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あまりに近い距離で目が合ったまま、朝倉は想像した。宇野の唇の感触と、温かさ。そして、彼が真っ赤になって怒る表情。
いやぁ、宇野くんは怒った顔もかわいい――……。
「あ、朝倉先生……?」
「え……?」
「あの、なんか……、大丈夫ですか?」
宇野が心配そうに見つめて訊く。朝倉はハッと我に返って起き上がり、かぶりを振った。
「あぁ、ごめん……。大丈夫。宇野くんは? どっか痛くしなかった?」
「僕はなんとも……」
「そっか、よかった」
そう言って、朝倉は静かにベッドから立ち上がり、リビングへ向かう。心臓の鼓動がうるさくて、まるで体ごと揺れているようだ。ちょっとふざけすぎたかもしれない――と、反省するものの、自分の理性がもう少し軟だったらよかったのに、と思ってもみる。そうしたら今頃、宇野の柔らかそうな唇に口づけて、その感触に夢中になって、これまで抑えていた想いも、上手く隠していた欲望もみんな解き放って、楽になっていたかもしれない。しかし、欲望をあらわにすれば、宇野との心地よい関係がたちまちに崩れるのも目に見えている。
オレが宇野くんをやらしい目で見てるって知ったら……、宇野くんはどう思うんだろうな……。
「朝倉先生、ほんとに大丈夫ですか? なんかふらついてるみたいだけど……」
「大丈夫、大丈夫。コーヒー入れるからさ、とっとと録画観ようぜ」
「はい……」
「目指せ、百パーセント!」
冗談めかしてそう言って、朝倉はふたり分のコーヒーを入れる。宇野は後からついてきて、ソファにちょこんと座り、膝を抱えてリモコンでテレビを点けた。それから「百パーセントは無理ですね。ほら、こんなに溜まってるんだもの」と、丸まった背中を向けたまま言う。その背中を見つめながら、朝倉は思う。
ずっと仕事仲間で、相棒だったのに。急に男として好きになった……なんて……、絶対、気持ち悪いって思うよな……。だけど……。
ふと、思い出す。愛木と佐東の関係を話した夜のことを。宇野は彼らが同性愛のカップルだと知っても嫌悪することなく、もっと言うとそんなに驚くこともなく、ただ、ものすごく納得し、感動していた。そんな彼だから、もしかすると、朝倉の気持ちを受け入れてくれるのではないか、と勝手に期待もしてしまう。ただし……。
宇野くんがその気じゃなかったら……、それはただ、本当に気を遣わせるだけになるだろうよなぁ……。
お断りするのも散々に気遣われながら、「お友だちで……」なんてお決まりのセリフを言われるのだろうか。いや、最悪の場合は、宇野との相棒関係を解消することにもなり得る。同性愛に偏見がなく、理解があったとしても、その当事者になるのとは全く違う話だからだ。
もし、宇野くんに拒絶されて、もう二度と会えなくなったりしたら……。
想像しただけで、絶望感に襲われ、げんなりしてしまう。なんとしても、それだけは避けたいところだ。この病院が開院したばかりとか、仕事が回らなくなるとか、そんなことはどうでもいい。朝倉にとって宇野がいなくなるというのは、もっと途方もないダメージがある。両腕をもがれたあげく、心臓に大穴を空けられるようなものかもしれない。
そしたら、オレは生きた屍になるしかねえなぁ……。
「ねーえってば、朝倉先生……?」
「はいはい?」
「最初はなに観ますか? もう、こんなにいっぱいあっちゃ、選べないですよ……」
「ごめん、ごめん。適当でいいよ、適当で」
ソファに座ったまま振り返り、口を尖らせた宇野の顔が、いつかの泣き顔と重なった。あなたについていく、と睨まれながら宣言されたときの、あの泣き顔だ。思わず頬が緩んでしまう。
あなたには僕がいるじゃないですか――と、あのとき、朝倉にはそう聞こえたのだ。朝倉は、そんな彼を途方もなく好ましい、と思った。そして、この男とできることならずっと相棒でいたい、とも。その気持ちは、彼も同じだと、朝倉は信じている。だが、それが恋愛感情となれば、また変わってくるのだろう。
オレが、もし好きだって……、知ったら……。
録画リストを眺めながら、頭の中は宇野のことでいっぱいで、もう今にもパンクしてしまいそうだ。彼が何度もくれた言葉が、酔っ払いの戯言だったとしても、せめて半分くらいは真実だったと思いたい。
君は……、オレがどんな奴でも、それでもそばにいてくれるんだろうか……。それとも――……。
「あ……、映画録ってあるじゃないですか! なにこれ、ゾンビ? 朝倉先生にしては珍しいチョイスですねぇ」
宇野はずらりと並んだドキュメンタリー番組の中に、映画があるのを見つけて声を弾ませ、詳細を確認している。たしか、それはもうずいぶん前に録画したものだ。
「うーんと……、あぁ。それね、冴子さんのおすすめなんだよ」
「えっ!」
「なんか、えらく感動するんだってさ」
「ゾンビなのに?」
「うん。それにしようか。でも、その前にまず、腹ごしらえだ」
「あれ。今日は朝ごはん、食べるんですか?」
「だってさ、これ二時間半あるんだよ。ゾンビ映画の最中じゃ、腹が鳴っても食欲失せそうだからね」
「……あ、なるほど」
朝倉は冷蔵庫を漁って、朝ごはんになりそうなものを取り出した。昨夜炊いた白飯の残りと、漬物、卵。朝倉は白飯をレンジに入れ、宇野はおかずに合う皿を棚から取ってはダイニングテーブルに並べていく。ほどなくすると、彼はゴキゲンそうに鼻歌を口ずさみだした。
「ゆうべ、夜ごはんも一緒に食べたのに、朝ごはんも一緒なんて……、なんかこういうの初めてですね……」
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