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約束通り、宇野は早瀬とチャトと並んで、病院までの近道を教えてもらいながら歩き、朝倉への片想いを彼に話した。早瀬は興味津々な様子でそれを聞いている。しかし、情けないものだ。鎌倉に来て、もうそろそろ半年は経つというのに、ちょっと知らない道へ入り込んだだけで、迷子になってしまったあげく、病院の患者に恋の相談をする羽目になるとは。
「へえ、そんなに長い間……。宇野さん、めちゃくちゃ一途なんですね」
「一途っていうか……。そばにいると、諦められなくなるだけですよ。ただ、ずるずる好きでいるってだけで……」
「そうかなぁ。でも、そばにいるからこそ、嫌なとことか見えて冷めちゃうことだってあると思いますけど。宇野さんのはもう恋じゃなくて、愛になっちゃってるんでしょうね」
「愛……」
慣れない「愛」という言葉に、かあっと頬が火照っていく。言われてみれば、そうかもしれない。宇野は朝倉のことなら、たいていなんでも知っている。彼の長所はもちろん、ちょっとだめなところも。だが、全部まとめてひっくるめて、今の彼を好いているのだ。
「愛かぁ……、はは……」
「でもね、ちゃーんと告白して言いたいこと言っておかないと、後悔しちゃいますよ。そのまま放っといたら、そのうち誰かのものになっちゃうでしょ。若い獣医さんなんて、絶対モテそうじゃないですか」
「う……」
「合コンなんか行かせたら、たぶん入れ食いですよ」
そ、それを言われるとつらい……。
「わかってるんですけどね……。断られたときのことを考えたら、怖くてとても……」
「大丈夫! 断られたって、諦めなきゃいいんです。押しまくってれば、最初は拒否られても、そのうち傾くかもしれないじゃないすか」
「はぁ……」
「おれだって、尚央に最初から受け入れてもらったわけじゃないですから」
「そ、それってつまり、早瀬さんは何度も告白をされたわけですか?」
宇野が訊ねると、早瀬はふっと微笑み、「そりゃそうですよ」と言って、頷いた。彼は見たところ、宇野と同じくらいの年齢なのだろうが、タイプがまるっきり違っている。気の強そうなところは佐東とやや重なるが、もっと猪突猛進で、執着が強そうで、なんというか、ちょっとアブナイ感じだ。ただし、酒の力を借りているとはいえ、何度も朝倉に告白をしてきた宇野としては、早瀬のケースは朗報でもあった。
「おれは最初、お試しで付き合ってもらったんです」
「お試しで……」
「あとは、スキンシップとか。日常的に手握ったり、抱きついたり……」
「ほう、なるほど……」
「キスしたり……」
「キ……っ? キスもするんですか……!」
「だって、好きな人とはキスしたいでしょう? 我慢できなくないですか?」
「はー……」
なんて大胆な男なのだろう。宇野はすっかり感心してしまった。これまで、長い間そばにいても、宇野が朝倉の手を触ったり、彼に抱きついたりできるのは、深酒をしたときだけだった。それだって、決死の覚悟でしているのに、キスなんかできるはずがない。
「僕には、ちょっと無理かも……」
「じゃあ、ずっとこのままでいるんですか?」
「それは……」
しかし、早瀬のようにはできなくても、なにかを変えなければ、朝倉との関係は、おそらくこれ以上、進展しない。今まで通り、宇野は仕事上のパートナーとしてそばにいるだけ。いつか、朝倉に恋人ができたときにも、そばで指を咥えて見ているだけになる。宇野はかぶりを振った。
絶対、やだ――。
「スキンシップ、僕もちょっとがんばってみようかな……」
宇野が言うと、早瀬はくす、と笑みを零す。それから、しばらく歩いていくと、いつの間にか見覚えのある通りまでやってきた。宇野はぺこ、と頭を下げる。
「あ、ここまで来たら、あとはわかります。ありがとうございました……」
「よかった。それじゃ、宇野さん。自信持って、がんばってくださいね」
「はい……」
「でも、よかったなぁ。ぶっちゃけおれ、すげえ心配してたんですよ。宇野さんかわいいし、尚央も懐いてるみたいだったから」
「え……?」
すっきりした顔つきで、早瀬が言う。宇野は目をぱちくりさせながら、訊き返した。
「心配って、なんのです……?」
「ほら、宇野さんが尚央のこと狙ってたら、やだなぁって。尚央って色っぽいし、めちゃくちゃ美人でしょ? だから、すぐ悪い虫が寄ってきちゃいそうじゃないですか」
「はぁ……。え、悪い虫……?」
「そう、そう。でも、安心しました。それじゃ、また」
会釈をして、早瀬の背中が遠くなっていく。宇野は早瀬と分かれたあと、アパートまでの慣れた道を歩き出し、彼との会話を思い出していた。突然、つむじ風に巻き込まれたあとに、ぽいっと放り出されたような気分だが、不思議なことに頭の中に広がっていた靄は取れ、すっきりしていた。
早瀬さん、ちょっと変わった感じだったけど……、優しい人なんだな。スキンシップかぁ……。
いつの間にか太陽は高くなっていて、額には汗が滲み始める。階段を上がって部屋に入り、扉にもたれながらため息を吐いた。意識して、日常的に朝倉にスキンシップを取ったことは、まだない。だが――。
やってみる価値、あるかも……。早瀬さんだって、何度も告白したって言ってたし、僕の今までの告白が無意味だったとはいえないよね……。
決意を新たに、宇野はぐっと拳を握る。そうして、ドキドキと高鳴る胸をそのままに、朝倉の部屋へ向かった。
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