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時を生む梟
今日は満月だ。
月が煌々と照っている。
月は夜空の覇者だ。
だから僕は、それに負けじと光る電球をどうも好きになれないのだ。
そんな街明かりを遠く見下ろす山の奥。
樹齢百年にもなる杉の木の上、ここから月を遮るものは何もない。
今日はいつもに増して月が大きい。僕は博識だからこの月をスーパームーンと呼ぶことを知っている。
やはり月は見ていて飽きない。
僕には実は風流心が備わっているのではと自覚するほどには。
月の顔にむら雲がかかる。
ああ、美しきかな。
「おい、何を黄昏れてるんだよ」
「おお、君か。驚かすなよ。危うく木から落ちるところだったよ」
「それは残念だ。あんたがあわてふためく姿を見てみたかったのに」
「ああ、ひどいひどい。もう少し年寄りをいたわらんか」
「いたわるほどにあんたは老いぼれてないだろ」
「ははは、それは誉め言葉として受け取っとくよ」
彼との出会いは遡ること三十年、その日も満月であった。
まだ少年だった彼は、あの空に浮かんだ月が欲しくて、高いところを目指して山に登ってきた。実はこの山は遭難者が出やすいことで有名で、案の定、彼も来た道を見失って一人で泣いていた。そこに僕は駆けつけたのだ。大丈夫か、そう声をかけた時、君はとても驚いていた。まあそれもそうだろう。あっさりと受け入れられることなどまずない。実を言うと結構何度も怪談書物に登場していたりする。
次に彼は全速力で走りだした。それはもう、どこにそんな力が残ってたんだよって不思議に思うぐらいには。きっと火事場の馬鹿力っていうやつだろう。まてよ、っていうことは僕はどんだけ警戒されてたんだよ。ちょっと、いや、だいぶへこむ。
しかし、ここは僕のテリトリー。
僕よりもここに詳しいものはいない。
そして僕は夜の覇者。何事も恐れるに足らず。
そんなわけで彼を先回りし、再び驚かせて、そしてへこんで、またまた彼が逃げて、追いかけて……結局先に音を上げたのは彼のほうだった。
彼を脅かさないように、地面に下りる。目の高さを合わせることは大切だって聞いたことがあるぞ。さすが僕、細かいところまで気に掛けられるなんて、ってものすごく涙顔だし。ものすごくへこむ。まあいいよ、もう慣れたことだし。まあ誰も梟が人間の言葉を使うところなんて見たことがないのだから当然な反応といえばその通りだし。
どうしたの、とりあえず当たり障りのない質問をする。
お月様が綺麗で、すごく近くにあるような気がして届きそうで、高いとこに行けば届くんじゃないかと思って、それで山に登ってきたら迷子になっちゃって……
おお、こんなところに小さき理解者が、そうじゃ、月はまことに綺麗じゃ。
それから二人で暫く言葉もなしに、月を眺めていた。
そろそろ帰るか。
もうすっかり君の涙は乾いていた。
うん、君は小さくうなずいた。
それから僕は君をふもとまで送っていった。
別れ際に僕が、また満月の時においでというと、
うん、約束だよって笑顔で君は言った。
それから満月の度に僕たちは会った。一緒に月を眺めた。
そこに月がある限り僕たちはずっと一緒だった。
君は子供から大人になり、僕は大人のままだった。
ある時、田舎の再開発が流行っていた時、君はこの山を買った。
君は詳しいことを話してくれないけれど、そのおかげで僕の住処は守られた。
それから僕たちは対等になった。お互いに命を救い、共存した。
そして僕たちは月を見た。
「仕事はどうだい、随分と忙しそうに見えるけれど」
「ああ、ほんとそうだよ、時が経つのが夢のように早えよ。昔はのんびりと月を眺めてる余裕があったのによ」
そう言いながら彼は月を眺める。君の目にはいったいどのように月が写っているのだろうか。
「文明だ、流行だに置いてかれないようにするので大変なんだよ。一日が何時間あっても足りる気がしねえ」
「確かにそうかもしれないね。昔は電気なんてなかったから、日が沈めばみんな寝て、起きるのは日の出の頃で、情報網もせいぜいそのお国の中程度で、今と比べると時間の余裕はあったかもしれないねえ」
どうして人はこうも自由を捨てるのか、まことに理解に苦しむ。時間なんてものを勝手に作り出して、勝手にあわてている。
「そういえば、最近夜遅くにやたら停電が多いんだけどなんか心当たりねえか。
街の方に住んでるやつらがすっげえ愚痴言ってたぞ。」
「僕はただ、月の美しさを伝え、みんなに時間をプレゼントしたかっただけだよ」
君は苦笑いをして、いい迷惑だよ、と小さく言った。
「僕からのささやかなプレゼントなんだから、ありがたく受け取ってくれよ」
「俺はお前と違ってこの世界に適応しないといけねえんだよ」
「それは僕も同じさ」
「いや、きっと同じなんかじゃない。俺たちは人間は少々変わりすぎたんだよ」
「確かにそうかもしれんな」
「まあ、あんたはこの木の上からのうのうと高みの見物でもしてればいいんだよ」
「言われなくてもそうするわい、それでは君たちを見守っているとしよう」
「それじゃあ俺は仕事に戻るとするよ」
「あまり頑張りすぎる出ないぞ、大切なのは、」
「大切なのは、画期的な革新よりも当たり前を想う心、だろ」
「ああ、その通りだ」
「じゃあな、また次の満月に」
「ああ、待っとるぞ」
そう言い残して君は山を下りていく。
もう、そこには迷子になって泣いていた君はいない。
そして僕はもう一度満月を見上げた。
月はいつでも地球を回っている。
僕たちが楽しくてもうれしくとも、悲しくとも寂しくとも。
その秩序が崩壊しない限り、僕たちは安心して前を向いていられる。
だから僕は、何も言わなくてもまた次の満月が東から昇るような、何も言わなくてもまた次の満月に君と会えるような、そんな日常がどうしようもなく好きなのだ。
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