっと宇野を見つめていた。そうされると、宇野も目を離せなくなって、もぐもぐとからあげを食べながら、彼を見つめるしかなくなる。なんだか、こう見られていると妙に食べにくい。 「なんです? じっと見て……。食べないんですか?」 「いや、オレさ。最近になって気付いたんだけど、宇野くんのことをさ、その――……」 「はい……」 「こういうの、なんていったらいいかな……、ええと……」  突然、なにか言いにくそうに言葉にしながら、やはりじっと見つめられ、宇野の胸がとくとくとく……と、高鳴りはじめる。彼の言葉の先を知りたいようで、いつものように落胆するのがひどく怖い。だが、それでも。いつもの彼らしくない様子に、なぜか勝手に期待してしまう。 「僕が……なんです?」 「ええと、その、君はさ……」 「はい……」 「オレの……、すっごい大事な……、あ、相棒だから!」 「はぁ……」 「今日はさ、日頃の感謝も込めて、スペシャルなおもてなしさせて」  どこか照れくさそうにそう言われ、落胆した。だが、同時に嬉しかった。高鳴っていた心臓が、余計にうるさくなって、頬が自然と緩む。彼は今日、宇野のためだけに準備をしてくれていたのだ。夜勤明けなのに昼過ぎには起きて、スーパーへ行って、食材を買って、下ごしらえをして、部屋を掃除して、宇野を迎える準備をしてくれていた。 「ありがとうございます……」  日頃の感謝を込めた、相棒へのスペシャルなおもてなし。それがこんなにも嬉しくて、だが、どうしようもなく切なくなる。当然だが、やはり彼が自分に向けてくれているのは、あくまで仕事の相棒としての感情だけ。そこに恋愛感情はないのだということを、ここで改めて、確認させられたからだ。  恋愛感情じゃなくても、朝倉先生の気持ちは嬉しい……。でも、わかってるのに……、無理なのに、僕はもっと欲しくなる……。いつか、この人の恋人になりたいって……。 「朝倉先生……?」 「ん?」 「これからも相棒として、よろしくお願いしますね」 「あぁ、うん。よろしく……」  コツン、と缶ビールを合わせて、互いにまたビールに口をつける。妙な気分だ。彼が大事だと言ってくれることは途方もなく嬉しいのに、宇野は同時に、言いようのない寂しさに襲われていた。
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