8【完遂】~朝倉哲也~

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 宇野くんに肩なんかもませて……。いったい、ヤツはなーにを企んでたんだか……。 「中川さんに、なんかされたりしたの、その頃……」 「いえ、なにも。ただ院長室に呼ばれて、肩もんでただけですから」 「ほんとかよ? 夜の相手、誘われたことだってあるんだろ?」 「はい。でも僕、かわすの上手なんで。そういうお誘いはスルーしました」  宇野はそう言ったが、朝倉はどうにも信じられなかった。なにしろ、佐東のことがある。宇野はたしかに言い寄ってきた中川を、最終的には上手くかわしたのかもしれないが、それまでは散々、被害に遭ったのではないだろうか。  あのド変態獣医……。  過去の話に今さら腹を立ててもしようがない、とわかってはいる。それでも、ひどく憤った。院長という立場を利用して、淫らな欲望を満たす悪癖は、その頃からすでにあって、宇野も少なからず、その被害者だったのだろう。どうにか過去にタイムスリップでもして、当時の宇野を守ってやりたいものだった。  話には聞いてたけど……、改めて聞くとすんげえムカつくわ……。シュガーが襲われたとき、愛木もこんな気持ちだったんだろうな……。 「朝倉先生? あの、大丈夫ですか……?」  宇野は、突然黙り込んだ朝倉の顔を窺って訊ねた。朝倉はこく、と頷いて、無言のまま立ち上がる。そうして、宇野の背後に回った。 「えっ、朝倉先生……、どうしたん――」 「先に宇野くんの肩、やってあげる」 「えぇっ、いいですよぉ……。僕は大丈夫ですから……」 「いいから。交代制な」 「はぁ……」  そう言って、朝倉は半ば強引に宇野の肩をもみ始める。中川の話を聞いて、すっかり頭にきて、つい手に力が入ってしまいそうになるのを必死に抑えながら、自分の想いの強さを思い知らされた。過去の話だとしても、相棒であり、想い人でもある宇野を、欲望を満たすためだけに軽々しく扱ったのはどうしても許せない。だが、ふと気付く。今の朝倉は、どうなのだろう。彼と、どこか違うのだろうか。 「きんもちいいぃー……。朝倉先生、上手ですねぇ……」  ちょっと待てよ……。オレも毎日、宇野くんのことやらしい目で見てんじゃん……。すぐ触りたくなるし、ちゅーもしたいし、あわよくば――……。 「あー……、なんか、うとうとしちゃいそうですー……」  宇野を抱きたい。そう思った時。途方もない罪悪感に苛まれ、手が止まった。中川だって、宇野に身勝手な欲望を抱き、彼から寄せられた信頼を利用して、体の関係を望んでいた。朝倉だって、そこは同じだ。相棒という立場を利用して、彼の寝込みを襲ったり、彼のあらぬ姿を日々、妄想している。しかし、かぶりを振った。  ……違う。絶対に違う。オレはあの人とは。  中川とは違っている。この気持ちも、彼に触れたい理由も。なにもかも、違っていると思いたかった。朝倉は再び彼の肩をもみながら、悶々と頭を巡らせ、自分の想いを確かめる。  オレは……、セックスする相手が欲しいわけじゃないし、かわいけりゃ、誰でもいいわけじゃない。宇野くんが好きだから。だから、こんなに欲しいんだ……。  交代で肩をもんだ後、朝倉は再び録画リストから適当に選んで、宇野と上映会を続けた。だが、夕方になって、少しずつ陽の光が低くなってきた頃。いつの間にか、隣から穏やかな寝息が聞こえてくることに気付く。隣を見て、朝倉はくす、と笑みを零した。 「宇野くん……? 寝ちゃったのか」 「んー……」 「ごめん。ちょっと、退屈だったかな……」  理化学機器メーカーのドキュメンタリー番組を続けて観たせいかもしれない。宇野はいつの間にか、ソファにもたれたまま、眠ってしまっている。安心しきった寝顔に、朝倉は頬を緩ませ、彼の髪に指先でそうっと触れてみる。そうして、そのまま指先で梳くように撫でた。 「なぁ、宇野くん……」 「ん……」  寝言だろうか。宇野がとても小さな声で、返事をしたような気がしたが、寝息は穏やかなまま、目を覚ます様子もない。しかし、彼の髪に触れながら、そうして寝顔を見つめていると、不意に。 「あ、さくら、せんせ……」  かすれた声で、名前を呼ばれた。朝倉は思わず、びくっとして手を放す。心臓はバクバクと高鳴って、もう今にも爆発してしまいそうだった。だが、どうやら宇野はぐっすり眠っているようだ。 「なんだ、寝言か……」  そう呟いた途端、朝倉は胸の奥をぎゅっとつかまれたような感覚に襲われた。彼は今、朝倉の夢を見ているに違いない。だから、眠っていながら名前を呼んだのだ。愛おしさあまりに、うるさく高鳴る心臓を煩わしく思いながら、朝倉はもう一度、宇野の髪に触れる。 「宇野くん、オレさ……」  君が好きだよ……。  そう言いかけて、口を噤んだ。好きだと伝わってしまったら、その瞬間からこの関係は崩れてしまうのだろうか。今までのような相棒関係ではいられなくなって、互いに気まずさを感じながら、もうふざけてじゃれ合ったりすることも、こうして髪に触れることすらできなくなるのだろうか。それだけは、なんとしても避けたいと思った。けれど。 「ん……、せんせ……」  再び呼ばれ、ドクン、と心臓が大きく跳ね、自然と頬が緩む。こんなにかすれた声で、まるで朝倉を欲しがって、懇願されるように呼ばれて、それでも理性を保っていられるほど、朝倉は紳士ではない。 「はいよー、ここにいるよ……」  朝倉は眠る彼にそう呟き、宇野の髪を撫でていた手を、ゆっくりと彼の頬に移していく。柔らかで暖かい肌に触れると、さらに心臓はうるさくなった。その鼓動に急き立てられるように、朝倉は宇野の顔を覗き込む。そうして、その唇に優しく口づけた。
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